「ね、ねえ…………」
クラスメイトが強張った表情で私の後方を指す。何事かと思いながら振り返るとすぐ背後にはスナイダーさんが立っていて、不機嫌そうに私を見下ろしていた。夜中に遭遇したくない貴銃士ベスト3の一人であるスナイダーさんは、昼間に出くわしても中々心臓に悪い。私は一瞬驚いて肩を揺らしたあとで、彼が全身傷だらけであることに気付いた。それだけでもう、次の瞬間彼が口にするであろう台詞は想像に難くない。
「治療をしろ、」
「一応聞きますけど、その怪我どうしたんですか?」
「その情報は治療に必要なのか?」
「……いや、まあ……察しはつきますけど」
「なら一々聞くな。時間の無駄だ」
「……」
前から薄々感じてはいたけれど、この人……いや、銃は私のことをマスターだなんて微塵も思っていないのだろう。彼の台詞は最早命令に近い。拒否権などないと言わんばかりの威圧を受けながら私はため息を零した。丁度良いことに今は昼休みである。心配そうにこちらを見つめる友人へ「先に食堂行ってて」と告げて、私はスナイダーさんの腕を掴んで足早に教室を出た。貴銃士はただでさえ目立つというのに、今のスナイダーさんはあちこち怪我をしている。あまり衆目を集めては後が面倒そうだ。ちくちくと多方面から突き刺さる視線をかいくぐって食堂とは反対方向へ向かうと段々人もまばらになる。そのまま自分の寮室へ飛び込むと私はようやく一息ついた。
「そんな怪我で歩き回ったら、一般生徒がびっくりするじゃないですか」
「それがどうした?」
「喧嘩したと勘違いされて、教官に叱られちゃいますよ」
「……ふん、どうでもいいな」
「私はどうでもよくないです……」
「勘違いするなよ、。俺はお前がどうしても、というからここにいてやっているだけだ」
「いやどうしてもとは言ってな……あ、いやなんでもないです」
ゆっくりと目を細めるスナイダーさんに嫌な予感がして私はすぐに発言を撤回する。実際のところ、彼の存在が大きいのは紛れもない事実だった。古銃でありながら絶対高貴と絶対非道のどちらも使いこなせるのは今のところスナイダーさんただ一人。敵側がそれを知っているのかは定かではないが、ひとつの脅威にはなり得るはずだ。もし私が独断でスナイダーさんに暇を出したとしてもそれをカサリステ側が許可するとは思えない。複数の貴銃士を持つ稀有なマスターと雖も、私は末端も末端の士官「候補生」なのである。そう考えればスナイダーさんの私をマスターとして認めていないような言動も頷けるものがある……って、自分で言うのもなんだか悲しいけど。
大小の怪我を確かめながら掌を当てて力を注ぎこむと、スナイダーさんの身体からは忽ち傷が消えていく。我ながら不思議な力だ、と今更思う。この治療にももう慣れてしまった。3日に1回はこうして怪我をして私の前に現れるものだから、当初は血の気が引く思いだった。にも拘わらず当の本人はちょっと紙で指を切ったみたいなテンションで治療を求めてくるので、貴銃士は痛みを感じないのかと、彼の兄であるエンフィールドさんに真剣に相談してしまったほどだ。あの時の「スナイダーは戦うことが趣味のようなものですからね」と呆れたようにため息を吐くエンフィールドさんが未だに忘れられない。趣味ってなんだっけ?と別の疑問が生まれてしまったものの、とにかく特殊な能力を持つ貴銃士でも人間と同様、痛覚はあるらしい。というか、身体の構造や機能は人間と変わらないようなのでよく考えてみれば当然だったのだけど。スナイダーさんは空腹や眠気と同じできっと痛覚もぶっ壊れているのだろう。そういう貴銃士は彼以外にも居る。つまり彼らは人間の身体にまだ馴染んでいない、ということになるのかも…………。
「おい、まだ掛かるのか。早くしろ」
「あ、ちょ、もう終わりますから」
スナイダーさんが待ちきれない様子で椅子から腰を浮かせようとするので、慌てて腕を抑える。といっても力で敵うわけもないのだが、本気で逃げようとしていたわけではないのか大した抵抗もなく再び大人しくなった。この傷が治ったら、また戦うために無断で外へ出るのだろうか。マスターとしては力づくでも止めるべきなのだろうけど、自分が諭したところで素直に聞いてくれるわけもないし……エンフィールドさんも一応注意はするものの半ば諦めているようだし。通常の怪我で死ぬ、ということはなくても、やはりこうして頻繁に怪我をして帰ってくるのは心配で仕方ない。必要以上に怪我をしてほしくないと伝えたところでスナイダーさんには響かないことはわかりきっている。今までも散々伝えてきた。そしてその度に「くだらん感情論だ」と一蹴されてしまう。伝わらないのがこんなに辛くて悲しいだなんて思いもよらなかった。
「お前……どこか体の具合でも悪いのか?」
「えっ?そんなことないですよ」
「なら、何故苦しそうな顔をする?」
「……スナイダーさんの怪我が痛そうだから」
「……お前の言うことは時々理解不能だ」
「でしょうね」
私の心配なんてわかろうともしないスナイダーさんにほんの少しだけ苛立ちながら苦笑する。もし、自力で戻ってこられないほど深い傷を負ってしまったら。もし大勢の敵に囲まれてしまったら――私はスナイダーさんが姿を消す度ぞっとする。スナイダーさんは強い。でも、絶対に負けないという保証はどこにもないのである。こんなこと言ったらきっと怒るだろうから言えないんだけど。
「俺が銃だから、か」
患部に当てていた私の手にスナイダーさんの掌が重なる。はっと顔を上げると紫の瞳が眼前に迫っていた。近くで見れば見るほど、宝石みたいに綺麗だ。うっかり見つめてしまえばそのまま目が離せなくなる。もし私がエンフィールドさんならこの瞳に囚われてすぐに改造されてしまうだろう。そんな馬鹿げたことを考えて視線を逸らす。もう怪我はすべて治っていた。しかし、さきほどまで治療も終わらないうちに飛び出してしまいそうだったスナイダーさんは微動だにしない。自分より一回り大きな手からはほんのり暖かさが伝わってくる。彼の身体もこの掌もたしかに人間だ。皮膚を裂けば血が出て、栄養や睡眠を取らなくては活動もできなくなる。なのに、人間ではない。この矛盾を私はどうかみ砕けばいいのだろう。スナイダーさんに対して抱くこの歯痒い気持ちすら間違っている気がしてわからなくなる。意識した途端緊張が遅れてやってきて今度は私の方から手を離そうとしたが、スナイダーさんに手首をしっかり掴まれてしまった。
「俺は強い」
「え……あ、はい」
「お前が心配する理由などないはずだが」
「強いのは知ってますけど……やっぱり、大事な人が傷つくのは嫌なものですよ」
「……」
「あ、人扱いされるの嫌でしたか?」
「……お前が怪我をしたときは、真っ先に俺のところへ来い」
「は、はい?」
「わかったか、」
「いやそれは……約束できない、かも?」
「口答えするな。お前は俺のマスターだろう」
どうしてマスターである私の方が気圧されているのだろうか。スナイダーさんとももっと対等な関係になれたらいいのだけど……道のりはまだ遠いらしい。釈然としないながら「善処します」とだけ答えた。まあ、努力目標ということにしておこう。
「ていうか、私のことマスターだと思ってるならもう少し歩み寄ってくれてもよくないですか」
「必要ない。が俺に歩み寄ればいいだけのことだ」
「私はかなりそうしてるつもりなんですけどねぇ……」
相変わらずの俺様具合にいっそ感心する。「俺だけいればいい」だの「他のやつらに構うな」だの、事情を知らない他人が聞いたら誤解されそうな危うい台詞ばかり口にするスナイダーさんだが、それらが全て本心というのがまた恐ろしいところだ。もちろんスナイダーさん以外の貴銃士たちを手放すつもりはないのだけれど、もしも……もしも、本当に私たち二人だけになってしまったとしたら、彼は変わらず同じ台詞を言ってくれるだろうか。
2022/06/07
陽炎にも似た儚い君