かさねのなかをつっぱしる3

、お前は足を持て」
「はいはい」

 旅順の攻撃が一時休止となり、この日は死者の収容が私たちの任務となった。広大な土地は足の踏み場もないほど大量の死体で埋まっている。日本の兵隊もいれば、もちろんロシア兵もいる。私にとって唯一の救いだったのは、季節が真冬だったということだろう。死体で溢れかえっているものの、腐敗はほとんど進んでいないし、死臭もさほどきつくなかった。絶命した瞬間から時が止まってしまった男たちは冷凍保存されたみたいにある種不気味な美しさすら保ったまま極寒の地で眠っている。
 運びやすそうな小柄な兵士を選んで、二階堂は上半身を、私は足首を持ち上げ担架に乗せる。死後硬直なのか、はたまた寒さによるものなのか、わからないけれどそれは丸太のように固く、そして冷たい。肩章には私たちと同じ「27」の数字が入っていた。自分もそのうち彼と同じ道を辿るのだろうか。まるで未来の自分を見ているようで憂鬱になりながら名前もわからない男の顔をじっと見つめていると、その顔に白い布が被せられた。

「そんなにじっくり見るようなもんじゃないだろ」
「……それもそうだね」

 彼なりの優しさなのだろうか。ええと、この二階堂は……どっちだ?ふと彼の脚絆に目を移した。たしか巻脚絆を愛用しているのが浩平だったはず。目の前の二階堂は巻脚絆だった。

「浩平」
「はずれ」
「うそ!?だって巻脚絆が浩平って……」
「お前にばれたから時々交換してんだよ。簡単にわかったらつまらねぇだろ」
「私はつまるけど」
「おい、日本語おかしいぞ」
「いいから早く運ぼうよ、洋平。私もう、寒くて寒くて……」

 動いていればこの寒さも多少マシになるだろうと、私は洋平を促した。わざとらしく両手で腕を擦って足踏みしていたら、不服そうに舌を打った洋平はそれでもすぐに前を向き、担架の前方を手に取る。二人で息を合わせ、せーので持ち上げると死体の全体重が腕にかかり、手が千切れるかとおもうほど重たく感じた。

「洋平」
「あぁ?」
「……重いね」
「当たり前だろ」
「人間の魂の重さって、21グラムなんだって」
「……なに言ってんだ急に」
「この人の21グラムもどこか行っちゃったのかな」
「知るか」
「洋平」
「……なんだ」

 洋平は私の魂が私から離れたら…………いや、無理に決まってるか。私は白い息を吐いてから「なんでもない」と呟く。前方からは微かに舌打ちが聞こえた。
 負傷者を除くほぼ全員での遺体の回収と運搬は丸1日続いたが、改めて周囲を見渡せばまだ半分も終わっていないように思える。明日もこの作業は続く。休戦中でも私たちに体を休める暇などなかった。私はその間に与えられた僅かな休憩時間にぼんやりと軍帽の裏側を見つめ、その持ち主に思いを馳せた。あれから一応洗ってみたが染みついた血は想像以上に頑固で、結局名前はわからず仕舞いだ。もしかしたらこの軍帽を被ることで元の持ち主の21グラムが私に乗り移ったのかもしれない。だから私たちは一心同体になり、彼の名前も自分に溶け込んで読めなくなってしまったのではないか、などとばかなことを考える。

「なに見てんだ?」

 二階堂が私の目の前にしゃがみ込んだ。二階堂を前にするとつい、脚絆に目が行ってしまう。唯一の見分け方だったゲートルによる判別方法を封じられてしまったのでもはやあまり意味はなくなってしまったが、癖というのはなかなか抜けないものである。短ゲートルを着けた浩平か洋平は、呆けていた私の手から汚い軍帽をひったくった。

「なんか書いてんのか?」
「名前しか書いてないと思う……読めないけど」
「お前のだろ?」
「違うよ。失くしちゃったって言ったら、その辺に落ちてるやつ拾って被せてくれたでしょ」
「……俺がか」
「あー……どっちだろう。ていうか、そっちこそどっちなの」

 「どっち」がゲシュタルト崩壊しそうだ。なんだか可笑しくなって沈んでいた気分もどこかへ吹き飛んでしまい、私は苦笑した。二階堂はなにも言わず、帽子を私の頭に被せて隣に腰を下ろした。椅子代わりの丸太がシーソーみたいに二階堂の方へ傾く。特別話すことはないのだけれど、もう一緒に居るのが当たり前になってしまった彼ら兄弟のそばはなんとなく落ち着くので、無理に会話をすることもない。向こうもそう思っているのだろうか。結局名前を教えてくれない浩平か洋平が、今度は自分の帽子を取って裏側を眺めた。彼の手元をこっそり覗いてみると「二階堂洋平」と記名されていた。綺麗ではないけれど読めないほど汚くもない、ごく一般的な「男性の書く文字」といった感じだ。昔の人といえば達筆なイメージを持っていたが当然のごとく全員に当てはまるわけではないらしい。視線に気づいた洋平が私の両頬を鷲掴みにして無理やり正面へ戻す。

「ズルしてんじゃねえぞ」
「いいじゃん!減るもんじゃないし」
「……お前、昼間、なに言おうとした?」
「え……」
「魂の重さがなんとかってやつ」
「なんでもないってば」
「言えよ」

 洋平の圧がすごすぎて私は押し黙った。なんだこれ……尋問?言ってしまおうかと迷い、その間私は洋平と見つめあう。洋平の顔はかすり傷だらけで、深くはないけど地味に痛そうだななんて余計なことを考えていたら喉仏がこくりと上下した。洋平の顔が近づいてくる。私は嫌な予感がして咄嗟に洋平の口へ手を当てて塞いだ。

「なに!?なにすんの!!」
「されないとわかんねえのか、お前は」
「いやわか……るけど!そうじゃなくて……今そんな雰囲気じゃなかったよね?」

 どこかからはまだ遠雷みたいな音が響いている。一時休戦中とはいえ、ここは戦場のど真ん中だ。せめてもうちょっと雰囲気を考えてほしい。というか、この男は絶対私じゃなくても同じことをしたに違いない。生物学的に女なら誰でも良かったとか言われてもなんの違和感もないし。うん、だって洋平だもの。とんでもなく失礼なことを考えているうちに両手首を洋平に捕らえられ、私は身動きが取れなくなった。し、しまった!洋平が近づいてくる分だけ、私も体を後ろに反らす。

「俺の悪口考えてるだろ」
「そんなことないですー。ってか、放してよ」
こそ話せよ」
「……なにちょっと上手いこと言ってんの?」
「うるせえ」
「話したら笑われそうだからいやだ」
「言わねえと無理やり続きするぞ」
「笑わないとは言わないんだ……」
「できない約束はしねえ」
「お、おう……」

 素直なんだかなんなんだか。私は盛大にため息を吐いてから昼間伝えようとして途中でやめた話題を再び口にした。人間が死んだときに失うという21グラム、それはどこに行ってしまうのかという話だ。昔、どこかの国で行われた実験がもとになっているらしい。魂というひどく曖昧な概念もさることながら、サンプル数も少ないため科学的根拠もなく信憑性は薄い。それでもこのオカルト的実験結果は世界中に広まり、魂に質量が生まれた。魂はたしかに人間の中にあって、死後はどこか別の場所へ行ける。それを証明できる者もできない者もこの世にはいないのだ。本当のところなど誰にもわからない。だからこそロマンがあるとも言える。

「もし私の魂が洋平のところに行ったら受け入れてくれる?」
「さあな」

 洋平らしい、と私は肩を竦める。どうせ彼が喜んで受け入れるのは浩平くらいだろう。逆もまた然りだ。彼らの器がきっと人間2人分で定員オーバーなのは想像に難くない。

「その前に、俺の方が先に死んでるかもしれないだろ。そういうお前は俺の魂持っててくれんのか?」

 予想に反して洋平は私のところへ来るつもりらしい。予想外といえば、この手の非科学的な話題を馬鹿にせず乗ってくるのも意外である。案外神様とか信じるタイプなのだろうか。彼の問いに答えられず、私は視線を逸らした。私より先に死ぬなんて、そんなこと絶対させるもんか。
もう戻れないよ、戻れないの::ギリア