かさねのなかをつっぱしる7
「この包帯も、もうすぐ取れるんだよ」
鶴見中尉が嬉しそうに声を弾ませた。包帯の隙間からは双眸が覗いている。一緒に爆発に巻き込まれた月島軍曹は一足先に全快していたが、鶴見さんの怪我は当たり所が悪く戦線に復帰できないまま内地へと帰還していた。顔を合わせるのは実に数か月ぶりである。あの端正な顔立ちをもう拝めないのかと思うと少し残念だが、とにかく無事で良かった。今後は額当てをして生活を送ることになるらしい。それでもあの大怪我から日常に戻れるというのは不幸中の幸いというべきだろう。
「君も、無事でなによりだ」
「はい……おかげさまで」
「碌に訓練もできないままだったからね。心配していたんだ」
「仕方のないことだと思っています」
「そう言ってもらえると、私も助かるよ。だが、月島からは小銃を構える姿は随分様になっていたと聞いている。二階堂にでも教えてもらったのかな」
「えっ……」
「隠すことはない。親しくしているんだろう?」
しばらく悩んだあと、私は恐る恐る頷いた。きっと隠したところで無意味だろうし。鶴見中尉は微笑みを崩さず「そうか」とだけ呟いた。まあ教えてもらったといっても、自主練をする私の後ろからやんややんやとヤジを飛ばされていただけのような気もするが、今にして思えばそう的外れなアドバイスとも言い難い。「銃身がぶれてるぞ」だとか「びびって目閉じてんじゃねえよ」とか、悪口と紙一重のそれらはたしかに私の糧となっていた。
少しだけ懐かしさに浸っていたら対面に座る鶴見さんから茶菓子を勧められた。元の時代ではあまり食べる機会のないような和菓子のラインナップだ。遠慮なく頂戴することにした。美味しい。餡子ってこんな味だっただろうか。ふわっとした優しい甘さに頬が緩む。鶴見中尉もお茶に口を付け、しばらくの間他愛もない世間話で盛り上がった。
「ところで、今後の話だけれど」
「……はい」
「そう警戒しなくても大丈夫だよ。なにも、君をこのまま外へ放り出そうというわけじゃない。ただ、我々はこれからある計画を実行に移すことになっていてね」
「計画……」
「うん。君にもその計画を手伝ってほしいと思っている。なに、難しいことはない。ただ情報を集めてほしいだけだ」
「はあ……」
彼の言う計画とは、この北海道のどこかに眠るアイヌの金塊を見つけ出す、ということだった。
「徳川埋蔵金みたいなものですね」
「その口ぶりだと、未来でもまだ埋蔵金は見つかってはいないみたいだね?」
「……あ、はい…………」
「しかし徳川幕府の埋蔵金と違って、アイヌの金塊にはたしかな情報がある」
「そうなんですか?」
「不確かな情報に振り回されるほど私は愚かじゃない。もちろん、裏付けにはそれなりの時間を使ったけれどね」
自分を陸軍にねじ込んだ時から思っていたが、鶴見中尉は情報操作に長けている。「中尉」とは、階級的には決して高官ではない。むしろ低いくらいだが、それでも私の存在が毎度陸軍上層部にバレていないのは一体どういうからくりなのだろう。聞いてみたいような、聞くのが怖いような……そもそも教えてくれない可能性の方が高いけれど。その鶴見中尉が断言するのなら、もはや都市伝説と化している徳川埋蔵金とは違ってアイヌの金塊はきっと近いうちに見つかるだろうなどと納得してしまってもおかしくはない。
「その分、不穏な動きを見せる者たちがいるのが悩みの種でもある」
「……それを、私に探れということですか?」
「そこまでは求めていない。君は一応私の部下ということになっているが、あくまでも便宜上のことだ。……だからこれは、交換条件ということにしてほしい」
鶴見中尉が極力音を立てないよう、ゆっくりと湯呑みを机に置いた。彼のいう交換条件は私にとってありえないほどの厚遇だ。私は鶴見さんから与えられる簡単な任務をこなす。時々未来のことを聞かれる。対して彼の方は「私」という異分子を陸軍に紛れ込ませている事実を隠蔽し、元の世界へ帰る手掛かりを探す。もちろん、最初「戦争に参加してもらう」と言われたときは愕然としたけれど、終戦した今私にできる役割といえば鶴見さんのお手伝いくらいである。自分はこのままで本当にいいのだろうか?自問自答しつつそれをはっきりと表に出すことは躊躇われた。
お茶会がお開きになると、私はお土産の茶菓子たちを手に鶴見邸を後にした。毎回こんな風にお土産を持たせてくれるのは嬉しいやら恥ずかしいやら。その帰り道、見慣れた後ろ姿に気付いた。同じ背丈の陸軍兵士がひそひそ話をしている。それだけでもう特定が可能だ。私はそろりそろりと気配を消しながら近づいて、二人の肩を叩きながら「わっ!」と驚かせてみた。二階堂兄弟は何事もなかったかのように後ろを振り返る。相変わらず驚かし甲斐のない男たちだ。
「ちょっとくらい驚いてよー」
「なんのために俺たちがを接待しなきゃならねえんだ?驚いてほしかったらそれ相応のモンよこせ」
「そんな悲しいシステムは使いたくないなあ」
「そもそも、お前はいつもいつも手口が同じで驚きようがないんだよ。なあ浩平」
「ああ、つまらないよな洋平。そうだ、手本見せてやろうか」
「いやいいです」
「即答かよ」
私は二階堂の真ん中に割り込みつつさきほど鶴見中尉からもらったお菓子を二人に渡した。邪魔くさそうな視線には気付かないことにする。甘いものは好きじゃないと言う割にこういうのはちゃっかり受け取るなんてズルい男だ。路上にも関わらず洋平がお菓子の包みを破いてお饅頭を食べ始める。「行儀が悪い!」というお説教にもちろん効果などなく、手に持っていた食べかけのお饅頭を私の口につっこんで「これで共犯だな」などと言いだした。そういう問題じゃない。
これはいわゆるひとつの呪いです::家出