かさねのなかをつっぱしる9
二階堂が知らない男の人と揉み合っている
私の声は届かない。
洋平、と呼んでいるのか、浩平、と呼んでいるのか、はたまた二階堂と言っているのか
力いっぱい叫んでいるはずなのに、まるで無音映画の中みたいに声が吸い込まれていく
その癖二人が殴り殴られ刺し刺される痛そうな音はしっかり耳に届いていた
どうすればいい?
どうすればこの殺し合いを止められる?
杉元佐一、という名前はもう何度も耳にしていた。日露戦争の当時、師団の中でも少し話題になった人物である。不死身の杉元、と呼ばれていた。実際目にしたことはなかったが、どんな大怪我をしても翌日には動けるまでに回復してしまうとか。どうせ誰かがモリモリに盛って大げさに言いふらしたか、そうでなければ伝言ゲーム方式でどんどん話が大きくなったんだろうと冗談半分に聞いていた噂の人物が今私の目の前にいる。私はこの男に会うため、今日まで生きてきたといっても過言ではない。関わりのない男だと思っていたその人はいつしか忘れたくても忘れられない名前となっていった。
二階堂兄弟にキレイな飛び蹴りをお見舞いした杉元さんは私たち第七師団の待ち構えている屋外へと躍り出た。彼ら双子にはいつもやられてばかりなのでこの瞬間だけは正直ざまあみろと思わなくもない。口元の歪みを隠しながら、私も先輩たちに混ざって銃を構える。多勢に無勢といった絶望的シチュエーションでも杉元さんは淀みなく攻撃を続けたが、やがて銃を突きつけられたうえに浩平から銃床で力いっぱい殴られ雪の上に倒れた。相変わらず容赦ないな。敵ながら同情する。
鶴見中尉の事情聴取という名の尋問が終わり、出てきた杉元さんの頬には竹串が2本刺さっていて私は顔を顰めた。どうしてみんな当たり前みたいな顔しているのか理解に苦しむ。頼むから誰か抜いてやってくれ……と思いつつ黙ってその背中を見送る。あれだけタコ殴りにされた上に文字通り串刺しにされるなんて、私だったら数秒だって耐えられる自信なんてないけど、この杉元さんという男は頑なに口を割らなかった。なにか知っているだろうというのは私でさえわかる。そこまでして金塊を手にしたいのだとしたら杉元さんも気が狂っているとしか言いようがない。
それからしばらくして、兵舎の中がざわつき始めた。二階堂が杉元さんとやりあってボコボコにされたのだった。たしか、杉元さんは手足を椅子に縛り付けられていると聞いたが、そんな状態で一体どうやったんだろう……と興味津々で野次馬に混ざってみたものの残念ながら中の様子まではわからない。羽交い絞めにされた二階堂兄弟が杉元さんを罵りながら連行されるのを見ていたら手当を命じられた。彼らは完全に瞳孔がかっぴらいた状態で、こわ……と思いながらも私は落ち着き払って手当をする。
「もう諦めたら」
「お前には関係ない」
「……そうだけど」
「あいつ、絶対殺す」
「殺しちゃだめでしょ。鶴見さんに怒られるよ」
「は黙ってろ」
「洋平の歯1本で済んでるうちにやめときなって」
「……どうして俺のことがわかったんだ?」
「え……と、なんとなくだけど」
「やられっぱなしで終われるかよ。なあ浩平」
「当たり前だろ、洋平」
なんだかよくわからないが、彼らのプライドは杉元さんによって酷く傷つけられたらしい。諦めるどころかその目は復讐の炎にめらめらと燃えている。私なんかアウトオブ眼中のようだ。やっぱりこうなるのか、と嘆息した。
今回、私は厩舎の番を命じられていた。馬の世話をしながら、杉元さんが監禁されている部屋のある方角を見上げる。当然ここからじゃ中の様子などわかるはずもなく、なんの意味もなかった。
「なんだお前、不死身の杉元が気になるのか?」
同じく当番の先輩兵がからかうように肘でつついてくる。
「そりゃ気になりますよ!あの竹串、ちゃんと抜いてもらえたのかなとか……」
「果てしなくどうでもいいな……」
「いやだって想像してくださいよ、自分のほっぺたに竹串が刺さったままって……」
「やめろ!想像するだけで痛い」
「……それはそうと、あの話本当なんですかね?大けがしてもすぐ治るってやつ」
「さあな。ああ、でも、たしか野戦病院で見たってやつがいたよな。誰だっけ?」
野戦病院に行った人間なんて腐るほどいる。なにせ、先の戦争で我が第七師団は大打撃を受けたのだ。まあそれは私たちだけの話ではないけれど。そのまま帰ってこなかった者も大勢居た。彼らの多くは今頃、故郷の土の中で眠っているのだろう。それを思えば何度も負傷しては復帰したという杉元さんの生命力は驚異的と言える。興味を持つなという方が無理な話だ。ただ、私の興味は他にあった。
「ちょっとトイ……厠行ってきていいですか?」
「行ってこい行ってこい。どうせ暇だからな」
「なんなら1時間くらい潰してきてもいいぞ。その代わり、次は俺の番な」
「じゃあ次は俺」
冗談なのか本気なのかわからない。平時なら気の良い先輩兵たちが二人三人と群がってきて俺も俺もの大合唱が始まったことに苦笑を残して私はひとりその輪から外れた。一度トイレへ向かい、誰もいないことを確認してからこっそりと抜け出して兵舎へと潜り込む。シミュレーションは何度もした。大丈夫、同じようにすれば今度こそうまくやれるはずだ。……いや、同じではだめだ。なにかが足りないからこそ私はまだここに居るのではないか?ただ、なにかがダメなのはわかっても、なにがダメなのかまではわからない。考えても答えは導き出せず、結局なんの対策も浮かばないまま目的の場所に着いてしまった。杉元さんはこの廊下の角を曲がった先の部屋に監禁されている。見張りの兵士が置かれていたはずだが、どこにも居ない。その代わりドアの前でなにやらぼそぼそと小声で相談している二階堂兄弟の姿があった。やがて片方が室内に入っていく。あれが洋平だ。ごくりと唾を飲み込んでから、私は室外に残った浩平へ突撃を開始した。
「……なんでお前……ッ」
突然出てきた私に狼狽える浩平の腹部へとタックルをかましてから喉を突く。せき込む彼の背後に回ってごめん!と心の中で謝りながら首を絞めるとすぐにくたりとして動かなくなった。一応息をしているか確認したが大丈夫そうで、ほっと胸をなでおろす。ここまでは予定通りだ。運動神経にあまり自信のない私にしては上出来だろう。まだドキドキしている心臓を落ち着けようと数回深呼吸するが、体の震えはおさまらない。だがぐずぐずしている暇はなかった。中では既に殺し合いが始まっているはずだ。本番はこれからなのだ。意を決してドアを開けると、杉元さんが洋平に馬乗りになって銃剣を振りかぶっているところだった。
「待って!」
なんのプランも無しに二人の間に突っ込むと、勢いを保ったままの銃剣が私の脇腹を深く深く突き刺した。電流みたいな激痛が全身に走って歯を食いしばる。痛い。口の中に血の味が混ざる。でも、耐えなければいけない。銃剣が刺さったまま、私は洋平を庇うように覆い被さった。
「どけ!」
「……い、や、です……!」
「死にてえのか!」
刺さった銃剣が引き抜かれくぐもった唸り声を上げる。杉元さんは邪魔をした私も一緒に殺すだろうか。それならそれでも、いいか。朦朧とする意識の中で、洋平はまだ生きているかを確かめようと顔を覗き込む。呼吸の間隔が短く、瞳は見開いた状態で天井の一点に固定されていた。私に気付く様子はない。ああ、だめなのか。洋平の軍服が私の落とした涙でじんわりと湿っていく。痛い。刺された辺りはほんのり温かくなり血の臭いが漂い始めた。懐かしい、臭いだ。洋平、と呟いた直後、私の意識はぷっつり途切れた。
勝手に思ってました願ってました振り切れました明日も頑張ります::家出