斬島は「開かずの部屋」を壁伝いにぐるりと回ってみる。昔ながらの土壁は経年劣化によってところどころ剥がれ落ち、内部の骨組みが露出していた。少し手を触れるだけでも、乾燥した土壁がぽろぽろと砂のように落ちてくる。なにかの気配はする。怪異なのか、なのか……それはわからない。だが確実にこの部屋に「なにか」がいることは間違いないだろうと斬島は確信していた。一体どこにいるのか……そしては無事なのだろうか。
「斬島」
「なにかあったか?」
「いや、それはまだだけど……斬島は?」
「俺も、まだなにも」
「そう……実はさ、この床下が気になっているんだ」
「……ここまでなにもないと、可能性は高いか」
「うん。気配はずっと感じているんだけどねえ」
「木舌は、誰の気配だと思う?」
「難しい質問だなあ。本音を言えば、どちらでもあってほしいと思っているよ……おれ、獄卒失格かな?」
「いいや、俺も同じ意見だ」
任務第一、これは鉄則だ。だが仲間の安否を軽んじているわけではない。きっと怪異に取り込まれたのがでなかったとしても、同じ感情を持っただろう。しかし木舌はなにか胸騒ぎを覚えていた。彼女は自分たちと違い、獄卒としてはまだ未熟だ。肉体的にも精神的にも。だから肋角も単独の任務を与えていないのであり、もしが一人で分断された場合どうなってしまうのかは未知数だった。もちろん、自分を含め、特務室の全員がを信用していないわけではない。期待しているからこその処置であることはきっと自身もわかっているはずだ。早く見つけてやらないと。少し過保護すぎるだろうか?などと少し前の佐疫のような気持ちになりつつ木舌は作業に戻った。
中央の畳を一枚外してみる。と、そこにはなんの変哲もない木材が敷き詰められているだけだった。他の畳も同様にすべて外して確認したが、なにかが潜んでいる様子はない。
「はずれかなあ……」
「木舌」
「なにかあったのかい?」
「これを」
斬島は小さなお守りを見せる。桃色でころんと丸みのある、よくあるお守りだが神社の名前などは見当たらない。片面に「お守り」とだけ刺繍されている。畳を外した床下に落ちていたらしい。その割には汚れなどもほとんどないのは気になるところだ。肝試しをしに来た人間たちが落としていったのだろうか?
「廃校の時のように、亡者の記憶のかけらなのかと思ったんだが、どうやら違うらしい」
「ああ、マキさん……だったっけ」
木舌は目玉を抉られた苦い記憶を思い出し、懐かしいなあと笑う。斬島が廃校で拾ったマキの記憶の断片には、辛い記憶も幸せな記憶も詰まっていた。その時は、触れた途端強制的に記憶が脳内へ流れ込んできたのだが、今回はそのような現象が起きる気配はない。つまりこれは「現世の物」ということになるのだろうか。
「……これ、どこかで見たような……」
「見覚えがあるのか?」
「あるようなないような……ごめん、気のせいかもしれない」
ちょっと見せて、と木舌が斬島からお守りを受け取った。両面を念入りに観察しても、どこかで見た気がするがどこで見たのかはわからないというなんとも曖昧な感覚しか湧いてこない。
「もしかしての物かなあ……」
「その可能性は否定しないが……俺たち獄卒にお守りは必要ないだろう」
「…………たしかに、斬島の言う通りだ」
お守りとは人間の祈りのためにあるものだ。地獄の鬼である自分たちが欲するとは思えないし、持っていたところでなんの慰めにもならないことは明らかだった。
「なにかひっかかることがあるなら、念のため拾っておこう」
斬島がそう提案し、結局お守りは拾っておくことになった。木舌は桃色の小さなお守りを上衣のポケットにそっと滑り込ませる。もしかしたらそのうちなにか思い出すかもしれない。
「開かずの間」の畳を全て外したが、見つかったのはお守り一つ。怪異の手がかりも、の痕跡もなにもない。だがこの部屋が一番怪しいのはたしかだった。なにか見落としているのだろうか?木舌は些細な事でも思い出そうと、この廃民宿へ足を踏み入れてからのことを振り返った。たとえば、玄関。建物自体はこんなにも荒廃しているのに、入り口の外観だけはまだ営業しているのではないかと錯覚してしまうほどきれいに残されていた。……今はもう、木舌によって破壊されてしまって見る影もないが。入ってすぐの受付なんかがある空間は廃墟そのもので、壊れた時計や黒電話、ガラス、椅子やテーブルなどがごみ捨て場のように折り重なっていた。が消えたと思われる、客室へ続く廊下は砂埃で真っ白になっていたが、そういえばガラクタはほとんどなかった。肝試しに来た人間たちが除けた?それとも最初から?そして、客室内部は――
「この民宿ってさ、不思議だよね」
「なんだ急に」
「いやほら、部屋を確認しただろ?あのときに思ったんだけど。どの部屋にも必ず布団が一組以上あったことには気づいたかい?」
「元は民宿だったのだから、当然じゃないのか?」
「でも、どれもまるで『誰かが使ったあと』みたいな形をしていたんだ」
「良く見ているな」
「たまたまだよ。それでね、ここからがもっと不思議なことなんだけれど」
木舌がもったいぶるように人差し指を立てて言葉を切るので、斬島は「なんだ」と先を促す。
「一番奥の部屋を出るときになんとなく振り返ったら、布団が増えていたんだよ。1組」
変だと思わない?と木舌が微笑むと、斬島は顎に手を当てて考え込む。実のところ、木舌がなにを言いたいのかまだ諮りかねていた。怪異とは説明のつかない事象、若しくは理屈や意味の通らないから怪異なのであって、それに理由を求めるのは不毛だと斬島は考えていた。木舌は違うらしい。はともかくとして、明らかな怪現象に遭遇していない今の状況下ではどんな些細なことでも虱潰しに確認していく必要がある。木舌の抱いた違和感は果たして任務になにか関係があるのだろうか。
「それなら、もう一度その客室を調べてみよう」
斬島のその一言にこくりと頷き、ぶち破った壁の穴から廊下へ出る。そのあとで木舌がもう一度「開かずの間」を振り返った。やっぱりなにもないが、気配だけは在る。
一番奥の部屋は、開かずの間から数えると2つ隣だ。ふすまを開けると、木舌が最後に見た時とほぼ変わらない状態の室内がそこにあった。だが、布団は1組しかない。おや?と木舌は首を捻る。さっきはたしかに、2組の布団があったはず。斬島も部屋を覗き込んでそのことを指摘したが、木舌は答えに詰まってしまう。
「本当に増えていたんだな?」
「うん、間違いないよ。狭い部屋だし、見間違うはずない」
「なら、一度増えて、また減ったということになるが……」
その時二人の背後でドタン、となにかが倒れるような大きい音がした。背後というよりは、どこかの部屋の内部から聞こえたようにくぐもっている。斬島と木舌は一瞬顔を見合わせてから音の鳴った方向に急いだ。隣の部屋に飛び込むと、人間の男が倒れていた。気を失っているらしく、ぴくりとも動かない。
「怪異に取り込まれていた人間だろうか……」
「だとしたら、どうして急に」
「どうする?」
「うーん……普通の人間にはおれたちの姿は見えないはずだけど、一度怪異に取り込まれているとしたら見えてしまうかもしれないなあ。念のため、眠っているうちにここから少し離れたところに移動させようか」
木舌が男を担ごうとするが、すかさず斬島に制止されてしまう。
「木舌、お前はここに残って調査を続けてくれ」
「それはもちろん構わないけど……」
「ひとつ試してほしいことがある」
「試してほしいこと?」
「この廃民宿がまだ生きているとしたら……まだ客を迎える意思を持っているとしたらなら――部屋を破壊したらどうなるだろうか」
「迎えることができなくなる……かな?」
「俺がこの人間をどこか離れたところに運ぶから、お前はそのバカ力で部屋を破壊してくれないか」
「……バカ力だなんて、酷いなあ。でもまあ、やってみようか」
「頼んだ」
「更地になんてしたら、肋角さんに怒られるかなあ」
「もともと廃屋だったのだから問題ないだろう。いざとなれば亡者の仕業にしておけばいい」
「……斬島がそんなことを言うなんて意外だよ」
てっきり冗談で言ったのかと思ったが、当の斬島は「そうか?」と不思議そうに首を傾げていたのでどうやら本気らしかった。木舌は斬島が人間を担いで建物から出て行ったのを見届けたあと、客室の並ぶ廊下へと一人戻っていった。大斧を手に取って「さて」と独り言つ。そちらがかくれんぼをやめないつもりなら、すべて壊して見つけてあげようか。暗闇に彼の花緑青が鋭く光り、そして直後大斧は振り下ろされた。
あの世の話をしよう: :ハイネケンの顛末
木舌さんの本気見たいですよね?管理人は見たいです。