「は、俺たち貴銃士が恋愛感情を持つことについてどう思う?」
質問の意図がわからず、は少し考えてから声の主を見上げた。ふんわりとゆるやかにカールしたブロンドの奥でエメラルドグリーンの瞳が優しく光っている。
彼の瞳が一番綺麗に輝くのは夕暮れ時だと、は密かに思っていた。明るい太陽の下ではその光はお互いに反発し合い、却って本来の輝きが失われてしまう。夜の灯りを反射すると今度はその瞳だけがギラギラと異様に目立つ。だからまだ灯りを付けるほどでもない、少しだけ温かさを残した日の入り直前の今が一番彼を引き立たせるのだ、という持論を持っていた。は彼の思考を読み取ろうと、燃えるような赤が混じったエルメの緑をぼうっと見つめる。「考える鉄」を自称するエルメことDG3はこんな風に時々答えのない問いを投げかけてを困惑させた。
「……どう、とは」
「ああ、少し質問が漠然としすぎていたかな。……俺たちは鉄の塊。今はマスターの力でこうして人間と同じ肉体を得ているけれど、本体が銃だという事実は変わらない。銃とは本来、人を傷つけるものだ。そんな俺たちが人間を愛するだなんて、矛盾していると思わない?」
「肉体と精神が人間と同等なら、そういった感情があってもおかしくはないと思います」
「俺はのことが好きだよ」
「えっ、なん……えっ」
「ふふ、もちろんマスターとして、だよ。はとても良いマスターだ。銃の取り扱いも申し分ないし、貴銃士をまとめあげる能力もある。マスターとしても軍人としても、将来がとても楽しみだよ。きっと他の貴銃士たちもそう思っているんじゃないかな。……でも、貴銃士がマスターに対してそれ以上の感情を持つことが、俺には理解できないんだ」
エルメの顔から微笑が消え、は無意識にごくりと喉を鳴らした。彼はふとした瞬間「人間」ではなくなる。本体であるDG3に、冷たい鉄に戻る。普段の柔和な微笑みからは想像できないほど冷たく鋭い視線にはいつまで経っても慣れることがない。彼自身が言う通り、貴銃士は決して人間と同じにはなれないのだろうと思い知らされる。エルメがに対してあれこれ質問するのも、人間を理解するためではあっても人に近づくためではなかった。貴銃士の中で一番といってもいいほど人間らしい振る舞いを身に着けるエルメが、人間に近づくことを一番拒んでいるのは皮肉だとは内心で嘆息する。
「理解なんて、できなくてもいいと思います。人間にだってそういう人はいるし……あ、もしかして、誰か心当たりでもあるんですか?」
「うん、あるよ。……知りたい?」
「まあ……気にはなりますね」
「じゃあ教えてあげる。でも、と俺だけの秘密だよ?」
こくりと頷くを見届けるとエルメは彼女の耳元に顔を寄せた。
***
捲ったシャツの袖から伸びる逞しい腕がリズミカルに動いている。調理器具がカシャカシャと鳴る男の手元をは感心しながら見守っていた。反対の腕で抱えたボウルには薄力粉や砂糖、卵等を混ぜたクリーム色の液体が調理器具の動きに合わせてとろりと波打っている。今日はなにか嫌なことがあっての憂さ晴らしとしての菓子作りではないらしい。本人から直接聞いたわけではないが、彼の雰囲気やしぐさからは苛立ちなど感じられなかった。厨房へと頻繁に出入りする貴銃士をは3人知っている。タバティエール、ドライゼ、そして今目の前で菓子作りに勤しむジーグブルート。他にもマークスやエンフィールドが立ち寄ることもあるが「調理をするため」という目的に限ればぱっと思い浮かぶのはその3人だろう。
はジーグブルートの作業を観察するのが好きだった。彼の作り上げる菓子は、厳つい外見からは想像ができないほど繊細で美しい。その芸術性の高さに目を見張り「魔法みたいですね」と素直な感想をが述べれば「気色悪いこと言うな」と舌打ちを返されるまでがお決まりの流れになりつつあった。が手を出すことはない。ジーグブルートのこだわりが強すぎるせいもあるが、それ以上に自分の介入する隙が彼にはないことを悟っていた。ジーグブルートがこの調理場へ立つのには毎回なにかしら理由がある。兄弟への、周囲への、自分への苛立ち。大抵はそんなストレス発散のため、負の感情を菓子にぶつけていた。だからこれは一人でやることに意味がある、らしい。暗に「手を出すな」とくぎを刺された形だ。だがはこの作業をただ見ているのが退屈と思ったことなど一度もない。そもそも退屈なら一部始終を見届けるようなこともしないのだが。
「今日はなにを作ってるんですか?」
「アプフェルクーヘン」
「りんごのケーキですね!楽しみだなあ」
「おい、お前にやるなんて一言も言ってねえぞ」
「……じゃあ誰に作ってるんですか?」
「別に。目的がなきゃ作っちゃいけねえのかよ」
「いやそういうわけじゃないですけど……食べる人を思い浮かべながら作るのって素敵じゃないですか」
「はぁ?お前はまた寒いこと言いやがって……フランス野郎共の影響か?」
「そういえばこの前、タバティエールさんがカヌレ作ってくれたんですよ。私のためにって」
「……そうかよ。そりゃ良かったな」
「だから、ジーグブルートさんも誰かのためにってお菓子を作ったらきっと相手も喜んでくれますよ。そういう人、いないんですか?」
「いねえよ。いるわけがねえ」
「じゃあ、私のためになにか作ってくれませんか?」
「そんなことして、俺になんの得があるってんだ?」
「うっ……損得の話をされると困るんですけど」
「じゃあ最初からすんな」
「わ、私に喜ばれます……とか?」
「……てめーに喜ばれてもな……」
心底どうでもよさそうに吐き捨てられ、は思わず苦笑する。その脳裏に先日エルメから聞いた「内緒話」を思い浮かべた。人間に対して友愛以上の好意を寄せる貴銃士。それがジーグブルートだという。惜しみなく愛を振りまくフランスの貴銃士でも、スキンシップの激しいアメリカの貴銃士でも、への愛が重いマークスでも、「リア充爆発しろ」が口癖の八九でもなく、あのジーグブルートが。「も、意外だと思うでしょ」と同意を求めるエルメの心情はわからなかった。穏やかな微笑みの下で苦々しく思っているのかもしれない。それでも彼はひとまず見守ることに決めたらしい。相手までは教えてもらえなかったはその日からジーグブルートをより一層観察するようになった。当然気になるだろう。意外性を差し引いても、にはどうしても気になって仕方ない理由がある。人間に対して友愛以上の好意を寄せる貴銃士の存在が異端なのだとしたら、その反対はどうだろうか。きっと逆の立場ならそう珍しいものでもないだろうとは予想する。貴銃士に対して友愛以上の好意を寄せる人間……その一人がだった。そしてその対象は紛れもなく目の前の男である。望みのない恋だと思った。惜しみなく愛を振りまくフランスの貴銃士や、スキンシップの激しいアメリカの貴銃士や、への愛が重いマークスや、「リア充爆発しろ」が口癖の八九ならともかく……相手はジーグブルートだ。なぜこんなことになったのか自身にもわからなかった。繊細な菓子を作ることだとか、案外真面目で世話焼きなことだとか、の顔色が優れないときには少しだけ声を詰まらせることだとか。そんな小さな積み重ねの中で、気付いたときには目で追うようになっていた。
「ジーグブルートさんの好きな人って……」
「あ?」
「っ……なん、でもないですっ!」
ぼんやりしていたは、気を抜いていたせいか考えていたことがそのまま口に出てしまった。手を止めたジーグブルートが眉を顰める。その顔から察するに、ばっちり聞こえてしまったらしい。が慌てて首を振ってももう遅い。
「……エルメの野郎か」
「えっと……ノーコメントで」
はあ、と深くため息を吐いたジーグブルートは徐に作業を再開させた。アプフェルクーヘンの素が丸いケーキ型に流し込まれる。リボンのような筋を描いて折り重なった生地は次の瞬間その形を失い、再び融合してクリーム色の池が出来上がった。気まずい空気も一緒に混ざっていくようだ。は口を滑らせたことを後悔しながらリボンだったものの行く末を見守った。ジーグブルートがその上にきっちり等分されたりんごを浮かべ、温めておいたオーブンへと運んでいく。焼き時間は50分ほどだ。は前回ジーグブルートから聞いたことを思い出し、無意識に時計を見る。
「例えば、万が一俺にそんな奴がいたとして……億が一それがお前だったとしたら」
「えっ」
「例えだっつってんだろ。一々反応すんな」
「あ……はい」
「俺なら絶対言わねえ」
「相手が同じ気持ちだったとしても?」
「……ああ。銃には必要ねえもんだろ?」
は素直に頷けないまま肩をすくめた。貴銃士というのは思った以上に厄介なものらしい。人のかたちを取り人と同様の生活を送りながらも人になることは拒む。否定する。銃であり続ける。矛盾ともいうべきそれはには想像すらできないことだった。ジーグブルートの問いかけにも答えることなどできるはずがない。彼は肯定されたいのだろうか、それとも、否定してほしいのだろうか。考えているうちにジーグブルートは後片付けをし始める。
「残念だなあ」
彼の背中にぽつりと呟いてみてもそれは水音に紛れて届かなかった。
2022/07/04
全ての場合を通じて、恋愛は忍耐である。(萩原朔太郎)