「いらっしゃいませ、2名様でよろしいですか?」
「はい!」

 しっかりと俺の腕にしがみついたが元気良く店員へ答えた。ちらと店内を見渡せば、どこもかしこもカップルばっかりだ。内心舌打ちしながら視線を戻し、ちょっと離れろと腕に力を入れて無言の抵抗をしてみる。が、には効果はないようだった。こんなリア充空間に身を置くだなんて一秒でも苦痛なのに……。俺は無意識に脱出口という名の店のドアを横目で確認した。そうしている間にも俺はに引きずられるようにして店内中ほどへと誘われていく。「こちらへどうぞ」などと愛想よく笑う店員が恨めしい。こっちの気も知らないで。
 漸くから解放された俺は渋々ながら彼女の目の前の席に腰を下ろした。清潔な赤いギンガムチェックのクロスが敷かれたテーブルにはカラフルなメニュー表が置かれている。のお目当てはこの限定メニューらしい。そもそもの事の発端は一週間前だった。

「これ、美味しそうじゃない?」

 いつものようにゲームの対戦をしてる途中でが急にケーキ屋のチラシを見せてきた。画面に映し出されたスコアを確認してからそのチラシに視線を遣ると「オープン記念!カップル限定50組様」の文字が見えたので、俺はスルーすることに決めた。要はカップルの振りして店に付き合えというアピールなのだろう。絶対御免だ。誰がすき好んでリア充どもの巣窟にのこのこと出向かなければならんのだ。

「……へえ」
「行きたいなあ~食べたいなあ~」
「お前誘い受け下手くそだな」
「ドーテー君には言われたくない」
「どっ……!女がそういうこと言うなって!」
「実際そこのところどうなの?」
「は!?だから、それはベルガーのバカが勝手に言ってるだけで……!」
「じゃあもしかして、八九って彼女いたの……!?あんだけリア銃ディスっておいて……?」
「いや、それはねぇけど」
「あ……なんか……ごめん」
「おい謝るなよ!余計惨めだろ!」
「でもそれならちょっとくらい付き合ってくれてもよくない?」
「だが断る」
「……そんなに私のこと嫌いだった?」

 ついいつものノリで応酬すると、予想に反しては急にシュンとしてしまった。俺の心臓がいっちょ前にドキっと嫌な音を鳴らす。この角度からだと俯いたの顔は見えなくて、まさか泣かせてしまったのかと血の気が引いた。

「…………なん……っでそうなるんだよ!嫌いだったらゲーム対戦なんて誘わねーよ」
「あ、じゃあ次の対戦で私が勝ったら付き合ってくれる?」

 次の瞬間顔を上げたはさきほどの憂色が嘘のようにけろっとしていた。どうやら一杯食わされたらしい。クソ、人間不信になりそうだ。ともあれ、今までの結果を見るに、ゲームでのこいつの勝率は2割といったところだ。経験の差というのは割とでかいらしい。つまり、ガチのマジでやれば負けることはまずないはずだ。内心ほくそ笑んでいた俺だったが、隣でが「ここのケーキすごくおいしいんだよ。八九も気に入ると良いんだけど」などと無邪気に宣うものだから結局手加減してしまった。俺はバカか。
 という自業自得な経緯があったせいで今日こうして精神的苦痛を味わう羽目になってしまったのである。が嬉しそうだし、まあいいか。と思っていたがやっぱり実際にリア充空間に居ると、こう、精神的ななにかがガリガリと音を立てて削られていくような、そんな感覚が襲ってくる。居たたまれなくなって出された水をぐびぐびと飲み干す俺を他所に、は飲み物を選んでいた。

「私はアイスティーにしようかな。豊田くんは?」
「俺は……ってなんでその名前っ……!」
「いやこの前ゲームの画面にがっつり映ってたけど」
「……とっ……とりあえず豊田くんはやめろ」
「でも八九って呼んだら貴銃士ってバレちゃうよ」

 実際身バレしたところで俺の方に大した影響はなさそうだが、逆にが困るのでは?と思考の迷路に陥った。と俺がまるでかっ……カップルみたいな真似してるなんて学校のやつらに知れたら……。

「……豊田で、いい」
「やった!じゃあ豊田くんは私のことちゃんって呼んでいいよ」
「いやなんでだよ。俺は普段通りでいいだろ」
「だってその方が恋人っぽいかなって」
「そうか……?」

 の感覚は時々よくわからない。
 結局俺はコーヒー、はアイスティーをそれぞれ注文し、念願だったカップル限定メニューとかいうこっぱずかしいケーキも注文する。飲み物はほどなくテーブルへ届けられ、数分後には限定ケーキがテーブル中央に鎮座した。2人分サイズの小さな2段のホールケーキで、白とピンクの生クリームで覆われている。デコレーションもなんか若い女の喜びそうな……って、若い女の流行りを知っているわけじゃないが、ともかくそんな感じのするカラフルで可愛いケーキだった。がそれを綺麗に2等分して小皿に移し、俺の前にそっと置く。

「あ、このチョコいる?」

 の持つフォークの上には、チョコのプレートが載せられている。器用なやつだな、と思いつつせっかくなのでもらうことにした。

「はい、あーん」
「……は?」

 テーブルから少し身を乗り出したが、フォークを俺の口先に持って来る。いやいやいや待て待て待てなんだこの状況!?

「は?じゃなくて。早く食べてよ。落ちちゃう」

 で、どうしての方はそんなに平常心を保っていられるんだ。どぎまぎしているのが俺だけだと知り、なんだか空しくなってきたので小さくため息を吐いてからの望み通り口を開けた。ひんやりしたチョコが口の中にゆっくり入ると、すぐに溶けだして甘い味が広がる。

「美味しい?」
「ん、うまい」
「よかった」

 体勢を戻したは何事もなかったかのように自分の皿に載ったケーキを食べ始めた。

「満足したか?」
「うん!すごく美味しい」
「そっか。よかったな」
「付き合ってくれてありがと、八九……じゃなくて、豊田くん」
「結局八九って呼んでるじゃねえか」
「あはは」
「つか、次は俺みたいな陰キャじゃなくてフランスの奴らとか誘えよな。シャルルヴィルあたりなら喜んでついてくるだろうし。ちょっと目立つけど」
「いや、私は八九と来たかったから」
「………………そ、そ、その手には乗らねえからな!」
「どの手?」

 顔が熱を持っているのは隠しようがなくて、俺は誤魔化すようにケーキを一気食いした。何食わぬ顔でケーキを貪るもほんのり赤く見えるのは幻覚じゃないと思いたい。

2023/02/10
この世の言葉ではおおよそ表現できない感情::変身