文明の利器・携帯電話は明治では光る鉄の塊に過ぎず、その命が尽きるのは時間の問題である。はその電話のできない携帯電話をせめてカレンダーとして使えるようにと日付を設定し直した。それからは側面の電源ボタンを押して日付と圏外のマークを確認するのがの日課になりつつある。あわよくばなにかの拍子に電波が入らないものかと度々画面を覗いているが、残念ながらその兆しは全くない。日課を終えてはあ、とため息を吐いたは日付を見て今日が何の日かを思い出し、隣に座っていた男を見る。

「尾形さん、お誕生日おめでとうございます」
「……はぁ?」

 なんか思っていた反応と違う。誕生日おめでとうという誰もがそれなりに喜ぶ言葉ベスト3に入りそうな台詞でこんなにも怪訝な顔をされたのは初めてだ。どうやらピンときていないらしい尾形を前にして、そういえば誕生日祝いって昭和に入ってから浸透した習慣なんだっけとはようやく気付く。今は明治末期。少なくとも彼には誕生日を祝うという概念はないらしい。

「歳取るのがそんなにめでたいか?」

 心底理解できないといった顔で尾形が疑問を呈する。そんなことを尋ねられるとは夢にも思わなかった由月は答えに窮した。誕生日といえば無条件でお祝いだと今まで疑いもしなかった。めでたいかめでたくないかで言えば、確実に前者のはずだ。

「えっ…………そりゃあ、まあ……」
「歳聞いたら怒る癖にか」
「そ、それとこれとは話が別です!」
「いや同じだろ」

 年を重ねることを素直に喜べなくなったのはいつ頃からだっただろう。いや嬉しいのは嬉しいのだがそれはつまり、確実に死へ近づいているというわけで。苦笑を浮かべるへ向けて尾形がそら見ろとばかり大げさに嘆息した。

「子供のころは嬉しかったですけどね。ケーキが食べれてプレゼントももらえるし。今日だけは自分が主役って感じで」
「……プレゼント」

 呟いたきり、尾形はじっと動かなくなった。あまり物欲の無い男だと思っていたは少しだけ意外に感じる。

「尾形さんはなにかほしいものあります?」
「なんでもいいのか」
「……私に用意できるものなら」

 無理難題を吹っ掛けられたらどうしようなどとは内心どきどきしながら答えた。顎に手を当てる尾形は至近距離から見つめられるのも気にならない様子でなにかを考え込んでいる。この時代にケーキは買えるのだろうかと考えながら、は静かにそれを見守った。


「はい」
「……て、言ったらどうする?」
「えっ……え?…………わ、わ、私でよければ……ど、どうぞ」
「……では、遠慮なく」

 ふ、と笑った尾形がの肩口に額を落とした。尾形の匂いが強くなる。と言っても彼は気配を消すために体臭には気を付けているから、はっきりとわかるわけではない。ここまで近づいてようやく感じる微かな土と硝煙となにかの混ざり合った複雑な匂い。お世辞にもいい匂いとは言えないはずなのに、尾形のものだと思うと不思議と落ち着く。

「私は、尾形さんが年を取ってくれて嬉しいです」
「俺が年を食ったお前も同じ分年取るんだぞ」
「わかってますって!そうじゃなくて……」
「……お前くらいだな、そんなことを言うのは」

 肩を伝って届くどこか寂しそうな声色に居ても立っても居られず、は尾形の両肩をがしっと掴んで顔を向き合わせる。珍しく驚いた様子の尾形がを見下ろしていた。

「じゃあ私がこれから毎年言いますね」
「……ああ」
「あ、やめろって言われてもやめませんから」
「わかってる」
「私しつこいですからね。覚悟しといてください」
「いいのか、そんなこと言って」
「どうしてですか?」
「……いや、なんでもない」

 ゆっくりと瞬きをした尾形がの頭に手を添えて自身の胸へと引き寄せる。今度は額と肩だけでなく、体中をぴたりとくっつけた。

「……で、肝心のプレゼントはなにが良いんですか?」
「…………はぁ?」

 さきほどまでの柔らかい雰囲気はどこへやら、尾形は不機嫌オーラ全開でを睨んでいた。なにかやらかしたらしい、とが気がつくのはその数秒後である。

2022/01/22 尾形さんお誕生日おめでとうございますSS
チョコレートの包み紙みたいな曖昧さ::ハイネケンの顛末