※全部現パロ
※スーパー短いです
※バレンタイン要素は添えるだけ
※付き合ってたり付き合ってなかったりする
※名前変換はあったりなかったり
※二階堂くんと三島くんのあだな変換したい方いらっしゃいましたらお気軽にご連絡ください
↓お好きなところへジャンプできます
杉元佐一 / 尾形百之助 / 二階堂浩平 / 二階堂洋平 / 鶴見篤四郎 / 鯉登音之進 / 三島剣之助 / 宇佐美時重 / 月島基 / 門倉利運 / 菊田杢太郎
◆杉元さんに女子力でボコられるお話
「これ…受け取ってくれる?」
そう言って少し照れながら杉元さんが差し出したのは、パステルカラーのシールで可愛らしくデコレーションされた小さな包みだった。……まじか。私はそれを見てピシリと硬直してしまう。そして震えそうな手で辛うじて包みを受け取り、蚊の鳴くような声でありがとうございますと呟いた。
「もしかしてとは思いますけど……て、手作りだったりします?」
「うん、一応……あ、て言ってもそんな大層なもんじゃないよ?ただチョコを溶かして固めただけ」
……まじか。ほんのり顔を赤く染めて少し照れながらほっぺたを触る杉元さんは正に恋する乙女そのものだ。完全に負けている。いろんな意味で。悔しさもぶっ飛ぶほどの負けっぷりだ。手作りどころか仕事にかまけて直前まで忘れていただなんて、死んでも言えない。私は前日に行列に並んで手に入れた某有名店の高級チョコを思い浮かべる。私だって杉元さんを蔑ろにしていたわけではない。残業三昧の中でなんとか時間を作って駅前の百貨店へ出向き、女性客でごった返すバレンタイン催事場で人波に揉まれ、会場を3周して吟味した一品なのだ。好きな人に半端なものなんて渡せないじゃないか。けれどまさか、杉元さんの方も用意していたなんて。しかもすんごい気合い入ってるし。
開けてみて、と促されてファンシーなラッピングを開けると、小さな箱の中には一口サイズの四角形が綺麗に並んでいた。たぶん生チョコ、だと思う。持っているレシピ本の中に見かけた記憶があった。……たしかに溶かして固めただけだけど……だけだけど!!……今度私も挑戦してみようかな。それはともかく今回はもうどうしようもない、腹を括ろう。私は用意していたチョコを鞄の中から出した。
「あの、私……ごめんなさい、そんな、杉元さんから貰えるなんて思ってなくて」
おずおずと差し出した紙袋が無事杉元さんの手に渡る。無事、とは言ったが私の心はばっちり重症を負っていた。どんな高級チョコも杉元さんの手作りお菓子には敵う気がしない。そんな私の気も知らず、杉元さんは早速包みを開けて「これ食べてみたかったんだ」などと無邪気に喜んでいる。直感で選んだのだけれど、どうやら外れは回避したらしい。
「ありがとう、すごい嬉しいよ」
「……こちらこそ……。でもなんか、杉元さんのに比べたらちょっと恥ずかしいっていうか」
「どうして?」
「どこでも買えるし……ありきたりですよね」
「そんなことないよ。ちゃんが俺のために選んでくれたんでしょ?」
「う…………は、い」
女子力高いのにイケメンってどういうことだ。どうして杉元さんが私なんかと付き合ってくれているのか、時々わからなくなる。私なんかドジだしなんの取り柄もないし顔だって普通だしがさつで性格も良いとはいえないし……でもそうやって自分を否定すればするほど、杉元さんは私を暗い海の底から掬い上げてくれた。
「俺がちゃんに食べてほしくて作ったお菓子と、ちゃんが俺のこと考えて選んでくれたチョコに気持ちの違いなんかないよ」
ね?と首を傾げる杉元さんが可愛すぎて、やっぱり完敗だと心のなかで白旗を振った。こんな私でもいつか杉元さんの彼女だと胸を張れる日がくるだろうか。
*************
◆尾形さんのツボは摩訶不思議
「……なんだこりゃ」
「なにって、チョコレートですよ。チ・ヨ・コ・レ・エ・ト!」
両手でハートを作る私を見る尾形さんの目は氷みたいに冷たい。
それもそのはず、尾形さんに渡したバレンタインチョコは彼の両手の平ほどの大きさのハート形にピンクのチョコペンで「LOVE♥️」と文字いれをした、少女漫画でしかお目にかかれそうもない古典的代物だった。
不器用ながらも毎年手作りのトリュフやらガトーショコラやらをプレゼントし続けていた私だったが、当の本人のリアクションは限りなく薄い。一応「ありがとな」とお礼は言ってくれるし、ホワイトデーにはきちんとお返しも用意してくれる。端から見れば一体なにが不満なんだこの欲張りめ!と言われそうなのは百も承知だ。欲張りといえばそうなのかもしれない。でも……やっぱり、寂しい。それならば、とヤケクソ同然で用意したのが大きなハート形チョコだった。ちなみに原材料はスーパーで買った板チョコと市販のチョコペンのみである。板チョコを湯煎で溶かしてハート形に固めただけ。去年までそれなりに手の込んだチョコを作っていたのが嘘みたいなお手軽スイーツだ。
「チョコ、嫌いじゃないですよね?」
相変わらず手元を見て固まっている尾形さんは私の問いかけに小さくこくりと頷いた。うーん、この調子では結局例年とほとんど代わり映えしないな。もともとあまり期待はしていなかったのでダメージは少ない。まあ、残念ではあるけど。内心舌打ちをしつつ、流石にそのままかじりつくのはしんどいだろうしホットチョコレートにすることを提案しようかと考えて未だにフリーズ状態の尾形さんに背を向ける。と、後ろから手がにゅっと伸びてきて私の鎖骨あたりをホールドした。
「なっ、ちょ、どうしたんですか」
尾形さんがくっついてくることは少ない。積極的にスキンシップはしないタイプなのだろうと、私からもあまりベタベタするようなことはなかった。だからたまにこんなことされると、必要以上にどぎまぎしてしまうのだ。
「」
「なん、ですか」
「俺に愛想が尽きたのか」
「は?」
「前はもっと凝ったもんくれてただろ」
あ、ちゃんとわかってくれてたんだ……。どうやら尾形さんはほんとにただただリアクションが薄かっただけらしい。
「……だって尾形さん、喜んでるのかなんなのかわからないんだもん」
「それを承知で付き合ってんだろ?」
「そうだけど」
「俺に杉元みたいな反応を期待すんな」
「それは最初からしてないです」
むしろそんな尾形さんは怖すぎる。あれは杉元さんだから良いのであって云々。とにかく、どんだけリアクションが薄くても言葉足らずでも尾形さんの愛は確からしい。……って言ってて恥ずかしいなこれ。まあそれがわかっただけで大収穫だ。尾形さんの腕の中でふふっと笑うと、すぐさま耳元で「なにを笑ってんだ」と不満そうな声がした。
「いや、尾形さんもかわいいところあるんだなって」
「嬉しくねえ」
「まあまあ。それよりこれ、ホットチョコレートにして飲みません?」
「ホットチョコレートか……」
「あれ、もしかして苦手でしたか?」
「いや……あとででいい」
耳の奥に響くような低音がこそばゆい。けれど体を捻ってみても尾形さんはびくともしなくて、結局彼の気が済むまでそのままだった。
*************
◆浩平がぶきっちょすぎて理解できない
「あいつ、彼女できたって」
あいつ、とは……私は一瞬考えたが普通に一人しか思い付かなかった。
「……洋平のこと?」
「当たり前だろ。他に居るかよ」
そりゃあ君たち二人には当たり前かもしれないけどさあ……と呆れ顔を隠しもしない私だが浩平はシカトぶっこいて私の入れたあっつあつのコーヒーをずずっと音をたてて飲んだ。そんな浩平を見てため息を吐いてから自分のコーヒーに口をつける。
「洋平に彼女とか……世も末だね」
「勝手に終わらせるなよ。物好きな女くらい探せばいくらでも居るだろ」
「……自分で言うんだ、それ」
「つーわけで、俺にチョコよこせ」
「な~にがつーわけよ」
なんの脈絡もなくチョコをおねだりするんじゃないよ。ていうか、それじゃあ私も物好きな女になってしまうじゃないか。と呆れながらテレビを付けた。大体、チョコとか別に好きでもない癖に……。テレビの中では最近良く見る芸人たちがわちゃわちゃと画面を行ったり来たりしている。私がテレビを観て笑っていても、浩平から笑い声が溢れたことは一度もない。一体どんな顔してこのバラエティー番組を観ているのだろうか。ものすごい真顔だったらなんか怖いので、確認したことはなかった。
「……ていうか、なにしに来たの?」
「だから、チョコもらいに来てやったって言ってんだろ」
「なにその謎の上から目線は……」
何故当然のようにもらえると思っているのだろう、この男は。
「用意してないよ。残念でした~」
「……じゃあ、今から買いに行くぞ」
「はあ?嫌だよ、寒いし」
「コンビニくらいすぐそこだろ」
「いや待って、なんで今日はそんなぐいぐい来るの?嫉妬?洋平に先越されたから?」
あの面倒くさがりの浩平とは思えないスピード感に、頭が混乱している。そもそも、私みたいな兄弟も同然のやつに貰って嬉しいものなのか??いやそれほど洋平に彼女ができたことがショックだったのかもしれない。今日の浩平、なんか様子がおかしいし。言動が謎すぎてテーブルの前から動けずにいる私の目の前に上着を羽織っておでかけ準備万端な浩平がしゃがみこんだ。数秒じっと見つめられてたじたじになった私に、すかさずでこぴん攻撃が飛んでくる。
「痛いッ!!」
「お前、鈍すぎ」
……本当は薄々気付いていた。浩平がテレビじゃなくて私を見ていたことも、洋平からとは違う眼差しを向けられていることも。でも認めてしまったら私たちは幼なじみではなくなってしまう。私はただ幼なじみの座を手放したくなかっただけ。鈍くないし、と反論したくなる衝動を抑えて、私はまだおでこが痛いふりをした。
「なんとも思ってないやつだったらこんなに構うわけねえだろ」
洋平に彼女ができたのがきっかけだったのか、今日の浩平はいつもみたいに見逃してくれそうにない。目を左右に泳がせてその場を凌ごうとしても彼の真っ黒な瞳がどこまでも追い掛けてくる。
「…………だったらもっと素直になってくれない?」
「チョコくれ」
「いや、言い方もうちょっと考えて」
「じゃあくれ」
「はァ?」
なに言ってんだこいつ、とすぐさま呆れ顔を返したら浩平は俯いて「二度と言わねえ」と珍しく悔しそうに舌打ちをした。
*************
◆洋平はまんざらでもない
「飛行機を降りた瞬間の空気がもう全然違うんだよね」
の語る北海道は聞いているだけでうんざりする程寒そうで、向こうに住もうと思ったやつの気が知れない。静岡と北海道の違いをのんびり説明されるが、まったく興味が湧かず俺は適当な相槌を打った。
「ていうか、なんでこんな中途半端な時期に帰ってきたんだよ」
「年末年始帰れなかったでしょ?で、有給が有り余ってたからパーっと使おうかと思って」
ナントカという歌手のカウントダウンライブに行くとかで今年の冬は帰れないという連絡は俺たち兄弟はもちろん、俺の親にまで来ていた。両親は実の娘のことのように寂しがっていたので、2月に帰ってくると続報が入ったときには引くほど浮かれていた。
静岡から北海道の大学に進学してそのまま北海道で就職したを帰省の度に空港から地元まで送迎するのは、いつのまにか俺たち兄弟のどちらかが担当するようになっていた。家族ぐるみの付き合いとかいうかったるい関係の延長だ。以前はどちらかの親が送り迎えしていたのが、免許を取得した今では当たり前のように俺か浩平へ押し付けられている。幼馴染みとかいう面倒なしがらみは大人になってからも続いていた。
「洋ちゃん運転上手くなったね」
「そうか?」
「うん、前はブレーキとかアクセルとか踏む度にがっくんがっくんしてた」
「…………車の調子が悪かっただけだろ」
「ええ~?そうかなあ」
「免許持ってないくせにわかった口きくなよ」
「うっ……」
「車なくて不便じゃねえの」
「今のところ平気、かな……あんまり遠出はできないけど。あ、でもこの前友達の車で小樽に行ったんだ。ほら」
信号待ちの間に見せられたその写真には、当然だが知らないやつらばかりがと並んでピースサインを向けている。良かったな、楽しそうで。そんな台詞を心の中で皮肉混じりに呟く。そんなことよりも気になるのはの隣の男だ。肩がくっつくほど近い。別にと仲が良い男が俺たち兄弟だけだとは思っていない。が、どうにもおもしろくない。俺は体の芯が冷えていくような感覚に陥った。無意識に眉間に皺が寄っていく。信号が変わってしばらくは無言だった。気の利いた感想なんて普段から言える柄でもないが、今回はそれに加えてあの男の顔が頭から離れず妙にイラついていた。
「ごめんね、毎回迎えに来てもらっちゃって」
俺の様子に気付いたのか、が急に申し訳なさそうに言った。怒らせたと思っているらしい。たしかに原因はこいつにあるが、そうでないともいえる。理不尽な怒りだと自分でも十分わかっていた。
「そう思うならお前も免許取れよ」
「あはは……そうだよねえ……まあ、すぐには無理だから、せめて帰省は控えるようにするね」
「親が寂しがるんじゃねえの」
「うん、まあ、それは少し我慢してもらうってことで」
「……別に、そこまで遠いわけでもないし迎えくらいいつでも来てやる」
「でも、洋ちゃんも仕事忙しいって言ってたじゃん」
「俺が無理なら浩平に来させる」
さっきまで面倒だと思っていたくせに、おかしなやつだと自嘲する。だがが帰省するのは多くても年に2回ほど。は北海道で、俺は地元でそれぞれ就職してしまった。自分で会いに行かない限り、こいつには年にたったの2回しか会えない。冷静に考えるとその少なさに驚かされる。写真の男は俺の何倍こいつと過ごしているのだろうか。どんな関係なんだろうか。もしかしたらもう、付き合ってるのかもしれない。
「あのさ、洋ちゃんも浩ちゃんも、彼女とかいないの?」
「……い、ない」
「好きな子は?」
「……………………いない」
「はいうそ~」
「なんでだよ!」
「変な間があった」
「たまたまだ」
「嘘なんかつかなくていいのに。だって居るならさ、迎えに来てもらうの悪いでしょ?」
「……だからいねえって言ってんだろ」
「私は居るよ、好きな人」
「あっそ」
「……それだけ?」
「他になにがあるんだよ」
「…………ないなら、いい」
そう言ったきり、は窓の外へと顔を向けた。もうすぐ市街地に入る。年に4回、こいつを送るときにだけ通る道だ。空港の出口でを待つのも、こうやってつかの間のドライブをするのも、果たしていつまでできるのだろうかとぼんやり考えながら、俺はハンドルを切った。
*************
◆鶴見さんがモテすぎてとばっちり
「これ、鶴見副部長に渡しておいて!お願い!」
突然大きな紙袋2つを持たされてぽかんとしている私に、数名の女子社員が頭を下げる。今日はバレンタイン。この紙袋に入っているのも、もちろんバレンタインチョコなのだろう。それは良いとして、なぜ赤の他人のチョコを私が鶴見さんにデリバリーしなければならないのか……。と、我に返って疑問を呈する前に女子集団の中の一人が「さん、鶴見副部長と仲良いでしょ?社員一同からってことにしてもらえない?」と尤もらしい言い訳じみた理由を付け足す。まあ、仲が悪いとかではないのだけど。だからといってこんな無茶な任務を押し付けられる筋合いもないだろう。さてどう断るべきかと口を開きかけた時にはその女子社員集団はじゃあよろしくと足早に去ってしまった。ええええ……。
「ちょっと、そんなところ突っ立ってたら邪魔だよ」
「あ……宇佐美くん」
「ていうか、そのチョコ?の山なに?まさかが貰ったわけじゃないよね」
「それがさあ……聞いてくれよ宇佐美くん」
私が事の顛末を話すと、宇佐美くんはドン引きしたというか心底軽蔑したような眼差しを向けてきた。
「なにそれ。で、なにも言い返せないまま受け取っちゃったわけ?馬鹿じゃないの」
「いやだって、そんな、急にこんなこと頼まれると思わないじゃん」
「不意討ちでも結果的に受け取っちゃったんだから自業自得でしょ。ほんとってどんくさいよね。ま、チョコ一つ自分で渡せないような意気地無しよりはミジンコ一匹分くらいましだけど」
誉めてるのか貶してるのかわからない台詞を残し、宇佐美くんは鞄を引っ提げて出口へ消えていった。……たしかに彼の言う通り、本命にしろ義理にしろ他人任せにしているようではいろんな意味で先が思いやられる。そう考えると、責任重大だと沈んでいた心が少しだけ軽くなった。宇佐美くんのおかげというのが少し悔しいが。
定時を30分ほど過ぎた事務所は所々電気が消えていてどこか寒々しい雰囲気だ。そのなかに一人ぽつんと鶴見さんが座っている。私が自席に紙袋を下ろすと、鶴見さんがちらりとこちらに顔を向けた。
「さんはまだ帰れないのかい」
「ええ、まあ……超急ぎってわけではないのですけど、ちょっと進捗が悪くて」
「そうか、厳しそうなら早めに相談するんだよ」
「あ、はい。ありがとうございます」
「この仕事が片付いたら、打ち上げでもどうかな」
「良いですねぇ。下戸同士で美味しいもの食べますか」
短い会話のあと、鶴見さんはすぐモニターへと視線を戻す。このいかにも訳ありな紙袋についてつっこまれるかと思いきや、意外にも彼からの言及はなかった。しかしこのまま暖めておく理由もないので、私は意を決して再び紙袋を手に鶴見さんのデスクへと足を向けた。
「鶴見さん、これ……あの、えっと……なんていうか、女子社員一同からなんですけど、」
言いたいことがまとまらず、しどろもどろでチョコの山を差し出す。鶴見さんは大きな瞳を驚いたように見開いた。
「……そうか、今日はバレンタインだったね」
「あ、はい。そうです……日頃の感謝ってことで、女子社員みんなからです」
鶴見さんは一番上の一つを手に取り「こんなにたくさんもらえるなんて思わなかったな」と苦笑した。なにせ紙袋山盛り二袋分だ。ここまでの量はいくらモテる男でもそうそうお目にかかれないだろう。つられて私も笑ってしまった。こんなことなら私も用意すればよかったなあなんて後悔しながら。
そういえば鶴見さんにバレンタインチョコを渡したことはなかった。休憩時間の差し入れや旅行のお土産などを渡したことはあるけれど、イベントごとになるとどうしても身構えてしまう。それに、鶴見さんは周りとどこか一線を引いている気がしたから。踏み込んではいけない領域なのだと私の方も無意識に線引きしていたのかもしれない。だからやり方はさておきこんな風に気軽にチョコを用意した彼女たちが少し羨ましくもあった。結局私も彼女たちと同じ意気地無しだったのである。
「ありがとう。あとで頂くよ」
「こんなにあったらしばらくおやつには困らないですね」
「そうだなあ……太ってしまわないように気をつけないと」
「鶴見さんって太るんですか?」
「そりゃあ私も人間だからね。それに、体型維持には気を使わないといけない歳だ」
「意識高いですねえ」
「若い子に笑われないようにね」
ふと鶴見さんが私を見て優しく笑ったので思わずどきりとする。
「ところで、この中にさんからの分は入っているのかな?」
*************
◆鯉登さんと全力鬼ごっこ
「待てッ!!何故逃げる!!」
「鯉登さんが追いかけてくるからですッ!」
ぎゃああああと良い歳して泣きそうになりながら全力疾走する。その後ろからはこれまた本気で私を追い掛けてくる鯉登さん。
「お前が逃げなければ追いかけたりせん!止まれ!」
なんですかその卵が先か、的な終わりのない問答は。しかし、ここまで執拗に追い掛けてくるだなんて、知らないうちになにかやらかしてしまったのだろうか?……さっぱり見当もつかない。なーんて考え事をしているうちにとうとう追い付かれてしまった。そりゃそうだ。鯉登さんに足の速さで敵うはずもない。しかし相手も同様に必死だったらしく、二の腕を力任せにガッと掴まれる。
「いだだだだ!」
「……す、すまん」
素直に謝ってはくれるが、解放してくれる気配はない。ただ少しだけ腕への食い込みが緩んだだけである。私たちは暫くの間無言でぜえはあと肩で息をしながら睨みあった。一度足を止めてしまえばもう大人にあるまじきガチの鬼ごっこを再開する気力などこれっぽっちも残っていない。降参の意思を示すため…というよりはもはや立っていられなくなった私はぺたりと地面に座り込む。
「だ、大丈夫か?」
「だい、じょばない…です」
「妙な日本語を使うんじゃない」
こんなときに言わなくても。思わず苦笑すると、顔をしかめていた鯉登さんも少しだけ口許を緩めた。逃げられる心配がないとわかったのか私の腕もようやく解放される。圧迫感がなくなり、腕の先へ血が巡っていくのがわかった。ほんと、どんだけ強く掴んでたんだよと若干呆れつつ息を吐いた。段々と呼吸が整ってくるとともに、自分は一体どうして追いかけられていたのか、その原因が気になり始める。
「で、私になにかご用ですか」
「……逃げる前に聞かんか」
「え、いやだって、鯉登さんが鬼のような形相で歩いてくるから……」
単純に怖くてつい、と肩を竦めたら鯉登さんも長ーい息を吐きながら私の隣に腰を下ろした。今更ながら、ここは公園の一角である。つまり私たちは街中であの逃走劇を繰り広げていたわけなのだが……通報されてないことを祈ろう。ようやく思考力を取り戻して辺りを見回したが、幸いなことに人影は見当たらない。……喉が乾いてきた。どこかに自販機はないだろうか。と、鯉登さんが居るのとは逆方向を向いていたら今度は両肩を掴まれて無理やり鯉登さんと向き合わされる。
「」
「なん……ですか」
「俺の分のチョコは」
「…………え?チョコ?なんで??」
「今日はバレンタインだろう」
「……どうして私から貰えると確信を持ってたんですかね」
別に付き合ってもないのに。まあ仲が良いのは認めるが、かといって友チョコを渡すほど親密といわけでもないし。ガチのマジでわからなくて鯉登さんの言い分を待っているとその表情がみるみるうちに沈んでいった。
「……俺の勘違いだったのか」
「あ、あの……話が見えないんですが」
「お前が、本命にチョコを用意していると聞いた」
「誰から」
「それは……う、噂でだが……」
「……そんなんほいほい信じないでくださいよ」
しかし出所はわかっている。先日友人とバレンタインの話になったとき、私が「たまには本気のやつ用意してみようかな~(しないけど)」と発言したのが元に違いない。それを誰が鯉登さんの耳に入れたのかまでは流石にわからないけれど。素直なのは鯉登さんの長所でもあるが、短所でもあった。
「じゃあ、誰にも渡していないんだな」
「残念ながら。ていうか、鯉登さんもチョコ欲しがるんですね」
「わっ、悪いか」
「いや悪かないですけど、ちょっと意外」
「そうか……?」
「鯉登さんならチョコの一つや二つ貰えてるのかと」
「まあ貰っていないことはないんだが……。こういうのは意中の相手から貰ってこそ意味のあるものだろう」
「一理ありますね」
「だから……その、お前から……」
「あ~、本命からが期待薄だから私のとこに来たってわけですか」
「ち……違うッ!」
やばい、からかいすぎた。鯉登さんは反応がおもしろすぎてついからかいたくなってしまう。今も顔を真っ赤にしながら怒る姿は正直とても微笑ましい。でもこれくらいで本当にやめておかないと。
「すみません、調子に乗りました」
「……、本当に気づいていないのか」
褐色の肌にも明らかにわかるほど赤くなった鯉登さんが私の両手を取った。なんだか雲行きが不穏になってきたような。妙な雰囲気を感じとり、私は冷や汗をかく。睨んでいるんだか威嚇してるんだかよくわからない鯉登さんの力強い瞳がザクザクと私を刺していく。まさか……いやいやいや。
「」
再度名前を呼ばれて思わず固唾を飲む。ああ、お願いだからその先は言わないでください。私の心の準備はまだなのです。
*************
◆幼馴染みの三島くんは案外重たい
私には仲の良い幼なじみがいた。と言っても放課後や休日に二人で遊ぶようなことはなく、ただ学校ではなんとなく距離が近くて、よく話したりからかったりからかわれたり。そんな男の子だ。「大人になったら結婚しようね」なーんてありがちな約束もしちゃったりして、ピュアで単純な私はそれが当然のように実現するものと疑わなかった。きっと彼の方はもう覚えてなんかいないだろう。かくいう私も今では朧気な記憶の中、少し舌足らずな三島くんが小指を出している場面が辛うじて浮かんでくる程度だった。
中学に上がっても相変わらず仲良くはしていたけれど、恋人だとかそんな雰囲気には程遠かった。私は私で、三島くんを意識してはいてもクラスメイトの噂になるのが嫌だったので自分からなにかを仕掛けようとは思わなかった。思春期の子供にとって恋愛に関する噂の的になるのはある種の恐怖だ。少なくとも私にとっては。女子だけならいざ知らず、男子からの容赦のない下品な野次に耐えられる自信はない。きっと三島くんなら、あのどこか毒を隠した笑顔でさらっとかわしてしまうのだろうけど。
私たちの関係性が変わったのは高校生の頃だ。地元の小さな高校でも小中学校と違って学区外の子供も多く入ってくる。三島くんは成長期を迎えて背も高くなり、あの派手な顔立ちもあってやたら目立っていた。近隣の町から通っている女子たちが彼を見る目は明らかに恋する乙女だ。どちらかというと地味グループに属する私はそのキラキラ女子たちに認識されないよう、三島くんには極力近づかないようにしていた。きっと自業自得なのだ。気付いたら三島くんには後輩の可愛い彼女ができていた。ぽっかりと胸に穴が開いたような感覚。遠い暗闇の中からひとりぼっちで二人を眺めているような虚しさ。これが失恋なのだと、私はようやく理解した。
「ここ、空いてる?」
大学のカフェで思い出に浸っていた私はその一言で現実へと引き戻された。少し懐かしくて、あまり聞きたくない声。窓の外へ向けていた顔を一拍遅れて戻すと、三島くんがにこりと笑っていた。三島くんと同じ大学へ進学したのは本当の本当に偶然だ。なにせ私は高校の3年間、彼とまともに口をきいていないのだから。
ただし学友と言ってもキャンパスで出くわすことはほぼゼロだった。学部も違うし、行動範囲は被っていない。別に話すような用事もない。三島くんの姿を見かけたのは入学してすぐの1回きりだ。だから正直今の今まで忘れていた。私は動揺を気取られないよう、すぐにまた窓の外へ視線を向ける。
「なにか用?」
「……久しぶりに会ったのに随分な言い種だな」
「そうだっけ?」
自分でも可愛くない、と思う。勝手に避けて勝手に失恋して勝手に後悔して。私はあの可愛い後輩にはなれない。ガタッと小さな音を立てて三島くんが腰かけた。本当になんの用だろうか。今更話すこともないはずなのに……。顔の向きはそのままに、ちらっと横目で彼の様子を伺うと、こちらをじっと見つめる大きな瞳と視線がぶつかった。前よりずっと目鼻立ちがはっきりしてきた気がする。無意識に昔との違いを探してしまい、久しぶりに間近で直視した三島くんから私は目が離せなくなった。
「こんな時間に珍しいな。なにしてるの?」
「……自習。そっちは?」
「俺はちょっと暇潰しに散歩してたら、たまたまを見かけた」
「……そうなんだ」
私は生返事をしてまた窓の外を見る。向かいに建つ図書館に吸い込まれていく学生たちを観察しながら、これのどこが自習だと自分自身につっこみを入れた。
「なあ、俺のこと、昔みたいに呼んでくれないのか?」
「……嫌だよ、恥ずかしい」
「あの呼び方するの、だけだったよな」
「余計にはずいじゃん」
昔の私は三島くんのことをあだ名で呼んでいた。ここ数年は呼ぶこともなかったけど。だけ、の台詞に少しだけどきりとする。たしかにそうだったかもしれない。子供の頃のあだ名なんていつ誰がつけたのかわからないものが大半だ。私にも人によって複数のあだ名で呼ばれていたけれど、どれも気がついたらそうなっていた、という出自不明のものばかりだった。
「そんなに気に入ってるなら彼女に呼んでもらえば」
「……もう別れた」
「そう、なんだ。もったいない」
「ほんとにそう思ってる?」
意味がわからなくてつい三島くんの方を見たらどこか悲しそうな顔でこれまた私をじっと見ていた。
「……ど、どういうこと?まさか別れたのって私が原因……とか言わないでしょうね」
「そうだよ」
「えっ」
きれいさっぱりまったくもって心当たりがない。そもそも私は三島くんに関わらないようにしてきたはずで、だから別れる原因になったとは考えにくい。私のせいと言うわりには怒ってなどいなさそうな彼の様子もちょっと変だ。
「、高校の時急によそよそしくなっただろ。」
「……」
「嫌われたと思ったんだ。だからいっそのことを忘れようと思って、あの子と付き合った」
「……なに、それ」
「彼女のことも好きだったよ。別に、いいかげんな気持ちで付き合ってたわけじゃない。でも……やっぱり、がいいって思っちゃったんだ」
「…………今更、だね」
「そんなことないだろ」
「じゃあ剣くんは、私がずっと剣くんのこと好きだったって言ったら今更言うなって思わないの?」
「思わない」
「重い女だって言わないの」
「言わないよ」
「私、天の邪鬼だし面倒くさいよ」
「……知ってる」
「……じゃあ、好き。私と付き合って」
「じゃあってなんだよ……でも、良いよ。俺もそれを言うつもりで来たから」
堪えていた涙の粒がぽろっと落ちる。剣くんはふっと笑ってそれを指で拭った。今日、この時間に気まぐれでこのカフェへ入ったのは、もしかしたら運命だったのかもしれない。なんて思いながら私も笑った。
*************
◆宇佐美さんは離してくれない
宇佐美さんは、自分に無害な人間や初対面の人、女子供には基本的に紳士だ。私はその第一印象にまんまと騙された一人で、彼とお近づきになるため、ありとあらゆる手段を使った。幸か不幸かその努力が実って喜んだのは束の間、宇佐美さんの態度は一変した。必死にゲットした連絡先には「今から来れる?」「明日ちょっと付き合ってほしいんだけど」などというこちらの都合はガン無視の呼び出しばかり。廊下ですれ違ってもスルーされるし。バカな私はそれでも嬉しかった。恋は盲目とは正にこのことだ。
そんなお花畑思考がストップしたのはついさっきのこと。先日、友人たちとの女子会で宇佐美さんのことを話すと「それ完全に都合のいい女じゃん。、その人大丈夫なの?」と忠告されてしまった。その時は宇佐美さんに限ってそんなこと……と全力で否定したけども、友人の言葉は私の心のどこかにささくれみたいに引っ掛かり、そして時間をかけてじわじわと傷口を広げていった。都合のいい女……そうなのだろうか。宇佐美さんに会えるだけで嬉しかった。呼びつけるということは、彼の心のなかに私が居るということ。それのなにがいけないの?否定したい気持ちとは裏腹に、会えるのは宇佐美さんから連絡が来るときだけで、会社では挨拶どころか目も合わせてくれない、それが都合のいい女でなくてなんなのだと訴える自分も居る。感情がぐちゃぐちゃな状態のなか、今日もまた宇佐美さんから呼び出しの連絡が来たのだった。
『今日の夜ちょっと付き合って』
午前中に来たそのメッセージを既読無視したまま、私は会社を退勤して自宅の最寄り駅まで早足で向かった。宇佐美さんの使っている駅が真逆なのは知っている。さっさと自宅に籠城してしまえば……そう思っていた私の背後からがしっと手首が掴まれる。不審者かと咄嗟にバッグを振り上げれば、そこにいたのは宇佐美さん。
「……なんで返事寄越さないの」
うわ、超怒ってる。獲物を見つけた猛獣みたいに興奮した様子の宇佐美さんが私を見下ろしていた。
「わ、すれてました」
「嘘つき」
手首を握る力が一層強くなり顔をしかめたが、宇佐美さんは気にせずぐいっと強引に私を引っ張っていく。どこにいくのかと聞くまでもなくわかる。私の自宅への道だ。道順もオートロックの番号も既に知っている宇佐美さんはあっという間に玄関ドアの前まで入ってしまった。「鍵出して」と要求されれば私も最早嫌とは言えず、大人しく鍵を手渡す。室内へと引き込まれたのとほぼ同時に宇佐美さんがドアを閉めて、すかさず私の顔の横にガンっと大きな音を立てて手を付いた。
「既読無視なんて随分ナメた真似するようになったね、」
「だ、だから……それは、うっかり忘れてた、だけで」
「どうしてうっかり忘れちゃったの?男でもできた?」
電気もつけていないので表情こそわからないが、声色だけで怒りと苛立ちが伝わってくるようだ。私は初めて宇佐美さんを怖い、と思ってしまった。その瞬間、涙が溢れてしまう。怖くて、悲しくて、自分ではどうしたらいいのかわからない。
「……泣くほど嫌ならはっきり言えば?」
「ち、が……」
「違わないでしょ。泣けば僕が身を引くと思ってるならお門違いだよ。ボロ泣きしてみっともない。大人なんだからちゃんと自分の意見くらい言いなよ」
「……宇佐美さんが好き」
嗚咽を抑えた涙声でやっと伝えると、意表を突かれたらしい宇佐美さんが息を飲む気配がした。真っ暗な沈黙のなかで私は今日の宇佐美さんめっちゃ怖いし手首痛いし涙と鼻水止まんないしもう最悪、でも宇佐美さんが好きとかめちゃくちゃな思考回路になりつつ袖で一生懸命涙を拭う。どれくらいそうしていたのかはわからない。袖口全体が湿ってきた頃、宇佐美さんが私を自分の胸に引き寄せた。大きな掌が私の肩をすっぽりと優しく包んでどこか心地よい。
「……だからさあ、そういうの、もうちょっと早く言ってよね」
「え、あの」
「僕も今日それを言いたくて連絡したのに」
「うそ……」
「へえ、疑うんだ?僕のこと好きなのに嬉しくないの?」
「嬉しいけど、信じられな……だって宇佐美さんには、鶴見さんが」
「もちろん鶴見さんの次だよ?」
「……あ、はい…」
「でも、鶴見さんの次に好きなのは」
これってすごく名誉なことだよ?とでも言いたげに、宇佐美さんが頭上で笑うのがわかった。
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◆月島先生は難攻不落
「、これでも俺は一応忙しいんだが」
私の好きになった人は学校の先生だ。無愛想で堅苦しくて規則正しくて優しい先生。私は先生の迷惑も考えずあれこれ理由をつけて毎日のように職員室や生徒指導室に通っていた。とにかく接点がほしくて、私をと認識してほしくて、その一心だった。知ってもらわなきゃお話にならない。知らなきゃ接点も持てない。先生の好きなもの、好きなタイプ、得意なこと、出身地、あだ名……とにかく全部を知りたかった。がっつきすぎと友達にドン引きされたって、先生からやんわりと注意されてもめげたりしない。だって私には時間がないのだから。
そうやっていつものように放課後先生の元へと押し掛けるとやっぱり困ったように笑って注意されてしまった。これもいつものことである。決して追い返したり邪険に扱わないところもやっぱり好きだなあなんて、先生の困り顔を見ながら私ははにかむ。普段は固い表情の多い月島先生が頬を緩める場面はそう多くない。だから私には貴重な顔が見られてラッキーくらいにしか思わないのだ。でも、それもあと1か月ちょっとでおしまい。入学してすぐ好きになった先生へのアプローチに全力投球してきた高校生活は終わろうとしている。……なんの結果も出せないまま。私はひそかに決意していた。このバレンタインで全部諦めようと。
「そんなこと言わないでくださいよー!受験頑張ったんだから、少しくらいいいじゃないですか」
「どんな理屈なんだ、それは」
「それより先生、はいこれ!」
月島先生のつっこみをスルーして細い金色のリボンがかかった焦げ茶の箱をずいっと差し出すと、一瞬驚いた様子を見せたあとで受け取ってくれた。今まで買ったことのない大人っぽい外装のチョコだ。きっとほろ苦い大人の味がするに違いない。2年前は手作りのトリュフ、去年は手作りのチョコチップクッキーを渡した。これで家庭的なところをアピールする狙いがあった。でも今年は特別だ。一応毎回衛生面に気を付けてはいるけれど、最後の最後でなにかあっては困ると思って既製品に落ち着いた。果たして、先生は私のお菓子をちゃんと食べてくれていたのか。実は怖くて一度も確認したことがない。私もこれで案外臆病なのだ。
「俺がもらって良いのか」
「当たり前じゃないですか!そのために選んだんですよ」
「……ありがとう」
「どういたしまして!月島先生、私の方こそ、3年間ありがとうございました」
改まって深々と頭を下げると、今までのことが走馬灯みたいに駆け巡っていく。想いは届かなかったけど、先生を好きになって良かったと胸を張って言える。恋愛は一方通行じゃだめだってことも、辛いドキドキと嬉しいドキドキがあるってことも、全部先生が教えてくれたことだ。
「すまないな」
涙腺が決壊しそうでなかなか頭を上げられないでいると、月島先生がぽつりと呟いた。恐る恐る姿勢を戻せば先生が私を見て薄く笑っている。放課後の薄い夕映えが先生を背後から包んで少しだけ影がかかっていた。これが見られるのもあと数回。私はその光景を目に焼き付けるように見つめ続ける。
「お前の気持ちをわかっていても、俺にはなにもできないんだ」
どうして先生と生徒は付き合ったらだめなんだろう?好きになってからそんなことを言われても困る。いや、予め言われていたとしても私はきっと好きになってしまったと思う。
「先生がそう言ってくれるだけで、もう十分です」
「……お前のその明るさと前向きさがあれば卒業してもきっと上手くやれるだろう」
「私ね、諦めも悪いんですよ先生」
「そうらしいな」
「大人になったら、また会いに来ていいですか」
「……ダメだと言っても、押し掛けてくるんだろう?」
「もちろん」
私が先生と同じくらい大人になったら、それでもまだこの気持ちが揺るがなければ、月島先生は今度こそ受け止めてくれるだろうか。あてのない未来は遠すぎて、私には想像がつかなかった。
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◆門倉さんの私生活が心配
ピンポンピンポンピンポンピンポンと、音符マークの付いた古めかしい呼び鈴を高橋名人ばりに連打すれば、若干うんざりしたような門倉さんが顔を出す。対して私は元気そうな彼の姿を確認できたことでにっこり笑顔を浮かべた。正直、ほっとしたのとおもしろがっているのが半々だ。
「そんなに鳴らさなくてもきこえてるっての……六畳一間だぞこのおんぼろアパートは」
「大家を前にしてずいぶんはっきり言ってくれるじゃないですか」
「まだ大家じゃねえだろ」
「次期大家ですよ」
このおんぼろアパートの大家の娘である私が門倉さんのもとへ定期的に通うようになったのにはきちんとした理由がある。
今時家賃を現金手渡しで回収している我がアパートの支払期日は毎月月末だ。だが12月の末、門倉さんは家賃の支払いに来なかった。胡散臭い雰囲気はあるものの、家賃の滞納は今まで一度もなかったので心配になり父親と様子を見に行ったところ、床にうつ伏せで倒れた門倉さんを発見したのだった。曰く、沸かしたお湯が腕にかかりそうになったのを回避しようとして転倒したらしい。そしてそのまま意識を失ってしまったところに丁度私たち親子が訪問に来た……ということのようだ。それまでは両親へ「振り込みの支払いに対応するべき」と散々訴えていた私はこの一件で綺麗に手のひらを返した。
「で、その次期大家様が俺みたいな下々のもんに一体なんの用なんだ?」
「そんな邪険にしなくてもいいじゃないですかー!はい、お裾分け」
私はタッパーに入ったおでんを押し付けるように手渡す。門倉さんはドジっ子なだけでなく食生活もあまり健康的とは言い難い。それが明るみになってからは様子見とお見舞いの名目で私や母がこうして時々お惣菜を届けに来るようになった。本人の自己申告が事実なら、どうやらバツイチらしいが……きっと奥さんも苦労したに違いない、と私は密かに確信していた。
「おおー、おでんか。いいねぇ。あんたが作ったのか」
「いえ、母ですよ」
門倉さんは毎回これを聞いてくる。どうしてだろう?と考えてみても、イヤミなのではとネガティブな答えしか浮かばなかった。料理が苦手というほどでもないが、やはり実家暮らしだとどうしても母親に甘えてしまうのはたしかだ。
「でもほら、今日はお菓子も持ってきたんですよ」
そう言って別のタッパーを開けて見せる。炊飯器で作れるガトーショコラだ。つまり誰でも作れる超簡単スイーツなのだけど、見た目にはそうとわからない。
「こっちは私が作りました」
「……食えるんだろうな?」
「たっ、食べれますよー!ちゃんと父にも試食してもらったし!」
くっく、と声を殺して笑う門倉さんが受け取りながら涙を拭う。本気で料理できないと思われているのか、からかわれているのか気になるところだ。
「いやー毎回助かるよ。俺一人じゃあイカの炙りくらいしかできねえし」
「それただのおつまみじゃないですか」
「イカには栄養があるからいーんだよ」
「うわあ、ダメな大人だあ」
「うるせえ」
「お米くらい炊けるでしょ?」
「炊飯器ない」
「……で、電子レンジでもできますよ」
「あーそうなの?なら久しぶりに米買ってくるかね……」
ここまで生活力のない人だとは。そんなんでよく今までやってこれたなとつい感心してしまう。
「……良かったらこれからは私が食事の用意しましょうか」
「嬢ちゃんが?」
「ですってば」
「あんたそんな暇あるの?」
「今の仕事、在宅なんである程度は」
「かーっ!在宅ねえ……時代は変わったもんだな」
「門倉さんがまた倒れたりしたら面倒なんで、様子見がてら作りに来ますね」
「……オイオイオイ、俺はまだ頼んでないって」
「でもちゃんとしたもの食べないと、ほんとに体壊しちゃいますよ」
「わかっちゃいるんだがね」
「私、ちゃんと心配してるんですよ」
「……ありがとさん」
どさくさに紛れて約束してきてしまったけど、門倉さんは感付いてないだろうか。自室に戻ってからようやくドキドキし始めた心臓のあたりをぎゅっと押さえながらさきほどのやり取りを反芻する。親子ほど歳の離れた門倉さんを好きになっただなんて誰にも言えなくて、ただ「大家の娘」として仲良くなれればいいなんて思っていたはずなのに。どんどん欲張りに、大胆になっていく自分が怖い。……とりあえず、門倉さんの好きそうなおかずを練習でもしておこう。
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◆菊田さんは自制している
あいつを意識するようになったのはいつからだっただろうか。と、煙草の煙を寒空に向けてゆっくり吐きながら振り返る。思い出すのは底抜けに明るい笑顔、笑顔、笑顔、それから泣き顔。1度だけ泣いているのを見たことがあった。不幸にも些細なミスが重なって、そこそこの大きさの取引がなくなりかけた時だ。周りが色々とフォローした結果、最悪の結末は免れた。だが責任を感じた彼女は暫くの間見ていられないほど落ち込んでしまった。いつものように一服しようとここへ来たとき、隅の方で膝を抱えているのに出くわして……きっとその頃だ。いつも元気なやつが静かだと調子が狂うってだけだったはずが、いつの間にか目で追いたくなっていった。
「菊田課長」
「……ん?なんだ、また来たのか、」
「菊田さんこそ、いつもこんなところで煙草なんて吸って寒くないんですか?」
「寒いに決まってるだろ」
「ですよねえ」
はあーっと手のひらに息を吐きながらが俺の隣へ並んだ。近年の社会は愛煙家にとって非常に肩身の狭い世の中になった。我が社も例に漏れず、休憩室に隣接した6畳ほどの喫煙所が2年ほど前に廃止され、煙草を吸うためには屋上まで上がらなければならなくなった。それでもこうやって1日に数回は屋上へ足を運んでいるのだから我ながら呆れてしまう。
非喫煙者であるはずのが屋上に上って来るのは珍しいことじゃない。「ちょっと気分転換に」「たまには菊田さんとお話ししようと思って」などなにかと理由をつけては俺の隣へ並ぶ。なんだかよくわかんが、どうやら俺はになつかれているようだ。普通は煙草の煙なんて嫌がるよなあ。その事実に悪い気はしないが、勘違いをしてしまいそうで怖かった。セクハラと思われちゃ堪らない、と言い訳して今日も俺は自分の気持ちに蓋をする。自慢じゃないが、見て見ぬふりは得意だ。
「菊田さん、チョコ何個貰いました?」
「……は?チョコ?」
「今日バレンタインじゃないですか。だから、菊田さんは貰ったのかなって」
「ああ……それでか。たしか2つは貰ったぞ。義理だけどな」
ちなみに貰ったのは事務所を掃除しているばあさんからの板チョコと、喫煙所でたまに出くわす別部署の後輩が誰彼構わずばらまいていたチ○ルチョコだ。貰った数で一喜一憂する年でもなし、意識していなかったというのが正直なところだった。
「は、誰かにあげたのか」
何故こんなことを聞いてしまったのか、自分でもよくわからない。意識していないと強がっている癖に、の返答次第では確実に落ち込んでしまうであろう自信があった。……まあ、聞いてしまったものは仕方がない。俺は平静を装ってへと視線を落とした。
「まだ、ですけど……予定はあります」
「お前もこういうイベント事は乗っかるんだな」
「私は結構好きですよ、バレンタインって」
「ほお、そりゃまたどうして」
「義理の体でどさくさに紛れて好きな人にもチョコ渡せるから」
「そんなんじゃあ、そいつに気持ちが伝わらないままじゃないのか?」
「いいんです、それで。私にはもったいない人だから」
は俺を見上げて寂しそうに笑う。望みのない相手なのかもしれない。そんな顔をされたら俺じゃ駄目なのか、などとつい余計なことを口走りそうになる。
「というわけで菊田さん、これ貰ってくれますか?」
そう言ってが俺に小さな紙袋を差し出した。なにがというわけなのかはさっぱりわからないが、話の流れからして中身は紛れもなくバレンタインチョコなのだろう。しかし……
「こりゃ義理ってことか?」
あんな話の直後ではそうとしか思えず、苦笑しながら受け取る。一生自分では買わなさそうな洒落たチョコだが、もしかしたらは義理でも力を入れるタイプなのかもしれない。
「内緒、です」
肯定も否定もせずいたずらをするガキみたいに、にやりと笑う。だから、そんなことされたら勘違いしちまうだろうが。