※現パロ
※夢主の干物女感がすごい
※夢主は下戸です
時刻は午後10時。仕事は終わってないが、帰る時間だ。LEDのスポットライトを浴びた私は首を左右に倒してゴキンゴキンと豪快な音を鳴らしたあとで、伸びをした。もう誰もいないオフィスではどんなにおっさんのような唸り声を出そうが遠慮はいらないのである。パソコンをシャットダウンしてはあ、と息を吐き周りを見渡す。同僚たちは私がちょっと離席しているときに「花金だし飲みに行こうぜ!」とか言って連れ立って消えていったらしい。酷くない?あとでクレーム入れておこう。こっちは今日もまたコンビニ弁当だというのに一体どんな美味しいものを食べにいったのだろうなどと考えつつ帰り支度をしていた私は後ろから名前を呼ばれて文字通り飛び上がった。
「……そんなに驚くなよ」
「あ、お、お疲れ様です」
振り向くと、私の驚き様に驚いたらしい尾形さんが少しだけ目を見開いていた。一人きりだと思って油断していたからこちらとしては完全に不意打ちである。もしかしてさっきのおじさんくさい声とか、聞かれていただろうか。やだ恥ずかしい。おじさんみたいな声を出している時点で恥じらっても手遅れな気もするが。
尾形さんといえば仕事ができて他人にも自分にも厳しく、でも面倒見は良くて頼れる上司として女性から大人気の存在だ。少し前に社内の合同飲み会が企画され、運悪く幹事に任命されてしまったときに話したことがあるが、指示は的確で対応も早くてたしかに憧れの上司という感じだったのも記憶に新しい。ちなみにそのときも周囲から過剰なほど羨ましがられ、じゃあ代わりに幹事やらない?と持ち掛けてみたけど不思議なことに誰も乗ってこなかった。なんでだよ。お近づきなるチャンスだろ!私は高望みしない超現実的なタイプなのでこういう高嶺の花みたいな存在にはあまり興味がなく、その手の話題に乗ることは殆どなかったのだけどつまり芸能人にキャーキャーと黄色い声を上げるような感覚だろうか。尾形さんも尾形さんで、どうせ共同作業をするならそういう可愛げのある女子が良かったのかもしれないなとある種の罪悪感を覚えたのは別の話である。その尾形さんが私なんかに一体何の用事があるというのだ?ちゃんと電気消して帰れよとかか?
「このあと予定あるか」
「え……いや、もう帰るだけですけど」
「なら、俺に付き合わないか?」
「……えーと、せっかくですが遠慮しておきます」
「少しだけ、飯に付き合ってくれよ」
「もう遅いし」
「明日、何か用事でもあるのか」
「そういうわけじゃないですけど……でも」
「の好きなもの頼んでいい。もちろん俺の奢りだ」
「……………………少しだけなら」
私は「奢る」という言葉に弱い。そりゃ薄給で細々やってる身からしたらそうでしょうよ。とは言っても流石に全額、というのは申し訳ないのでちょっとは出すけれど。でも会社の子に見られたら殺されそうだなあ。バレたところを想像してしまった私は早くも後悔しつつあったが、尾形さんはどことなく機嫌が良さそうに口端を上げていた。もしかして一人でごはん食べるのが寂しいタイプなんだろうか。事務所の電気を全て落とすと、あとは廊下で点々と灯る照明だけを頼りにエレベーターホールへ向かう。私の隣には尾形さんが当たり前のように並んで歩いていて、なんだか夢を見ているような不思議な感じだった。
「なにか食いたいものは?」
「なんだろ……鍋とか?」
「鍋ものが好きなのか?」
「えっ、いや……普通ですかね……」
「……」
「……」
えっなにこれ気まずい!ごはんに誘ってくるからてっきり話好きなのかと思ったらそういうわけでもなさそうだ。自分もそれほど人との会話が得意ではないのでこの沈黙を破る話題が全く思い浮かばず、結局会社を出て鍋が美味しいという居酒屋さんに着くまでほぼ無言状態だった。そんな居心地の悪さもあの尾形さんと並んで歩くという嘘みたいな状況ではさほど気にならないことである。居心地が悪いことより自分と彼は今周りからどう見えているのかが気になって仕方なくて、なんでもう少しおしゃれな服を着てこなかったんだとかそういえばメイク直してないなとか余計なことばかりが頭を過ぎっていた。
「尾形百之助だ」
「え?知ってますよ、もちろん」
「覚えていたのか」
「当たり前じゃないですか」
「そりゃ光栄だな」
「尾形さんこそ、私のこと覚えてたなんてちょっと意外です」
「なんでだよ」
「だって違う部署だし、たしか直接お話したのも1回だけでしたよね?」
「2回、だな」
「あ……そうでしたっけ」
尾形さんは目立つ。スーツなんかも毎日おしゃれで質の良さそうなものを着ているしツーブロックの髪型も異様に似合っている。そしてこれはついさっき気付いたことだけどなんか良い匂いがする。本当にこんな人の隣を歩いていて良いのだろうか?などと萎縮してしまうほど尾形さんは完璧だった。もちろん仕事も完璧だ。……というのは女子たちが騒いでいたのを小耳に挟んだ程度だが、自分の仕事は常に正確で納期もしっかり守るだけでなく部下の仕事のフォローまでこなすというのだから人気があるのも当然だし、覚えていない方がおかしいくらいだ。ただし男性からの評判はイマイチらしいがそこは定かではない。
ほどなくして私のカクテルと尾形さんのビールが運ばれてきたので、控えめにグラス同士をカチンと合わせて乾杯をした。やば、めっちゃ見てくる……。尾形さんが私の顔面を穴が開きそうなほどじっと見てくるのが耐えられなくて目を逸らす。やっぱり化粧が崩れているのかもしれない。隙を見てお手洗いに駆け込もう。
「酒はあまり飲まないのか?」
「そうですね、弱いのであんまり飲まないようにしてます。尾形さんは強そうですね」
「まあな」
「うらやましい……」
「普段はあまり飲まないがな」
「そうなんですか……」
カクテルをちびちび減らす私と違い、尾形さんはビールを一瞬で空にしたかと思うとすぐに二杯目を注文した。私からしたら尋常じゃない早さだ。よくこんな飲み方で悪酔いしないものだと感心しながら私は自分のグラスの中身を減らそうと只管カクテルを飲み込んだ。うーん、ちょっとお酒が回ってきたかもしれない。ふわふわとした感覚に頭を包まれ、顔も熱い気がする。2杯目もいつの間にか飲み干し3杯目に日本酒を注文した尾形さんは飲んでいる量が私とは全然違うにも関わらず顔色ひとつ変えずおかわりに口を付けた。カクテルとおつまみと鍋の具材を交互に口へ運びつつなんとなく尾形さんの節くれだった手元をじっと見つめていたらその手が上に持ち上げられ、無意識に視線で追っていた私は尾形さんと目が合ってしまう。誤魔化すために「それ、日本酒ですよね?」とわかりきったことを質問してみたら、尾形さんは持っていたお猪口をちょっと覗き込んでから銘柄を答える。日本酒なんて飲んだこともないので正直何を言っているのかよくわからなくて生返事をした。
「飲んでみるか?」
「……じゃあ少しだけ」
私は尾形さんに勧められるがまま頷いた。普段なら絶対断っているのに、どうしてだろうか。透明な液体は一見お酒には見えないが、口に近づけると紛れもない日本酒の香りが鼻孔に広がり口元で手を止めた。ちらりと尾形さんを見ると優し気な笑顔でこちらを見守っている。会社だから当然かもしれないけど、普段は怖そうなのにこうやって笑うこともあるんだなあなんてちょっと失礼なことを考えた。それとも、顔には出ないけど彼も酔っているのだろうか。尾形さんに見守られながらぐいっと日本酒を煽ると、喉からお腹のあたりにかけてなにかとても熱いものが通っていった。
「そんなに一気に飲んで大丈夫か?」
「…………」
名前を呼ばれた気がしたけれど、私の意識は深いところへ沈んでいった。やっぱりお酒なんて飲むもんじゃない。
知らない匂いがする。私の嗅覚からのそんな警告で目を覚ました。……どこだここ……。知らない部屋の知らないベッドから起き上がり、とりあえず辺りを見回すが手掛かりはなにもない。いや、ひとつあった。ここは男の部屋だ。黒で統一されたインテリアや質素にもほどがある小物、装飾品からそう感じた。でもどうしてこんなところに……まさか誘拐?と一瞬ひやりとしたが、すぐに昨晩のできごとを思い出す。え?でも……え?信じられない気持ちでそろりとベッドから出て、なるべく音を立てないように床へ足を付けた。で、本人は一体どこにいるというのだ。寝室のドアをこれまたそーっと開けると少し長めの廊下が続いていた。……一人暮らし……だよね?こぢんまりとした我が家とはあまりにも格の違いすぎる広い家におっかなびっくりしつつ廊下を進むと、途中でシャワーのような水音が聞こえて私は立ち止まった。
「お、尾形さん……?」
気付いたら彼の名前を口にしていた。扉の向こうにシャワーを浴びる尾形さんが居ると思うと心臓がどきどきして仕方がない。いや何を想像しているんだ私はと頭を激しく振ってから目を覚ましたベッドへ引き返す。と、とりあえずあの部屋で待っていることにしよう。寝たふりをするのもなんかわざとらしくなりそうでどうしようか迷った挙句ベッドの上に正座してみたのだが、途中で無性に恥ずかしくなってもう一度ベッドから降りようとしたまさにその時に部屋のドアが開いた。
「起きたのか」
「……おはようございます」
「おはよう。昨日のこと、覚えてるか?」
「いやそれが……お酒飲んでからあんまり覚えてなくて」
「……」
「……私、なにかしました?」
あんまり、と言ったが実は何も覚えていない。はあ、と溜息を吐いた尾形さんを見て私はなにか失礼なことをしてしまったのだろうかとどきどきしながら尋ねる。いや酔いつぶれて家まで連れてきてもらってる時点でだいぶ失礼というか、迷惑かけてるんだけども。お風呂あがりで頭の上にタオルをかけていている尾形さんは俯いた状態で暫く静止していたので、怒っているのかと不安になり彼の顔を覗き込むとタオルの端から目が合い息が止まった。
「なら思い出させてやろうか?」
「な、にを……」
「なにって……昨日のことに決まってるだろ?」
「ちょ、ちょっと!待ってくださいッ……何のことですか?え??」
尾形さんが楽しそうに口端を吊り上げながら迫ってきたので身の危険を感じて後ずさりした。昨日一体何があったのだろう……だめだ全く思い出せない。でもなんだかまずい状況なのは確かだ。頭が混乱しているうちに私の左手首を掴んだ尾形さんがもう片方の手で私の着ていたシャツの釦を一つはずした。そういえば、私が今着ているのは昨日着ていたワンピースではなくワイシャツ一枚である。そのことに気付いた私は顔からさっと血の気が引いた。やっちまったのか?尾形さんの様子を見る限り確実にやっちまった感があるものの、まだ信じられないというか信じたくない私は頼むから冗談だと言ってくれと願いながら自由な方の右手で尾形さんの肩を押し返し抵抗を試みる。
「す、すいません私何も思い出せなくて……もしかして昨日……その」
「はは、なんだよお前から誘ってきたくせに」
「えッ!?」
「安心しろ、ちゃんと責任は取る」
尾形さんの髪から滴り落ちる水滴が胸元に当たって冷たいけど、それどころじゃないほど私は混乱していた。私から尾形さんを誘っただと……!?自慢じゃないがそこまで経験豊富ではないので自分から誘ったことなんてないし、そもそも付き合ってすらいない人となんて……。しかも相手はあの尾形さんだ。お酒が入ってとちくるっていたとしか思えない。なんてことしてくれたんだ、数時間前の自分は。
必死に気持ちを整理しようとしている私などお構いなしの尾形さんが二つ、三つと釦を外して首筋に指を這わせる。その感覚で急に現実へ引き戻された私ははっとしてまた彼の肩を押し返した。
「あの、わ、私帰ります……!」
「なんだ、人をその気にさせといて酷いやつだなぁ?」
「そ、そ、そんなつもりは」
「冗談だ、悪かったよ。帰る前にシャワー浴びてこい」
尾形さんは笑いながら私の頭をなでると、そのままベッドから降りて部屋を出た。少し遠くから「タオル用意しておくから使えよ」という声が聞こえたので私はたしかに返事をしたはずだが、自分の心臓の音の方が大きくて何も聞こえなかった。なんか、慣れてるって感じだったな……まあ、モテるみたいだから当然か。
懸命に記憶を辿ってみたが結局なにも思い出せず、もやもやとした気持ちのまま帰り支度を終えた私は尾形さんの住むマンションを後にする。駅まで尾形さんが送ってくれたけどこの上なく気まずくてずっと下を向いていた。この感じは覚えている。
「連絡先、教えろよ」
なんのために?と疑問に思いながらも申し訳なさから素直に連絡先を教えると、尾形さんが「あとで連絡する」と言い残して元来た道を引き返していったので、私はその背中を少し見送ってから改札に進んだ。今更気付いたけどこのあたりは初めて来る場所だ。電車の窓から知らない風景を見つつぼんやりしていると携帯が震えた。尾形さんからは『俺の電話』とだけメッセージが入っていてその下には彼のものと思われる電話番号が打ち込まれている。素っ気ないなあと思ったけど尾形さんらしいといえば尾形さんらしい。そのテンションに合わせて「はい」とだけ送ったらすぐに既読が付いて『なんだよ、それだけか?』などという予想外の追撃が来た。尾形さんには言われたくない。
私を焼き尽くす黒1