世間で言うところの恋人同士となった私と浩平だがその日常に変化はない。2人で休日に出かけるのも、兵営でぼーっと過ごすのも、今までも当たり前にやってきたことだからだ。強いて挙げるなら、谷垣たちと過ごす時間が気持ち減ったことだろうか。そんな調子なもんだから当然私たちの関係に感づいている者もまだいないようだ。まあそれについては私も浩平もこっぱずかしくて公にしたくないと珍しく意見が一致していたので好都合である。例外として洋平だけは気付いているらしいが浩平に不都合のあることはしたくないのか、こちらも敢えて言いふらすようなことはしていなかった。
 そう思うと私たちは本当に恋人と言えるのかという疑問がうっすらと過ぎったが、だからと言って他にやりたいこともないのであまり深く考えないことにした。そもそも、現代より圧倒的に娯楽の少ないこの明治時代において庶民の私にできることなんて限られているし、よく考えたら私はこの男と遊園地とか行ってキャッキャしたいかといえば別にそういうわけでもなかった。愛が足りないとか冷めてるとかそういうことじゃなくて、ただ単に適材適所の話である。あの二階堂が遊園地ではしゃいでる姿など誰が想像できるだろうか?
 私は隣を歩く浩平をちらっと見上げた。ひとつ明確に変化を感じたことといえば、彼が歩調を合わせてくれていることだ。変化、というか最近気付いたと言った方が正確かもしれない。情けないことに以前からそうだったのかが私にはさっぱり思い出せなかった。まあ、もし気付けていたら二階堂の気持ちにも気付いていたのだろうけど……。

「なんだよ、じろじろと……」
「いやー、二階堂だなって」
「意味わかんねえ」

 ただ関係性の呼び名が変わっただけでほとんど今まで通りなのに、隣り合って歩くのが嬉しいなんて口が裂けても言えない。ところで明治時代のデートってなにするんだろう?こうやって目的もなく散歩するのもデートなのだろうけど。如何せん服装が悪い。休日というのに私たちは軍服のままである。今更ながらこんな色気もへったくれもない恰好でよく両想いになんてなれたものだ。私は荒れた手を眺めてみたり、裾の余った上衣を意味もなく引っ張ってみたりする。これってあれだよね、二階堂は外見より内面を見てくれたってことでいいんだよね……?あ、だめだ、照れるからやめよう。勝手に自爆した私は気を取り直して周囲に目を移す。この辺はあまり来ない場所だ。考え事をしていたから二階堂につられて歩いてきてしまったけど、果たして彼はどこへ向かおうとしているのだろうか。

「どこ行くの?」
「良いところだよ」
「二階堂もサプライズとかするんだね」
「は?なんだって?」
「なんかヒント……手掛かりみたいなのちょうだい」
「言ったらつまんねえだろ」
「二階堂のどっきりは心臓に悪いからなあ」

 今まで仕掛けられたいたずらの数々を思い出し、苦笑する。個人的には虫を背中に入れられたのが一番効いた。シャツを着ているから素肌には触れなかったが、あのもぞもぞとした嫌な感触は今思い出しても身の毛がよだつ。あの時は流石に月島さんへ泣きついたが、それ以来反省したのかどうなのか、虫関連のドッキリはぴたりと止んだので私は月島さんへ一生頭が上がらないのである。二階堂は「すぐわかる」と言ったきり無言を貫いた。脇道に入るとまったく人気のない細い道が続く。どちらかというと獣道の方が近いかもしれない。しかも木が密集しているせいでどこか薄暗い、どんよりとした雰囲気が漂っていた。こんな場所でもし二階堂にダッシュで撒かれたら迷子は必至である。それでなくても野生動物がどこからともなく飛び出してきそうで少し怖い。私は心細くなって二階堂の背中あたりの服を握りしめた。

「……どうした?」
「あ、いや、なんか……置いてったりしないよね?」
「どんだけ信用ねえんだよ……」
「ご、ごめん……つい、二階堂ならやりかねないかと思っちゃって」
「……」

 浩平が深くため息を吐いてなにか言いたそうにこちらを見下ろした。もしかして結構へこんでる?いや呆れているのかも。そう思った矢先、私の手は軍服から引っぺがされ、代わりに二階堂の左手と繋がった。あまりにも予想外すぎて私はつい反射的に手を引っ込めようとしたけど、一回り大きな二階堂の手がしっかり握って離さなくて息を呑む。

「これでいいだろ」
「……は、はい」
「なんだよ、その変な喋り方」
「で、でもさ、誰かに見られたら……」
「ここは滅多に人が来ないから心配すんな。俺と洋平が見つけたんだ」

 やっぱり二階堂は心臓に悪い。こんなことでドキドキするなんてなんだか悔しいが、心音はなかなか落ち着いてくれなかった。
 二階堂が目指していた場所は路地裏を何度か左右に曲がって細い道を数分歩いたところにあった。周囲には木が密集しているのに、そこだけまるく開けた空間になっている。彼らはたぶんしょっちゅう来ているのだろう、椅子代わりの丸太が向かい合わせに二つ置かれていた。

「こんなところで洋平となにすんの?悪戯の相談?」
「まあな」
「じゃあ私に教えちゃまずいんじゃない?邪魔しにくるかもよ」
「だめだったら最初から教えねえ」
「……そっか」
「……なににやけてんだよ」
「いや、なんか嬉しくてつい」
「……………………待合茶屋の方にすれば良かったな」
「なにそれ?」
「知らねえのか?」
「知らない……なに?今流行りのカフェってやつ?」
「……お前、ほんと……」
「えー!なに!?教えてよ!」

 普段の調子が戻ってきた私は油断していた。ふと頭上に影が差して、気が付くと二階堂が私の腰に手を回してきた。鼻先が触れるくらい顔が近づいてきて、頭では逃げようと思っているはずなのに肝心の体が1ミリも動かない。

「待合茶屋ってのはな、こういうことする場所なんだよ」
「い……意味わかんない」
「わかるまで続けてやろうか?」
「しなくていいから!ほんとに誰か来たらどうすんの!?」

 なんとか抜け出そうとしたがやっぱり力では敵わない。こういう時、やっぱり鍛え方が違うのだと痛感させられる。


「……な、なに」
「しばらくこうしてていいか」
「いやだよ、寒いし……」
「お前な、少し雰囲気考えろ」
「まるで自分は空気を読めるかのような物言い」

 正直な話まだ気恥ずかしさが抜けないので意図的に話題を逸らしているところはある。だってついこの間まで友達みたいだったのに。私はそんなに切り替えが上手い方ではない。むしろ二階堂の方が案外乗り気だったことに驚いた。なんだよ、女の子に興味なさそうなふりして、このむっつりめ。ちっ、と舌を打った二階堂はしぶしぶといった感じで私を解放すると再び手を取って歩き出した。このまままっすぐ行けばまた街に出るらしい。……なんか無駄に怖がって損した気がする。まあそれはともかく、今度は軍服じゃなくて私服ででかけたいな。私は自分の服装を見下ろしてため息を吐いた。

「着物っていくらくらいするのかな」
「ほしいのか?」
「うん……」

 そう言って俯いたら繋いでいた手がぎゅっと強く握られた。

「俺が見立ててやろうか」
「二階堂が?」
「なんだよ、俺じゃ不満か?」
「……不安というか、心配というか」
「ほとんど同じじゃねえか」
「だって、浩平だし」
「ほんと可愛くねえやつだな……」
「知ってますぅ~!すいませんでしたねえ!」
「この前は可愛かったんだけどな」
「………………浩平のくせに」

 照れ隠しにつぶやいた台詞はあまりにも小声だったせいか幸い浩平には聞こえていなかったらしい。心地よい息苦しさを感じながら、私は半歩だけ二階堂の方へ身を寄せた。

愛を知ったら灰になり::ハイネケンの顛末