『飯行かないか』
尾形さんと飲みに行ってなんやかんややらかしたあの日から数日後、またしても超短文のメッセージが届いた。あんな事があってからも会社での尾形さんはいつもと変わらないし連絡も来なかったので、もう終わったことなのだと完全に油断していた私は通知画面を開いたままなんと返そうか悩みに悩んで頭を抱える。決して嬉しくないわけではないのだけど、それでもやっぱり困る方が大きかった。また失態を晒してしまうかもしれないし……なんとか穏便に断らなくてはと頭を抱えているうちに尾形さんから着信がきてしまった。あわあわしつつ通話ボタンを押したものの慌てすぎて「ももも、も、もしもし!?」とどもりながら出ると、電話の向こうで微かに笑ったような息遣いが聞こえた。
「明日、空いてるか」
「あ、えっと……明日はちょっと」
「じゃあいつなら空いてる?」
「…………いや~~、いつだろうなあ……」
「……そんなに俺と会うのが嫌なのか」
「ちが、そういうわけじゃないですけど」
「けど、なんだよ」
「け、けど……その、尾形さんとは今まで関わりなかったから……会っても何を話していいのかわからないし、気まずいかなって」
「だからこれから親睦を深めていけばいいだろ?」
「…………そう、ですかね」
「そうだろ」
ものすごく言わされた感があるものの、これといった言い訳も思いつかず結局予定を押さえられてしまった私は正座した状態で暫く携帯の画面を見つめて途方に暮れた。やっぱり口では敵わないらしい。会社じゃ言葉を交わすどころか目も合わせなかったくせに急になんだよ……いや周りの目があるからされても困るんだけども。なんだか弄ばれている気がして釈然としないがまあ1回くらいなら付き合ってもいいかな。モテる男の人から誘われる機会なんて滅多にないだろうし、ポジティブに考えることにしよう。その直後携帯が再び震えて飛び上がったが今度は電話ではなかった。恐る恐る画面を確認すると『デートだからな』とメッセージが来ていたので携帯を布団に投げつける。なんでプレッシャーかけるようなことするんだよ!言わなくていいのに!
当日、私は指定された駅前で彼を待っていた。集合時間は15時だったものの、到着したのは14時45分でまだ十分すぎるほど余裕がある。先に言っておくが別に楽しみすぎて早く着いたわけではない。断じて違う。ただなんとなく1分でも遅刻しようものなら笑顔で詰られそうな予感がしただけのことである。そうなったら後が怖い気がするので仕事でもなのに自主的に15分前行動を実践したのだが、腕時計の針はまだ47分。ちょっとコンビニで時間を潰そうかなと思って左を向いたら丁度良いタイミングで尾形さんが現れたので私は足を止めた。やっぱり私服もセンスがいいな。くそう。私だって精一杯それっぽい服を選んだつもりだけど、彼とつりあっているかは自信がなかった。
「随分早いな。そんなに楽しみだったか?」
「……絶対言うと思ってましたけど残念ながら違いますよ」
「俺は楽しみにしてたんだがなあ」
「……」
「そんな顔するなよ」
そうやっていつも女を落としてるのか?と私は詐欺師でも見るかのような視線を尾形さんに向ける。尾形さんは少し肩を竦めてから歩き出した。当初はごはんだけの予定だったのだけど、尾形さんが急に博物館に行きたいとか言い出したので「私は別にいいです一人で行ってください」と抵抗してみたが「期間限定でこの日までなんだ、頼むよ」などと懇願され仕方なく付き合うことになったのだった。まあ、ちょっとおもしろそうだから見たくないと言えば嘘になるんだけど素直に賛同するのも癪だったというか、ただ私が意地っ張りだっただけの話である。
「私ゆっくり見たい派なんで別行動にしませんか?」
「俺は気にしないからお前に合わせる」
「じゃあいいです……」
すごすごと引き下がった私はもういっそ後ろは気にしないで思う存分楽しむことに決めた。博物館ってやつは、たまに行くと結構おもしろい。常設展だってじっくり見れば何度行っても新しい発見があるし、こういう企画展も普段は公開されていない貴重なものに触れるチャンスだ。別に詳しいとかではないし何ならなにも考えずぼーっと眺めているだけなので偉そうなことは言えないが、この背筋の伸びるような厳かな雰囲気とどこからともなく漂ってくる昔の匂いは嫌いじゃない。
最後の展示も見終わり満足して出口へ向かおうとした私の肩がぽんと叩かれたので振り返ると、尾形さんがちょっと不機嫌そうに立っていた。しまった、完全に忘れてた。
「ずいぶん集中してたな」
「す、すいません意外とおもしろくて……」
「そりゃ良かったな」
「そんなに怒らないでくださいよ……」
「別に怒ってねえよ」
「……あ、ほら、売店見て行きませんか?」
物で釣る、わけではないがこれで少し気を紛らわせられるのではないかという淡い期待を抱いて私は尾形さんを売店へ連れ込む。特に買いたいものがあるわけでもないのでぶらぶらと冷やかしのように店内を練り歩いていたらアクセサリーのコーナーがあり、私は足を止めた。腐っても女なのでやっぱりこういうキラキラしたものには弱いらしい。買うつもりはなかったので独り言みたいに「綺麗ですね」と言ったら斜後ろから伸びてきた尾形さんの手が小さな天然石のネックレスをつまみ上げた。
「にはこれが似合うな」
「そ、そうですか……?」
ほら、と胸元にネックレスを近づけられてどきっとしていたら「ちょっと待ってろ」と言って尾形さんはレジの方へ向かっていった。まさかとは思うけど……と思いつつ大人しくその場で待っていたら、会計を済ませた尾形さんが恐らくさっきの天然石が入っていると思われる紙袋を差し出してきたので、私は尾形さんの手元と顔を交互に見る。
「え?いや、私、そんなつもりじゃ」
「これを見れば嫌でも俺のことを思い出すだろ?」
「……で、デート商法には引っかかりませんからね!」
「なんだそりゃ……別にいらないなら捨てていい」
すでにチケット代だって出してもらってるのに。尾形さんは私の手に無理やり袋を握らせるといつだったか見たような優しい笑顔を浮かべたので、結局何も言えなくなってこくりと頷いた。
「腹減ってきたな」
博物館を出たあとで尾形さんがぽつりとつぶやいたのでそういえば本来の目的はごはんだったことを思い出す。時計を確認するともう18時で、結構長い時間が経っていることに驚いた。たしかにちょっとお腹が空いてきた気もする。事前にリクエストを聞かれた私は迷わず「お肉が食べたい」と答えたのだが尾形さんが連れてきてくれたのはちょっと高級そうな個室の串料理屋さんだったので盛大に後悔する羽目になった。いやこんな良いところじゃなくてもっと庶民的な……居酒屋とかでよかったのに。マナーとか注意されたらどうしよう、などとスマートな雰囲気に慄いたのは最初だけで、食べ始めてからはすっかり素に戻っていたのだが。きっと尾形さんは普段からこんなお店ばかり使っているのだろうな。入るときも慣れてる風だったし、いつもはこういうお店に相応しい上品な女の人を連れてきているに違いない。どうして尾形さんは私なんかと…………いや別に悔しくなんかない。住む世界が違うのだから悔しいとかそんな次元ではない。
「美味いか?」
私が素直に「おいしいです」と頷くと尾形さんはふっと笑った。今日はよく笑っている気がする。いやどうなのだろう。私が知ってる尾形さんは99.9%会社の尾形さんだ。普段の彼が良く笑う人なのかどうか、私は知らない。他の女の人にもこんな風に笑うのだろうか。たまに意地悪をしたり、この前みたいに強引に約束を取り付けたりしているのだろうか。考えても仕方ないことで悶々としてしまうのは尾形さんが私に構うせいだと乱暴に結論付けて、美味しい焼き鳥を口に含んだ。
「」
「……なんですか、尾形さん」
この人はいつから私を名前で呼ぶようになったんだっけ?尾形さんに呼ばれるたびに思考する力が溶けて深い湖へ沈んでいくような気がした。
私を焼き尽くす黒2