ろくでもなくすばらしい世界に眠れ2
「先日は餅を御馳走になったので琥珀羹を持ってきました」
「うわああああまじですか!こはく!!!ありがとうございます!」
「甘いものはお好きですか?」
「そりゃもう、三度の飯より甘いものですよ!」
「虚弱体質が何ふざけたこと言ってんですか」
ぺしりとおでこをはたきつつ「えへへ」と悪びれもせず笑うさんに土産を渡す。虚弱体質治す気ないだろと呆れもしたが、自分の持ってきたお土産で子供のようにはしゃぐ彼女の姿に安心している自分がいた。どうやらここ数日はすこぶる体調が良いらしく、運が良いのか悪いのか僕はまだ一度も寝込んだ彼女を目にしていない。それでも一日三回決まった時間の薬は欠かせないようで、粉末の白い薬を泣きそうな顔で飲んでいた。
「そうだ曽良さん、最近体調が良いから少しなら外に出てもいいってお医者様が」
「それはおめでとうございます」
「だから、芭蕉さんのお家に連れて行ってくれませんか?」
「……どうしてよりにもよって芭蕉さんの家なんですか」
「え?だって一度も行ったことなくて」
「僕はほぼ毎日行ってますのでお腹一杯です」
「めっちゃ自分本位な理由!」
「他の場所にしなさい」
反論は認めませんとばかりにぴしゃりと言い捨てると、さんは素直に別の場所、別の場所……と呟きながら僕の持参した琥珀羹を口に放り込んだ。今まで外に出たのは数えられるほどしかなく、それも療養にと有名な温泉地に出かけた以外はほとんどが近所への散歩らしい。なんでもないようにしれっと言われ、らしくもなくどう反応したらいいのか困ってしまった。それは大変ですねなどと全然気のきかない台詞しか思い浮かばず僕は言葉につまる。わざわざ芭蕉さんに会いたくもないという自己中極まりない理由で目的地を変更させるというのは酷なのではないかとさえ感じ始めた僕は思わず顔を顰めた。
「何か、怒ってます?」
「いいえ?何故ですか?」
「怖い顔してますけど……」
「これが地顔なので気にしないでください」
「……すみません次回までに考えておきますね」
「そんなに悩むならもう芭蕉さんの家でいいですよ。不本意ですが」
「本当に不本意そうに言うのやめてもらえます?」
「本当に不本意なんですよ、さん」
「でも付き合ってくれるんですね」
「貴女がさっさと決めないからです」
「ごめんなさい」
笑いながら謝るってどういう状況だと思ったがまあさんが楽しそうで何よりだ。初めて会った時のようなしおらしいさんには正直どう接していいのかわからないから、できればそのままずっと笑っていてほしいと思う。そうすれば僕も普段通りの自分でいられる。さすがに芭蕉さんのような扱いはできないが、言いたいことをそのまま言って悔しそうにしたり怒ったり、いろいろな顔が見られる。もしかしたら彼女に足りないのはこんな風に笑って生活することなんじゃないだろうか?いつからここに一人きりなのかはわからないが、恐らく幼い頃から友達と外で走り回って遊ぶこともなかっただろう彼女はその分寂しい思いもしてきただろう。あの妙に悟ったような考え方も、人生を諦めたような言い方も、部屋の中でずっと一人で抱え込んでいたせいではないだろうかという予想に行きついた。
「では行きましょうか」
「え、今からですか?」
「そのつもりだったんじゃないんですか?」
「いやさすがにアポなしはまずいんじゃ」
「大丈夫ですよ、芭蕉さんですから」
「曽良さんて……芭蕉さんのこと好きなのか嫌いなのかわからないですね」
「嫌いじゃありませんけど好きでもありませんね。ただただムカつきます」
「あはは、芭蕉さんが言ってた通りだ」
「……あのジジイ、何か余計なことでも言ってたんですか」
「はい、すごくドSな弟子が居るって」
「……チッ……」
「しかも優秀すぎて自分の立場が危ういからどうしようって相談されちゃいました」
「芭蕉さんのくせに生意気ですね」
「今度、優秀なお弟子さんの俳句を聞かせてくれますか?」
「……気が向いたら詠んであげます」
杉山さんに「くれぐれも、くれぐれもよろしくお願いします」と数えるのもうんざりするくらい頭を下げられた後、徒歩20分程度の距離にある芭蕉さんの家へと向かった。余程嬉しいのか今にもスキップしそうな勢いのさんを気にしながら、僕も随分甘くなったものだなと自嘲した。