「うわあ…」

 どんより重い雲から大粒の雨が落ちてきていた。今朝は寝坊してしまってものすごく急いでいたから、雨が降るということをすっかり忘れていたのだ。玄関先に立ち尽くす私を他所に家路につく生徒たちを見送りながら誰か、友達でも通らないかなとキョロキョロ周りを見渡すが、こんなときに限って友達どころか知りあいすら誰も居なかった。

「お前傘ねーの?」
「……はぇっ!?」

 その人は特に目立つような人でもない、所謂「普通の人」だ。何処にでもいる高校生。どうしてそんな人を好きになってしまったのかはよく覚えていないけど、いつからか目で追うようになってしまっていた。女の子と話すのが得意ではないのかたまに話すことがあるときもあまり目を合わせてくれなくて、ほんのり赤くなったほっぺたが可愛いと思った。かくいう私も別段目立った女子ではなく、どちらかというと地味なグループに属していたので同族意識というやつである。私と火風くんの接点は「クラスメイト」それだけ。用事がなければ喋ることもなく、目を合わせることもない。そんな「クラスメイトの男子」に突然話しかけられたら驚くのも無理はないと思う。

「ほっほ、火風くん」
「吃りすぎじゃね?」
「ごご、ごめんなさい」
「いや別に悪くはないけど」

 苦笑しながら「傘ないなら入ってく?」なんて言われた私は盛大に混乱した。だって、それはつまり、もしかしてもしかしなくても相合い傘ってやつになるってことだからだ。これをラッキーと思うのかやばいと焦るのか、少し難しいところだった。火風くんと話したことがあるのは移動教室で偶々隣になって教科書を一緒に見たりとか、一緒の日直になった時で、片手で足りるくらいの回数でしかない。そんな相手と長時間一緒に居て一体何を話せばいいのかわからなかった。しかもこれが好きな人となるとますます難しい。告白なんかする勇気もない私は「ただ見てるだけでいいや」と少女漫画の内気主人公ばりに引っ込み思案で内向的な性格の持ち主なために火風くんは愚か、男子と気軽に喋ることなんて滅多になかった。いやしかしこんなチャンスもう二度とないかもしれない。これを逃したら一生後悔するかもしれない。

「あの、お、お願いします」
「おーじゃあ帰ろーぜ。家どっち?」
「こっち……だけど」
「なんだ、同じ方向じゃん」
「え?そうなの?」
「うん、この先の公園の近く」
「うわぁ、じゃあ、かなり近いよ」
「まじで?知らなかった……」

 思わぬ共通点にテンションが上がったせいか会話は想像以上にいい感じに盛り上がった。まさか、ご近所さんだとは思わなかった。今まで出くわさなかったのが不思議なくらいだ。私、変な顔してないかな……ちょっと顔熱いけど、ばれてないよね……。火風くんの顔をちらりと伺ってみたけど別段普通だったのでほっとしたものの、こんなことで動揺して浮かれてしまう自分に呆れて小さくため息を吐いた。当たり前だけど私がひっそり想いを寄せているだけでは火風くんには一生伝わらないのだ。見てるだけで満足だと思ってるのは嘘ではないけれど、こうして声をかけてくれたりすると期待してしまうのが乙女心というものだと思う。

ってしっかりしてると思ってたけど結構抜けてんだな」
「えっ?そ、そうかな?」
「いや、だって……今日朝から雨降りそうだったのに傘持ってねーし」
「あ、あはは……今日はたまたま天気予報見忘れちゃって」

 火風くんの中で私はどうやらしっかり者として認識されていたらしくて、寝坊したとは何となく言い出しづらくなってしまったがそれはそれで嬉しかったからイメージは崩さないようにしておこうと思った。雨足はいつの間にか強くなっていて、私たちは最早水溜まりではなくて川を歩いているような状態で靴も足もびしゃびしゃになっていく。ローファーの中がぐじゅぐじゅで気持ちが悪い。

「あ、私の家ここ……」

 もう家に着いてしまったことに内心がっかりしつつ通り過ぎるわけにもいかないので控えめに話しかけた。火風くんはそれに気づかずすっと前を向いていて、私はそのきれいな横顔に少しだけ見惚れてしまった。どうやら雨の音でかき消されてしまって聞こえなかったらしい。今度は火風くんの制服をくいっと引っ張って主張してみた。びくっと、面白いくらい肩を震わせた火風くんはびっくりした顔でこちらを向いたので思わずごめんと口走る。

「ど、どした?」
「あ……私の家、ここなの……」
「あ、そ、そっか、ここねはいはい」
「……嫌だった?」
「えっ?何がっ?全然!?」
「ご、ごめんね」
「いやいや全く問題ないけど!じゃあな、また明日!」
「うん、あ、ありがとう、ばいばい」

 彼の後ろ姿が見えなくなるまで見送って、それから、どたばた走ってお風呂場に直行したらお母さんに怒られてしまった。早くお風呂で温まって、顔の熱をごまかそう。

溺れた魚みたいに息苦しい