発端は私が持ち込んだお酒だった。ひょんなことからちょっと良いお酒を手に入れた私だったがさすがに一人で消費できるほど酒には強くない。さて、どうしようかと思案していたところでふと思いついたのだ。私は尾形さんがお酒を飲んでいるところを見たことがない。健康を気にして禁酒しているのか、下戸なのか、お酒自体が嫌いなのか、それすらわからない。
「尾形さんて、お酒飲めないんですか?それとも飲まないだけ?」
「……飲めなくはない」
「得意ではなさそうですね」
思い立ったが吉日とばかり、未開封の酒瓶を手に尾形さんのもとへ行って直球で聞いてみると返ってきたのはなんだか含みのある言い方だった。それじゃあどうとでも取れる。だが無理強いするのも気が引けるので、ここは大人しく退散しよう。そういえば今日は野間さんが暇そうにしていた。私は野間さんの仏頂面を思い描き、サシ飲みは怖いから他の人も誘おうと決意して尾形さんに背を向けた。
「待て」
まさか引き留められるとは思わず、私はびくりと肩を震わせる。
「一人じゃ飲み切れないんだろ?」
「そうですけど……でも尾形さんお酒苦手なんでしょ?」
「……そうは言ってない」
「えっ……」
結局尾形さんは下戸なのかそうでないのか、わからないまま二人だけの酒宴が始まった。尾形さんが手に持った小さなお猪口になみなみと透明な液体を注ぐ。一見ただの水のように見えるが、たしかに日本酒の芳醇な香りが漂っている。尾形さんは自分のお猪口の中をじっと見つめていたと思えばすぐに飲み干してしまった。自分のお酒に口を付けるのも忘れてその様子を見守っていた私は尾形さんと目が合ってしまい、気まずさをごまかすため同様にぐいっと一気に煽る。喉の奥が焼け付くようだ。私自身はと言えば、べらぼうに強いわけでもなければ、下戸というほど弱くもない。つまりは人並みである。それでも1杯目を流し込むこの感覚には今でも慣れることができない。
勢いで尾形さんのところへ来たはいいが、こう、サシで飲むには盛り上がりに欠ける。もともとテンションの高い方ではない尾形さんが誰かと会話で盛り上がっているというのもなかなか想像できないが。私も私で気の利いた話題を振れるわけでもなく、結局私たちはほとんど無言で酌をしたりされたりしながら酒瓶の中身を順調に減らしていった。下戸なのだろうかと思っていた尾形さんは顔を赤らめる様子もなく安定の無表情で次々とお酒を自身の体内に流し込んでいく。予想が外れたことを私は少しだけ残念に思う。
「まったく飲めないわけじゃなかったんですね」
「誰がそんなことを言った?」
「いや、だって尾形さんがお酒飲んでるの、見たことなかったから……」
「好き好んで飲むほどではない」
「な、なんかすみません……」
「なにがだよ」
「無理につき合わせたみたいになっちゃって」
「……俺に断られたら、誰のところへ行くつもりだったんだ?」
その問いかけに答える前に、私の肩に重いものがのしかかってきた。言うまでもなく尾形さんである。
「お、尾形さんっ……?」
「……」
心臓に響く低音が私の耳元で囁いた。なんだか様子が変だ。熱っぽい声色は明らかに普段の尾形さんじゃない。こうしてベタベタくっ付いてくるのも考えられないことだった。原因は十中八九、この酒だろう。それで普段は飲みたがらないのかも……と私はようやく得心がいった。後ろから回された尾形さんの腕が私の体をしっかりと掴んで離さない。肩をすっぽりと包み込む逞しい腕、首筋に当たる微かな吐息、熱を帯びた胸、そしてむせかえるような酒の匂い。嬉しいような恥ずかしいような困るような。複雑な心境に陥りつつ私はごくりと喉を鳴らした。好奇心は猫を殺すと言うけれど、まさかこんなことになるとは。数分前の自分に後悔してため息を零すと尾形さんも少し身じろぎしたが私の体に巻き付いた腕は緩まない。お酒のせいもあって私の心臓はおどろくほど大きく鳴っている。
「あ、の……重いんですけど」
「ああ……」
たしかに返事は聞こえたものの、一向に離れる様子はない。ただ、肩にのしかかっていた重みがふっと軽くなった。
「いや、そうじゃなくて……離れてもらえませんか……なんて……思ったり……」
「……嫌だったか?」
「えっ、嫌っていうかッ……!」
言い淀んでいるうちに今度は尾形さんの腕が腰へと回された。この人は本当に尾形さんなのだろうか?あまりにも彼らしくない行動ばかりで自信がなくなってきた。二階堂さんみたいに、実は尾形さんも双子の兄弟が……?などとありえないことをぐるぐると妄想する。
「お前はやわらかいな」
「……セクハラ」
「なんだって?」
「……お腹を揉むのはやめてください」
「じゃあどこならいい?」
「どこもだめです!」
どさくさに紛れてどこを揉むつもりですか。私の背中におでこをくっつけているらしい尾形さんが喉の奥で笑っているのがわかる。控えめではあるけれど、こうして声を出して笑っている彼も珍しい。
「尾形さんがこんなに酒癖悪いとは予想外でした」
「酔ってない」
「全然説得力ないんですけど……もしかして、いつもこんなことしてるんですか?」
「しない」
「どうだか……」
「。お前だけだ」
不意打ちで耳元に囁かれ、私はぎくりと身を固くした。首から上に熱が集まっていく。いや、これはお酒のせい……そう、お酒のせいだ!ぎゅっと目を閉じて自分に言い聞かせていると、私の肩に再び重たいものが乗った。
「……尾形、さん」
返事はない。規則正しい呼吸から、彼が寝落ちしてしまったことがわかった。私は思わず安堵して全身の力を抜く。ちょっとだけ期待してたのだけど。なんて本心は絶対に口には出さず、お酒のせいだけでは片付かない熱を冷まそうと手で顔を扇いだ。
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頂いた内容が「酔っぱらった尾形さん」とのことでしたので私の好き勝手に書かせて頂きましたがいかがでしょうか・・・?
飲酒シーン全然なくてわからないですよね。勇作さんを誑かそうとしたところくらい?(見落としだったらとても恥ずかしい)
ザル・普通・下戸・酒癖が悪いの4パターンを考えてみましたが個人的に酒癖悪いところ見たいな~ということでこうなりました。
リクエストありがとうございました!