「自殺者、ですか」
「そうだ。お前も知っている通り自殺した者は現世に深い恨みや苦しみ、無念を残していることがほとんどだ。そのせいで地縛霊となり、今も現世で死の場面を繰り返しているようだ」
今はまだ人間に直接影響を及ぼす類ではないようだが、変異する可能性があるため回収に行くようにとの要請だった。木舌は渡された資料に目を通す。10代半ばの少女。ある事件によって母と姉を亡くしたことで彼女の世界は一変した。父親は精神を病み、酒を飲むと手が付けられないほど暴れるようになった。人生に悲観した少女は包丁を使って自ら命を絶った。
包丁で自殺するなんて、余程の覚悟がないとできないことだろうに。木舌自身に自殺の経験はないが、肉体が傷つく痛みは知っている。彼は同情するとともに憐み、そして少しだけ感心してしまった。
少女が死んだのは自宅の中。父親が二階で酒を煽り暴れだした頃、キッチンでその短い人生に自ら幕を下ろした。その家はすでに売家となっている。死者が出たとあって、一度も買い手は付いていないらしい。一見、ごく普通の新しい一軒家だった。レンガ色の屋根にクリーム色の壁面。広い庭が付いていたが手入れをする者もおらず荒れ果てていた。木舌は家の周囲をぐるりと周って屋内への侵入経路を探す。獄卒は普通の人間には視認できない。かといって亡者のように物理法則を無視して壁を通り抜けるようなこともできないので、扉や窓から入るほかなかった。どうしたものかと考えていた木舌だが、ふと、小窓のガラスが割られていることに気付いた。悪戯なのか、幽霊屋敷という不名誉な噂によって心霊スポット扱いされて、誰かが面白半分に侵入した形跡なのか。とにかく、なんとか家の中に入れそうだと木舌はその小窓へ手を伸ばす。日本の成人男性の平均身長を軽く10cm以上超えている木舌には造作もないことだった。背伸びをするような必要もなく、ガラスの割れた穴から器用に手を入れて鍵を開ける。
内部は埃が積もっているものの、なにもなくきれいな状態だ。キッチンはすぐ見つかった。対面式のカウンターが付いた、白を基調としたキッチンだった。かつてはこのリビングで家族が団らんしていたであろう姿が想像できる。木舌はリビングで一度立ち止まり、亡者を探した。どこかでガラスをたたき割るような音が聞こえ、木舌は廊下の先にある階段へ目を遣った。二階から聞こえたようだが……人間が入ってきたのだろうか?と、今度は近くからドタンと大きな音が聞こえたので、キッチンの中を覗く。そこには首側面にぱっくりと大きな赤い切れ目の入った少女が倒れていた。虚空を見つめたまま、首から血を流してゆっくりとパクパク口を動かしている。木舌には気づいていないようだった。
「……君はそうやって、死んだんだね」
段々と少女の呼吸が浅く、遅くなり、やがて瞼を半分ほど下ろした。木舌が少し離れたところからこと切れる様子を静かに観察していると、床に倒れていた血まみれの少女は何事もなかったかのように立ち上がり、包丁を取り出した。その時はすでに床の血だまりも、彼女自身の怪我も血の跡も残っていなかった。少女は震える手で包丁を固く握りしめたまま、恐怖に満ちた表情を浮かべている。ぼろぼろと零れ続ける涙も気にせず、包丁の切っ先を見つめていた。
「――さん、もう死ぬのはやめて、一緒に行こう」
少女の死ぬ手順の中に、木舌は存在しなかった。今まではなかった部外者が現れたことを理解でず、少女はぼんやりと木舌を見上げた。相変わらず涙は止まらなかった。苦しい、悲しい、怖い……助けて。そうだ、助かるためには死なないといけない。目的を思い出した彼女は木舌からふいと顔を背けて再び包丁を自身の首元へつきつけた。死ななきゃ。そう思って腕を動かそうとしたのに、木舌が腕を掴んだせいでびくともしなかった。少女がむっとして木舌を見上げる。だが木舌は怯む様子もなく優しくにっこりと微笑んだ。
「あの、私これから死なないといけないので、放してもらえますか」
非難するような口調にも関わらず、どこか無機質な声音に聞こえた。
「もうそんなことしなくていいんだ。さあ、その包丁を置いて」
「だめです、私、死ななきゃいけないので」
資料で読んだとおり、この人間は死ぬことに囚われていた。自殺者は死の瞬間を繰り返す。何度も、何度も、何度も。苦しみに耐えきれず死を選んだのに、死んでからもその苦しみを永遠と続けるのだ。なんて愚かなんだろう、と木舌は同情した。人間は愚かで、憐れで、弱い生き物だ。死の先になにがあるのかも知らないで。それでも慈悲はある。どんな人間にも、それこそ凶悪な犯罪を犯したようなどうしようもない人間だったとしても、素直に罪を認めて償えば、「次」が約束されている。ましてや目の前の少女はそんな凶悪犯なんかではないし、狂暴化して人間を手あたり次第手に掛けるような悪霊でもない。ただ、不幸に選ばれてしまった、憐れな人間だ。
「君には生まれ変わるという選択肢があるんだよ」
「生まれ変わる?」
「君は死んだ。おれと一緒に行こう。生まれ変わるために」
「そんなの……いりません。大丈夫です。私、死なないといけないんです」
「生まれ変わるのが嫌なのかい?」
「生まれ変わったら、私は私じゃなくなるんですよね?家族のことも忘れてしまうんですよね?それなら、このままがいいです。ずっと死に続けます」
そうか……君は、自分を失うのが怖いんだね。家族と過ごした幸せも、生まれ変わればすべてリセットされてしまう。たとえ死を選ぶほどの苦しみがあっても、それ以上に家族を失うのが怖いんだ。木舌がこんな風に自殺した亡者を説得するのは初めてではない。生まれ変わりたいと願って死んでいった者もいれば、彼女のように拒む者もいた。
「……生まれ変わるのって、そんなに悪いことじゃないと思うけどなあ。まあおれは獄卒だから、そういうのよくわからないけど……」
「わからないのに、どうして言い切れるんですか?」
「たくさん見てきたからね」
にこりと木舌が笑いかけると、それまで頑なだった少女の手から少しだけ力が抜け、包丁が下がった。生まれ変わることがすべての人間にとって良いこととは限らない。なぜなら、来世も人間に生まれる確証はないし、生まれ変わった先にはまた厳しい人生が待っているかもしれないのだから。それでも木舌は信じていた。人間はどうしようもなく愚かで、憐れで、弱い生き物だけれど、それだけではないと。
「…………お兄さんは、誰なんですか?」
「おれは――君を迎えに来た、地獄の鬼だよ」
***
なんだかひどく懐かしい夢を見た。静かに目を開けるとさきほどの光景が急速に遠ざかっていく。ゆっくりと覚醒した木舌はぼんやりする頭の中に段々と誰かの声が聞こえてくるのに気が付いた。その正体を理解するより早く、自室のドアが開けられてが入ってくる。
「きーのーしーたーさーーーーん!!あっさでっすよ~!」
早朝にも関わらず目覚まし時計よろしくやんややんやと喧しいを、まだ眠そうにとろりとした花緑青が捉える。枕元に座り込んで「おはようございます」と笑ってみたがあまりにも木舌が無反応なので、もぱちくりと目を瞬いて彼を見つめた。
「……木舌さん?ごはんの時間ですよ?」
「うん……」
相槌はするものの一向に起き上がる気配はない。木舌は寝起きが悪い方ではなかったはずだ。まさか、田噛さんが乗り移った……!?などと一人でショックを受けているだったが、次の瞬間木舌の手が伸びてきて頭頂部から髪の先を優しく滑っていった。ますますわけがわからない。あ、この人寝ぼけてるな?テーブルの上にカラの酒瓶やビールの缶が複数乗っていたので晩酌していたのは疑いようがない。任務が終わったから飲むぞーと息巻いていたし、珍しく二日酔いでもしているのだろうか。何度も頭を往復する木舌の手はいつものように優しくて、でもこんなにもまっすぐ見つめられながら撫でられたことなど今までの記憶になかったものだからは段々照れが出てきてしまう。
「……木舌、さん?」
反応に困って再度名前を呼んでみる。しかし木舌は相変わらず「ん……」と曖昧な反応しか返さなかった。
「あの、ごはん……なくなっちゃいますよ」
「ああ……そっか、朝ごはん……起きないとだ」
ようやく頭がはっきりしてきた木舌はから手を離してのそりと起き上がる。は頭にはてなマークを浮かべて微妙な顔をしていた。
「いやあ、なんだか夢を見たみたいでね。そうそう、に似ている女の子が出てきたよ」
「私に?どんな夢だったんですか?」
「そこまではっきりとは覚えてないんだけど、任務の夢だったかな」
「それは普通に私では……?」
「うーん、そういう感じではなかったんだ」
「あっ、じゃあ新メンバー加入の予知夢とか!」
「なるほどねえ。おれにも予知夢の能力があるのかもしれないね」
「……って、そんなのんびりしてないで早く起きてきてくださいよー!」
ぷんすかしながらは木舌の腕を掴んでぐわんぐわんと大きく揺すった。別に全員揃ってからいっせーのでいただきますをするわけでもないので寝坊した場合ごはん抜きになるだけなのだが、キリカに頼まれてしまっては起こさないわけにいかない。美味しいご飯を作ってくれるキリカに歯向かうという選択肢はの中には存在しなかった。揺れながら木舌が「ははは、わかったよ、起きるよ」と降参したので「下に行ってますからね!」と立ち上がろうとしたのだが、その前にの腕がぐっと掴まれた。
「」
普段はなにもなくても基本的には笑顔の木舌がふと真顔になる。貴重なものを見れて嬉しいのが半分、なにを伝えたいのかとドギマギしてしまうのが半分で、は思わずごくりと喉を鳴らした。いつものゆるふわな彼が「お兄さん」を自称しているのはなんだか微笑ましい気持ちになるが、こんな風に真剣な顔を見せられるとああやっぱりこの人はちゃんとお兄さんなんだと実感してしまう。肋角や災藤のようにどっしりと構えていて頼りになる部分もあるのに、そこにどうしようもない大酒飲みでのんきすぎるところが混ざり合っていい塩梅に親しみやすさを醸し出しているからうっかり忘れてしまうのだけど。
「なん……ですか」
「…………ごめん、なにを言おうとしたか忘れたみたいだ」
木舌はふにゃりと笑ってすぐに腕を離した。はまた頭にはてなマークがいくつも浮かんでくる。
「また飲みすぎたんじゃないですか?」
「あはは、そうかもしれないなあ。良いお酒が手に入ったものだから、つい」
「もー!ほどほどにしないと佐疫さんにチクりますよ?」
「ええ~、見逃してくれないかい?頼むよ」
「バレたら私も同罪だからいやですー」
ベーっと子供みたいに舌を出して、は部屋から出て行った。パタパタと階段を下りる軽やかな足音が次第に遠ざかっていく。姿は見えないのに、その足音が消えるまでなんとなくドアを見つめ続ける。いつも通りのに安堵するとともに、昨日のあのはもういないのだと思うとどこか切なくもなった。必要悪というやつなのだろう。彼女の「一番痛い記憶」が消えて、またあの無邪気で少し幼い笑顔が戻ってきた。嬉しいことのはずだけれど、なにか心にささくれのようなものが残っている。懐かしい夢を見てしまった。木舌はふう、と息を吐いて思い返す。あれはかなり前の任務だったはずだ。まだ子供なのに、覚悟は一人前で感心したのを今でも覚えている。彼女は最後まで自分の手を取ってはくれなかったが、引き渡すときには自分へ深々と頭を下げていった。もちろん、その後どうなったのかはわからない。特務室の獄卒は、亡者を閻魔庁へ引き渡すまでが仕事だ。彼女は今も、罰を受けているだろうか?それとも、すでに罪を償って輪廻の道を通っていったのだろうか――。もしそうなら、あの子もこんなきれいな空の下を笑顔で歩いていけていればいいなと、木舌は一人笑顔を浮かべる。に説教されたことも忘れ、木舌はベッドの上でしばらくの間窓の外を眺めていた。
世界が終わる気がした: :家出
シリアス展開に頭使いすぎたので次からはしばらくしょーもないお話書きます。