※日本人マスター
※図書館でだらだらするだけ





 一日の講義が終わり、士官候補生たちが帰り支度を始める。その内の一人であるも例に漏れず教科書やノート類をまとめて立ち上がった。頭の中で放課後の予定を思い浮かべてみるが、今日は当番もなく夕食まで時間が空いている。本でも読んで過ごそうかと考えたは図書館への道をのんびりと歩いた。フィルクレヴァート士官学校は広大な敷地の中に様々な施設が点在している。目当ての図書館は学科棟を出て左手。円形をした図書館は校舎と同じくらいに大きくその存在を主張している。士官学校の名物といっても過言ではないほど特徴的だ。はすぐに図書館へは入らず、建物の周囲をぐるりと周った。初夏の日差しが眩しいものの、所々に植えられた木によってちょうどよく遮られていて散歩にはもってこいの陽気である。あの太陽もすぐに隠れてしまうだろうか。がイギリスに来て驚いたのはその気候変動の激しさだった。陽がさんさんと降り注いでいたかと思えば数分後にはもう分厚く黒い雲が広がっていたりする。そして次の瞬間、日差しの代わりに今度は大粒の雨が零れ落ちてくるのだ。

「わっ!」

 なんとなく図書館を見上げながら歩いていると誰かにぶつかってしまった。跳ね飛ばされてぐらつくの腕をその相手が咄嗟に支えたことで尻もちは免れる。

「す、すみません……!」
「お前なあ……よそ見して歩くなよ。危ねーだろ」
「あ……八九か」
「八九かってなんだよ、八九かって」
「いや深い意味はないけど」

 内心ではぶつかったのが知り合いで良かったと思っているは誤魔化すように肩を竦めた。「八九」こと89式小銃。日本の現代銃である。そのせいなのか、マスターと貴銃士という関係でありながら2人はどこか友人のような心安い間柄だった。だが果たして貴銃士にが感じているのと同様の「親愛」という感情はあるのだろうか。彼らにも相性や感情はあるものの、それが人間と同じ枠にあてはめられるのか、には自信がない。短い付き合いというわけでもないが、完全に貴銃士を理解するにはまだ遠いと感じていた。

「図書館に用事か?」
「用事というか、ちょっと夕食まで読書でもしようかと」
「は~~、さすが、マスターさんは真面目だねぇ」
「真面目なマスターを持つ貴銃士さんも、一緒にいかが?」
「……ま、たまには漫画以外の本でも読んでみるか」
「ラノベは置いてないと思うけど、大丈夫?」
「わかってるっての」

 一体どういう風の吹き回しなのか。八九に軽く小突かれながら、は今度こそ図書館の入口をくぐる。「今日の講義もだるかった」などという彼のぼやきには苦笑せざるを得ないが、根は真面目な八九のことだから授業態度は悪くないのだろうと予想した。今度教官にそれとなく様子を聞いてみよう。司書のゾーイさんと軽い挨拶を交わし、は小説の書架に向かおうとしてふと足を止める。今日は小説はやめて貴銃士についての勉強でもしようかと思い立ち、くるりと体の向きを変えた。の胸中にはさきほどの貴銃士たちへの疑問がつかえている。今まで深く考えたことなどなかったくせに、今日に限ってこんなに気になるのはどうしてだろう。そして一度気になってしまうと確かめずにはいられなくなるのだった。
 目当ての資料を数冊手に取ると、は閲覧席へ向かう。人のまばらな奥側の閲覧席で八九は椅子からずり落ちそうな体勢を取って本を広げていた。あんな姿勢では逆に落ち着かなさそうなものだけど……そう思いつつもつっこみはせず、彼の目の前の席に腰を下ろした。八九もちらりとに視線を寄越したがなにも言わず再び読書へと戻る。
 貴銃士とは、銃の化身。人の肉体を得た銃。そういった基本的な事柄は資料に載っているものの、の知りたい情報はなかった。それらしい本をいくつか持ち出してみたが、すべて同じ調子だ。
 自身は貴銃士たちのマスターであるため必然的に彼らとの距離が近い。だからこそもっと理解したいとも思っているわけだが、そうでない人間からすればこの程度の基本情報があれば十分、ということなのだろうか。それに、この士官学校でも貴銃士を恐れて近寄ろうとしない生徒が何名もいる。から見れば彼らを必要以上に恐れる理由などない。貴銃士はともに戦う仲間だ。八九も――元は世界帝の一員だった彼も、今は仲間の一人なのだ。だが士官候補生の中にはそれを責める者がいた。彼らの溝は深い。士官学校へ入校するまで戦いとは無縁だったにも、その確執を解決することが簡単ではないことはわかっていた。それでも、貴銃士たちに心無い言葉が浴びせられれば自分のことのように悲しく、傷つくのだ。八九は、貴銃士本人はそれをどう思っているのだろう。彼が過去に対してなにか考え耽っていることをは知っている。怒り、喜びといった感情を露わにする貴銃士は多い。だが悲しみは、そして愛情はどうだろう。初対面のマークスが自身の感情に名前をつけられず困惑していたことを思い出す。人間と同様の感情を抱いていても、それがなんなのかわからない、というパターンも存在するのだということには気付いた。ちら、と目の前のテーブルに着いて大人しく読書に勤しむ八九を盗み見る。貴銃士の中でも感情表現が豊かな部類である八九ならもしかしたら――

「……そんなじろじろ見んなよ……読みづれぇんだけど……」
「あっごめん」

 八九の背中がいつも以上に丸く猫背になる。「シャキッとしなよ」と背中を叩いてみたことも何度かあったが、いつになっても改善する気配はない。

「つーか、それ小説じゃねぇじゃん」
「うん。なんか気が変わっちゃった」
「……俺らの本か」
「う、うん……」
「聞きたいことがあるなら本人に直接聞いた方が早くね?」

 それができたら苦労しないんだけど……という台詞を苦笑に変えて、曖昧に返す。八九は読みかけの本を躊躇なく閉じて頬杖をついてを見た。答えてやるから早くしろといわんばかりの視線が投げつけられる。はてさてどうしたものか……と、目を泳がせるに向かって、八九の手が伸びてきた。が、広いテーブルの向かい合わせでは届くことは叶わない。鼻先で伸長をやめた彼の指が視界に入り、はこくりと喉を鳴らした。

「なに、この手は」
「……、お前ちょっと痩せたか?」
「そんなことない……っていうのもちょっと癪だけど」
「ちゃんと飯食ってんのかよ」
「なんか今日優しいね」
「は?俺はいつも優しいだろ?」
「……そう、かな?」
「そこは肯定してくれよ」

 最近アウトレイジャーの出現頻度が増え、そのたびにも貴銃士と一緒に駆り出されるため、簡素な携帯食で済ませることが多くなっていた。最低限の栄養は摂れるもののやはり物足りなさは否めない。これが八九の言うところの「ちゃんとした飯」ではないことくらいにもわかっていた。ただ、他人に指摘されるほど激痩せしたという自覚はなかったため彼の反応を見て少し不安になる。はあ、とため息を吐いた八九は手を引っ込めて自身の首元を擦った。

「またぶっ倒れないように気をつけろよ」
「……私、そんなにしょっちゅう倒れてないと思うんだけど」
「そうだったか?」
「マークスが心配しすぎだから多く感じるんじゃないかな」
「あー……百里あるな」
「そんな日本語はない」
「お前知らねーの?今時の若者はみんな使ってんだぜ」
「……その言い方がすでにおっさんくさいような……」
「ほっとけ」
「見た目は男子高校生みたいなのに」

 士官学校の制服を着ているから余計にそう見えるかも、とが笑う。在坂も同様だ。八九の先輩ではあるが彼よりずっと小柄な在坂は見た目だけなら学生にしか見えない。ただ彼の異様な落ち着きようと独特の雰囲気が只者ではなさそうな印象を与えていた。その点八九は貴銃士としての能力を除けば「オタク気質の若者」だ。だからこそとも馬が合うのだろう。

「おっと、忘れるところだった……。今週の休み、暇か?」
「暇だけど……どうして?」
「アレ行きたい言ってただろ……アレ」
「……新しくできたカフェのこと?」
「ああ、それだ。付き合ってやろうかと思ってさ」
「え、別に1人で大丈夫だけど」
「そんなつれないこと言うなよ……」
「逆に聞くけど、どうしてそんなに行きたいの。絶対興味ないじゃん」
「……これには深いわけがあってだな」
「ここにおったか。探したぞ」

 八九の背後から邑田が顔を覗かせた。気配なく現れた邑田に驚いたのか、八九が面白いくらい肩をびくつかせる。その様子を見たは、彼の言う「深いわけ」を瞬時に察した。

「おまっ……!だからその登場の仕方やめろって」
「おや。なにか不都合でもあるのかのう」
「心臓に悪いんだよ!あーびっくりした」
「おお、それはすまんな。それより八九よ。今度の休日のことだが――」
「うっ……」
「邑田さんごめんなさい!その日は私が八九に付き合ってもらうことになってるんです」
「……八九や。おぬしを脅したわけではあるまいな」
「あんたじゃないし、しねーよそんなこと……」
「ん?」
「ナンデモアリマセン」

 邑田は扇子を口元に当ててをじっと見る。敵意こそ感じないものの、なにを考えているのかわからない貴銃士の筆頭である邑田に見つめられればたじろいでしまうのは当然の反応である。

「……では、埋め合わせはにお願いするとしよう」
「えっ」
「案ずるな。八九のように無理難題を押し付けることはせぬ」
「っておい、自覚あんのかよ」
「さて……なんのことやら」

 が口を挟む暇もないまま、邑田はあの上品で不穏な微笑みを残し出口へと向かっていく。一体なにをお願いされるのだろう……。は内心ドキドキしつつ彼の背中を見送った。それが完全に見えなくなってから、八九が盛大なため息を零す。

「マスターさんに感謝してよね」
「ああ。マジで助かった」
「で、カフェはちゃんと付き合ってくれるんでしょうね」
「わーってるよ」
「なにそれー!イヤイヤなら別にいいよ」
「嫌とは言ってねえだろ」
「……ふーん」
「なっ……んだよそのニヤケ顔!」
「別に。じゃあそのお礼に今度八九の好きなもの食べに行こうか」
「おっマジで?おごりか?ラーメン食おうぜラーメン!」
「現金だなあ……ていうか、ラーメン屋さんてイギリスにもあるのかな」
「安心しろ。調べはついてる」
「さ、さすがだな……」

2022/04/14
言葉をかわすよりきっともっとずっと::ハイネケンの顛末