会社の尾形さん4

 目を開けると視界が真っ白だった。暫くの間ぼんやりしながらそれを眺めていたけれど、少しずつ意識がはっきりしてきた私はその白いものが尾形さんだということに気が付いて体を起こした。今回はしっかり覚えている。私は自分の意思でここへ来たのだ。たしか、あのあと尾形さんが離してくれなくてそのまま眠ってしまったんだっけ。なんだかとんでもなく恥ずかしいことを言ったり言われたりした記憶があるのだけど、あれは夢だろうか。そうであってほしいと思うくらい、行為ではなくそのあとのやり取りの方が恥ずかしかったような気がして今更ながら耳が熱くなった。
 尾形さんの腕から抜けた私はまだ起きる気配のない彼の無防備な寝顔をまじまじと見つめる。……どうしてこんなにどきどきしているのだろう。尾形さんのことは好き、というよりも興味が湧いたと言った方が近い気がするので自分でも不可解だった。きっと短期間のうちにいろいろなことがありすぎたせいだ。自分とは遠い世界の人間で、縁がないと思っていた尾形さんが今こんなに近くにいる。会社で遠くから見る彼は年もそう変わらないはずなのに余裕があってスマートな大人で正に一分の隙も無いといったイメージだった。でも実際は結構子供みたいなところあるし意地悪だし、それに強引だし。なんだ、案外普通の人だったんだななんて当たり前のことに驚いてしまった。
 そうやって今までの尾形さんとのやりとりを思い出しながら無造作に投げ出された尾形さんの手をなんとなく撫でていると、その手がぴくりと動いた。

……」

 少し掠れた声で名前を呼ばれ、私は不覚にもどきりとしてしまう。尾形さんがゆっくりと目を開け、触っていた私の手を握り返した。

「……随分早起きだな」
「そうですか?」

 時計を見るとまだ朝6時過ぎだ。たしかに休日にしては早起きかもしれない。時間を認識した途端私は欠伸を堪えきれず口に手を当てた。尾形さんはまだ寝足りないらしくて、私を再び布団へ引っ張りこもうとしているが寝起きのせいかあまり力は入っていない。誰かと朝を迎えるのは久しぶりだった。こんなにも満たされた気持ちになっているのはまさかとは思うが、もしかして、尾形さんの影響なのだろうか。きっぱり違う、と言いたいのに完全否定しきれないのが悔しい。
 なかなか二度寝の誘いに乗ってこない私にしびれを切らしたのか尾形さんはのそりと起き上がった。おはようございます、と言いかけたとき、尾形さんの腕がラリアットみたいに私の首元へ伸びてきて、そのまま二人してベッドに沈む。起きるんじゃないんかい。たしかに尾形さんは朝弱そうな感じするけど……。以前の私なら尾形さんの朝は家を出る2時間前には起床しておしゃれな朝食を取ってから新聞片手にコーヒーなんか飲んじゃってるんだろうな!なんて勝手な想像をしていたはずだが、今はそんな発想にはならなかった。たぶん彼が高嶺の花なんかじゃなく自分と同じ人間だと気づいたからなのだろう。……いや、私みたいなのと比べるのは申し訳ないかもしれない。自分の自堕落な生活を思い出してみるととてもじゃないが「私と同じ」なんて言えなかった、訂正しよう。

「……尾形さん」
「なんだ……」
「腕、重たいです」

 私にふんわりとラリアットを食らわせた尾形さんの筋肉質な腕はそのまま私の胸の上に置かれていた。どけてください、とつついたらその腕が今度は私の腰へと回り、緩慢な動きで尾形さんの方へ引き寄せられる。

「昨日言ってた……ことですけど」
「ん……」
「私のことだ、だ、大事にするって」
「……ああ」
「あれって、どういう意味ですか」
「お前…………それわざと気付いてないふりしてんのか?」
「そ、そりゃ普通だったらちゃんと……察しますけど、でも尾形さんだし」
「俺だと、なにがだめなんだよ」
「もてる男は信用するなって言うじゃないですか」
「そんな教訓は知らん」

 尾形さんみたいなモテ男を好きになってもきっと悲しい思いをするだろうという思いがどこかにあるせいで、信用できないというより信用しない方がいいと私の脳が警告を出している。でも昨日はお酒入ってたし、場の勢いとか、そういうのもあるだろうし……とごにょごにょ言い訳している私を尾形さんがゆるく抱きしめた。

「素面なら信用すんのか?」
「……そ、れは……」
「はっきりしないまま抱いて悪かったよ。これからはが良いって言うまで手は出さねえ」
「べ、別に、私だって、嫌だったらここまで着いてきたりしないです、けど」
「……それはイエスってことだよな?」
「え、あの」
「目が覚めちまった」

 そう言って起き上がった尾形さんが私を組み敷いた。……嫌な予感がする。私はなにかを察して顔を引き攣らせた。押さえつけられた両手を一生懸命動かそうとしてみるがびくともしないし、疲れて抵抗を諦めると尾形さんの顔がだんだん近づいてきたので私はつい顔を背ける。直後、胸のあたりに温かいものが触れて目を開けると、私の胸に尾形さんがぴたりと顔を付けていて驚きと羞恥心で心拍数が上昇するのを感じた。

「襲われると思ったか?」
「……お、も、……ってません」
「嘘つけ」
「嘘でもいいから……ちょっと離れてくれませんか」
「いやだ」

 尾形さんはあっさり拒否し、胸の上から離れようとしない。私は気付いてしまった。胸に顔を押し付けられているはずなのに苦しくないことに。なんだよこの人。意地悪するくせにちゃんと優しいなんて。超現実的なタイプだから尾形さんなんか興味ないなどと言っておきながら、私はすでに陥落寸前だった。意識すればするほど動悸が激しくなるようで更に羞恥心が増していく、その羞恥心がまた心音を激しくする……という悪循環に陥った私は涙目でまた抵抗しようとしたが、尾形さんはものともせず掴んでいた私の手を自身の胸元へ導いて、左胸にそっと当てた。そこから伝わってくるのは私と同じように早鐘を打つ尾形さんの心音だった。ごくり、と無意識に唾を飲み込む。

「一緒だな」
「……っ」
「なあ、認めてくれよ」
「……」

 露出した胸元に吐息がかかってくすぐったい。ぞくぞくするような感覚に否が応でも昨夜のことを思い出した。もうすでに崖っぷちなのは自分自身がよくわかっている。ああでも、素直に認めるのはやっぱり癪だ。

私を焼き尽くす黒4