ろくでもなくすばらしい世界に眠れ4
さんを訪ねると杉山さんから「お嬢様の体調が優れないようなので申し訳ありませんが本日はお通しできません」と言われてしまい、一瞬頭が真っ白になった。誰にも会えないほど具合が悪いのか、それとも彼女が言っていたようにこの人が必要以上に心配性なだけなのか問い詰めたかったが、杉山さんは申し訳ありませんと繰り返すばかりで中に入れてくれそうな気配は全くない。今日も手土産を持ってきたのだが仕方がないからこれだけ渡して帰ろうかと思っていると、庭の奥からさんが現れて僕がびっくりしたのはもちろんだが杉山さんもこの世の終わりのような驚愕の表情を見せた。
「大丈夫だって言ってるのに……」
「いけません、熱があるんですから大人しく横になっていてください!」
「微熱じゃないですか……」
「風邪でも引いたんですか?」
「ええ、まあ」
もしかして先日芭蕉さんの家に行ったのが原因だろうか?しかしあんなちょっとの距離を歩いただけで、そこまで簡単に体調を崩したりするものだろうか。少なくとも僕や芭蕉さんはそんなこと絶対ないだろう。しかし「虚弱体質」のさんにとっては大げさでもなんでもない、立派な原因なのだと気づく。皮肉なことだがこうして弱ったさんを目の当たりにしてからようやく「ああこの人は本当に体が弱いのだな」と得心した。歩くのもしんどそうな様子なので今すぐ担いででも部屋にぶち込みたい気持ちだ。世話係である杉山さんは確かに心配しすぎなきらいはあるが、今なら彼の気持ちがわかるような気がした。
「曽良さんの声が聞こえたから来ちゃいました」
「具合が悪いなら寝ててください」
「いや寝込むほどではないんですけど」
「いいから早く部屋に戻ってください」
「……はい……」
「お土産を持ってきましたから、部屋で食べましょう」
「……はい!」
表情がコロコロ変わるさんは人懐っこい犬みたいで飽きないなと笑いそうになるが、その横で杉山さんが思いっきり苦い顔をしていることに気付いてぐっと堪える。諦めたのかはあ、とため息を吐き「それではお茶をお持ちします」と言った杉山さんには申し訳ない気持ちもあったが、部屋で大人しくお菓子を食べるくらいなら大丈夫なはずだ。彼女が大人しくしていてくれればの話だが。現に寝ているように言いつけられていたにも拘わらずのこのこと外へ出てきているのを考えると少し難しいかもしれない。しかし僕の声が聞こえたからとわざわざ出てきてくれたのには、正直な話呆れたよりも嬉しいという感情の方が大きかった。僕は彼女に必要とされているのだという喜び。彼女の居る小さな箱庭に自分も入ることができたという優越感を感じていた。
「折角来てくださったのにこんな恰好ですみません」
「いえ、特に気にしてませんが」
「でも風邪がうつったら大変だから今日は早めに帰ってくださいね」
「僕は病気とかあまりしないのでお気づかいなく……まあ風邪が悪化したら困りますし長居はしないようにしましょう」
「直ぐに治りますよ」
「……そうですか、ああ、今日は大福を持ってきました」
「大福ですか!いいですねぇ、私大好きです」
「……逆に嫌いなものはあるんですか」
「嫌いな食べ物ですか?う~ん……」
「さんなら何でも食べそうですよね」
「……うう、否定できない……」
大福をほおばるさんは一見普段通りだが熱のせいで顔が赤く、心なしか声にも張りがなかった。ふと、僕が居る事で逆に無理してから元気を振りまいて体調を悪化させるのではという考えが過ぎる。そうすると今度は熱は上がってないのかと心配になり、赤く染まる頬に手を当ててみると確かに平熱ではなくじんわりとした熱さが伝わってきた。
「えっ?あの、何ですか?」
「熱は、大丈夫かと」
「だ、だい、じょうぶですから、あの」
さんは明らかに動揺している。これは照れているのだろうか。可愛いところもあるんだと本人にだいぶ失礼なことを考えながら、面白かったので暫くそのままにしてみた。熱を計ってるのでじっとしててくださいと尤もらしく言ってやれば目を泳がせながらも素直に従うところはなんとも加虐心を煽られる。
「高熱というわけではないみたいですね」
「ええ、まあ……ってさっき言いましたよね微熱って」
「念のためですよ。悪化でもしたら大変でしょう」
「はあ……」
「どうかしましたか?」
「……別に、何でもないです」
「あ、一応もう一回熱計りましょうか」
「……っ!結構です!」
そんなに叫んで大丈夫なのかと思うくらい大きな声を出したさんは布団を頭から被ってしまい、流石にからかいすぎたかと反省する。ふくらんだ布団に手を当てて「次に僕が来る時までに治してくださいよ」と言い添えると、中から微かに返事が聞こえた。