かさねのなかをつっぱしる8

 お見舞いの定番土産といえばフルーツ盛り合わせだよなあ、と街の青果店をいくつか周ったが残念ながらちょうど良さそうな果物はあまり見つからなかった。仕方なくみかんを(鶴見中尉からのお小遣いで)2袋ほど買って病院の敷地内に降り積もった雪の中へ埋めておく。これで冷やしみかんのできあがりだ。炬燵もあれば最高なんだけど……いやそうじゃない。これは尾形さんへの手土産だった。みかんを冷やしている間、私は雪だるまを作って尾形さんが寝ているであろう病室へ向けて設置した。もちろん顔と腕も葉っぱや枝で作ってある。一仕事終えてみると素手で雪を触っていたため掌は真っ赤に染まっていた。指先がじんじんする。上衣のポケットに両手をつっこんで少し温めたあと、みかんを掘り返すとこちらも同じく氷のように冷たくなっていた。それらを腕に抱えて、尾形さんの寝ている病室を目指す。

「尾形上等兵どの!具合いかがですか~?」
「……」

 おおう、無視だ。顔すらこちらを向いていない。暗い雰囲気を出さないようにと元気いっぱい入室してみたのに……上がったままの右手がとんでもなく虚しい。はあ、とため息を吐いてしずしずと病室に入る。まっすぐ天井を見たまま微動だにしなかった尾形さんも、私が枕元まで来るとさすがに横目を向けた。まだ顎が痛むのかな?と好意的に解釈した私は抱えていたみかんをずいっと差し出した。

「冷やしておきました」
「……」
「……」
「……」
「……みかん、嫌いでした?」
「いや」

 やっと反応してくれたことで、このままずっとシカトされたままだったらどうしようという私の不安は杞憂に終わった。ほっとした私はその辺にあった椅子を適当に引き寄せて尾形さんの顔のすぐ横へつける。椅子の脚を引きずるキィィィと耳障りな音が響き、尾形さんが眉を顰めていた。彼の無言の抗議に小声で「すみません……」と呟いてから椅子に腰かけた。

「鶴見中尉の差し金か」
「え……まあ、そういうことになるんですかね。見舞いに行ってくれとは言われましたけど」
「差し金以外の何物でもねえだろうが。お前の目は節穴か?」
「疑いすぎですよ。純粋に心配しているだけかも」
「ほう。なにを疑うって?」

 今のは失言だったか。聯隊内に不穏な動きがある。その関係者と思われるのが尾形さんだった。全容を知るにはまだ情報が足りず、それとなく探れというのがこのお見舞いの真の目的である。そもそも鶴見中尉にも内緒で単独で杉元さんに接触していた時点でかなり怪しい。尾形さんに対して欲深いというイメージはあまり持っていないが、やっぱり金塊を独り占めしたい、または仲間を少人数にすることで分け前を多くしたいという魂胆なのだろうか。まあ一攫千金を夢見るというのはわからないでもないけれど。というか、尾形さんに探りを入れるとか無理なんですけど。どう考えてもこの人に心理戦で勝てる見込みなどない。登場早々さっそく罠に引っかかった私のこめかみに冷汗が伝う。

「また一人で居なくなるんじゃないかってことですよ!」

 ヤケクソ気味に冷やしみかんを取り出して横になっている尾形さんの胸の上へ2つ重ねる。尾形さんがそれをじっと見つめているうちに自分の分の皮を剥いて口へ放り込んだ。冷やしみかん……イケるな。あとで二階堂兄弟にも分けてあげよう。そういえば浩平はみかんが好きだと言っていた気がするけど、洋平も同じなのだろうか?

「おい
「なんですか?みかん剥いてほしいんですか?見かけによらず甘えん坊ですねえ」
「……お前はなにを知っている?」
「…………なにも。尾形さんの期待していることはなにも、知りませんよ。私はただの一兵卒ですから」

 手に持っていたみかんのひと房を尾形さんの口にねじ込む。なにか言いたげだった尾形さんも大人しく口を動かし始めた。すっごいガン飛ばされてるけど。尾形さんはきっと、私がスパイかなにかだと思っているのだろう。尾形さんの観察眼は驚異的ともいえる。それが狙撃手としての才能なのか軍人としての才能なのかなど凡人の私にはわからない。

「もうだいぶ良いみたいですね」
「……ああ」
「早く治してくださいね。お見舞いに通うの大変なので」
「……」
「冗談ですよ……そんな睨まないでください」

 目の前でみかんをほおばる女がタイムトラベラーだとは夢にも思っていないであろう尾形さんが明らかに不機嫌顔で私を睨んでいる。この人の、こう、なんでも目で訴えようとするところはどうにかならないものか。私以外にもこんな感じなのだろうか。
 尾形さんから「こんなに食えん」と突き返された冷やしみかんをこれ幸いと抱えて病室を出ると、玄関のところで二階堂が来るのが見えた。私はびっくりして立ち止まる。普段悪口ばかり言っている尾形さんのお見舞い……なわけないか。二階堂の方も私に気付き、一直線にこちらへ向かってきた。

「当てるから待って!」
「はァ?」
「ん~……洋平?」
「……なんでがいるんだよ」
「なんでって……お見舞いだけど」
「だから、どうしてお前が尾形の見舞いに来るんだって言ってんだよ」
「……上司のこと呼び捨てにするのやめなってば」
「今そんな話はしてねえ」

 子供みたいなこと言い出した洋平が私の襟首を掴んでどんどん奥へ進んでいく。いや、私帰るところなんだけど……。帰営どころか病院内に逆戻りだ。しかも病室は反対方向だし。

「そっちこそ、なんでこんなところに居るの?」
「着替えを持っていけって命令されたんだよ……ったく、なんで俺がクソ尾形に」
「そんなに嫌なら私が持っていこうか?」
「断る」
「え~」

 突き当りまで強制連行されて私はようやく解放された。

「私、鶴見さ……中尉に報告に行かないとなんだけど」
「すぐ戻るからここで待ってろ」
「なんで?」

 意味がわからず尋ねたが舌打ちしか返ってこなかった。まったく酷い話である。鶴見さんに怒られたら「二階堂くんに脅されましたー」とでも言えば許してもらえるだろうか。ほぼ脅しみたいなものだし、嘘ではない。

「……待ってるから、早く用事済ませてきてよ」
「わかった」

 ため息交じりに彼を送り出して、待つこと数分。本当にすぐ戻ってきた洋平と、今度こそ病院の敷地を出た。そういえば、と右手に持っていたみかんの入った包みを洋平に差し出す。

「これあげる。浩平と食べていいよ」
「みかんか。尾形にやるんじゃないのか?」
「いや、こんなにいらないって言われたから持って帰ってきたの」
「……炬燵欲しいな」
「……私も同じこと思った」
「作るか」
「どうやって?」
「布団と火鉢がありゃできるだろ」
「へえ~!そうなんだ!」

 兵営に戻って鶴見中尉への報告を済ませると(幸い帰還が遅くなったことについてのお叱りは受けなかった)、二階堂兄弟は空き部屋の中で勝手に即席炬燵を設置していた。だが今日は私も共犯である。3人で入るには少し小さな炬燵で食べる冷やしみかんは思った通り格別だった。
虚構を真実だと言い張るのなら::ハイネケンの顛末