「最近、二階堂と一緒じゃないよね」

 私は宇佐美さんに言われてからようやくその事実に気が付いた。そういえば最近、二階堂さんが少しよそよそしいような。そういえば最近、私に抱きついてくることがなくなったような。自分のことなのに今まで気が付かなかっただなんて、情けないにも程がある。もしやなにか気に障ることでもしてしまったのだろうか。正直なところ、心当たりは全くないのだが、むしろ普段こちらがセクハラを受けている側なのである意味では喜ぶべきことのような気もするのだが、理由がわからないのは気持ちが悪い。目の前の宇佐美さんは新しいおもちゃを見つけました、みたいな楽しそうな顔をしている。ニヤニヤを隠せていない、というか隠す気もなさそうだ。どうやら彼は事情を知っているらしい。

「喧嘩でもした?」
「……はっきり言って心当たりはないんですけど、宇佐美さんはなにか知ってるんですよね?」
「そう思う?」
「はい。顔に書いてありますよ」
ちゃんって、そういうところは鋭いのにこういうところは鈍いよね」
「は?」
「まあいいんじゃない。お似合いだよ」
「いや、だからなんの話ですか……」

 頭にはてなマークを浮かべる私の耳元へ宇佐美さんが口を寄せる。一瞬身を固くしたが、正解を教えてくれるのだろうと気付いてすぐにその緊張を解いた。

「宇佐美上等兵殿!」

 そのとき至近距離で二階堂さんが叫んだ。いつの間に現れたのだろう。気配どころか足音すら聞こえなかった。せっかく教えてもらえそうだったのに……いや、宇佐美さんの場合面白がって弄り倒した挙句ぶん投げる、という可能性もあるのであまり期待はできないか。ご指名を受けた宇佐美さんはぱっと顔を上げて声の主へ歩み寄っていった。

「どうしたの、二階堂」
に近すぎます、宇佐美上等兵殿。もっと離れてください」
「はあ?なんでそんなことお前に指図されなきゃいけないわけ?」
も嫌だったよね?」
「えっ!?わ、わた……」

 答えに困って口をパクパクさせていたら、代わりに二階堂さんが「もああ言ってます!」などと言い出した。いや、私まだなにも言ってませんけど……だがこの場合、肯定すれば宇佐美さんはこれ見よがしに密着してきてもっと話がこじれそうだし、否定したらそれはそれでなんか後が怖い。要は詰んでいるのである。幸いにも宇佐美さんは失笑しただけで話を終わらせてくれた。

「お前はわかりやすいね」
「なにが?」
「うわ、自覚ないとか、ありえない」

 キョトン、と首を傾げる二階堂さんにドン引きした表情を見せた宇佐美さんは私をチラ見すると「あ、僕鶴見中尉殿のところに行かなきゃだった」などと取って付けたような台詞を吐きながら軽快なスキップで去っていった。え、ちょっと待って、あの人本当にぶん投げて行った……!?残された私たちはしばらく彼の背中を見送っていた。その姿が廊下の角を曲がって見えなくなると、二階堂さんがくるりとこちらを振り向く。

「宇佐美上等兵になにかされなかった?」
「……なにか、って」
「痛いこととか」
「いや、特には……」
「よかったあー」

 声を弾ませた二階堂さんが私を自分の腕に閉じ込める。こうされるのも久しぶりだ。いつ以来だっけ?と記憶を探る。たしか先週までは普通だったと思う。私が月島さんにと差し入れの茶菓子を用意していたとき、タックルさながらの勢いで後ろから二階堂さんに抱きつかれたため、お茶がこぼれてしまったのだ。それに対して私は危ないからやめてくださいと、かなりきついお説教をしたことは覚えて……あ、もしかしてこれが原因?だとしたらこちらから謝るべきだろうか。でも、火傷や怪我がなかったとはいえ、また同じようなことが起こっても困るし。でも二階堂さんも悪気があったわけじゃないだろうし……。

「……あの、二階堂さん」

 私は真相を確かめるべきか迷いながらも、とりあえず声を掛けてみた。いや声を掛けてどうするんだ、私。その先のことなど全然考えていなかったのでそこで言葉が止まる。すると、腕の力を緩めた二階堂さんがどこか複雑な表情で私を見下ろしてきた。

「……
「は、はい」
「俺、最近おかしいんだ。にくっつくと、心臓のところがぎゅってする」
「えっ」
「苦しいから少し離れようと思ったんだけど、そうしたら余計のことばっかり考えちゃうし、でもは俺がいなくても平気みたいだし……それでまたずきずきするんだ。ねえ、これって病気?俺、死ぬのかな?」

 予想外の告白に私は目を丸くする。たしかに二階堂さんはスキンシップの多い人だ。「以前の二階堂とは別人だ」と他の兵隊さんたちは声を揃えて証言しているが、当時を知らない私には信じられない話である。私を見つければ大声で名前を呼びながら駆け寄ってくるし、私がなにか作業をしていれば所かまわず抱き着いてくる。男性からこんなにもわかりやすい好意を向けられたことなどなかったので最初は戸惑っていたが、このスキンシップの激しさやストレートな愛情表現も薬の影響だと思っていた。私のことを家族のように慕ってくれているのだと。二階堂さんの胸の内を知って今までのあれこれに合点がいった。そして当の本人ですら、その体の不調がなにを意味するのかイマイチ理解していなかったらしい。

「たぶん、病気ではないので死んだりしませんよ」
「ほんと?でも、今もすごく心臓がどきどきして破裂しそう」
「ええと……それは、好きってこと……だと思います」
「好き?でも、洋平のことも好きだけど、こんな風にはならないのに」
「好きには種類がありますからね」

 ふーん、と呟いてから二階堂さんの瞳が上を向く。なにか考えている、らしい。ここからだと、すっと通った綺麗な鼻筋がとてもよく見える。

「俺がに触りたくなるのも、病気じゃない?」
「……違う、と思います」
「宇佐美上等兵がにベタベタするのがヤダって思うのも?のこと、ずーーーっと独り占めしたいって思うのも?」

 どこか期待に満ちた視線が降り注いでくる。言わなければよかったなあ、なんて後悔する私の顔にはどんどん熱が集まっていった。ここは薄暗い廊下なので顔色まではわからないはず。私は一縷の望みに賭け、顔の熱がバレないよう二階堂さんの胸のあたりに視線を落とした。が、次の瞬間それが無意味だったことを知った。

「真っ赤になったがかわいいって思うのも、好きってこと?」
「そ、う……かも、しれないです……」
「じゃあ、これからもに触っても大丈夫ってことだよね」

 かさついた指先が私のこめかみから頬を滑って、その部分にだけ少し冷たさを感じる。答えを言わないうちに私は再び彼の胸の中へと舞い戻った。ごわついた軍服が少しだけ肌にチクチクして痛い。火薬と土と、あとは……二階堂さんの匂いがする。今まで意識してこなかったそれらが五感を隈なく刺激していき、なんだかこちらまでドキドキしてきた。弟みたいでかわいい、なんて思っていたはずの二階堂さんはこの数十分で弟ではなくなってしまった。これからどんな顔して二階堂さんと話せばいいのだろう。頭上から「ああよかったー」などと呑気な声が聞こえる。こっちはちっとも良くないというのに。

行きつく先は新世界