アステロイドシンドローム9

 鍋の中身を少々乱暴にかき混ぜるアシリパさんが「まったく」とか「どこで道草食ってるんだ」とか呟いていたので白石さんと顔を見合わせた。
 アシリパさんの手際があまりにも良すぎてやることのない私と白石さんは「暇だね」「暇ですね」という何の生産性もない100%の無駄で構成された会話をしていたが、彼女の独り言が耳に入り漸く思考を現実に戻す。

「杉元さん遅いですね」
ちゃん、ちょっと様子見てきてくれない?」
「えー……」
ちゃんが行った方が杉元も嬉しいと思うよ」
「……自分が行きたくないだけでは」
「そんなことナイナイ!」

 アシリパさんの不機嫌オーラがさきほどより増し増しになっていてこのままでは白石さんに八つ当たりしかねないのだけど本人は気にする様子もなくその軟体を駆使してチセの中を転がったりヨガみたいなポーズを決めている。だめだ、行く気ゼロだ。諦めてよっこらしょという掛け声とともに立ち上がると、足元から「若いんだからよっこらしょなんて言っちゃだめだよ~」と暢気な声がしたけど聞こえないふりをして外へ出た。

 杉元さんは「ちょっと散歩」と言っていたからそう遠くへは行っていないはずだが……未だに森を彷徨っているとそこの木陰から野生動物がひょっこり顔をだすのではないかと少し心配になる。
 それにしても、なんていい天気。こんな日に草むらに寝っ転がってお昼寝でもしたら最高に気持ちいいだろうなあ。杉元さんを探しながらもお昼寝に丁度良さそうな木陰がないかときょろきょろしていた私は正に丁度良さそうな木陰の下で腕を枕にして寝転がる杉元さんを見つけ、どきりとして立ち止まった。普段はきっちり被っている軍帽が目元まで下げられ鼻から下の顔半分だけが見えていて、暫し立ったまま様子を伺う。胸のあたりが規則正しく上下しているので眠っているようだと思い、そろりそろりと足音を消して近づき顔のすぐそばに跪いて寝顔(というより口元だが)を観察してみる。こんな風にじっと見つめることなんて滅多にできないのだから少しくらい許されるよね、と心の中の誰かに言い訳をして薄く開いた口元や深い傷跡、ぴょんとはねた癖毛に視線を移していくうちに好奇心が沸き上がり、私はそーっと軍帽に手を伸ばした。

「なにしてるの?」

 寝起きにしてははっきりと杉元さんが言葉を発した。勿論私に対して、だろう。それと同時に私の手首はがっしりと掴まれ軍帽に届くことはなかった。一体いつから起きていたのだろう。彼の問いになんと答えようかと考えつつ無意識に後ずさりしたが手首を掴まれているせいで逃れる事もできない。そのまま私を見上げた杉元さんが軍帽を被りなおし、少しだけ目を細めた。怒っているのか寝起きだからなのか表情が固い杉元さんに狼狽えながらも何か言わなきゃと言葉を探す。いや、怒るのも当然だし先手必勝で謝ってしまおうか。決してやましい気持ちは…………まあ少しあったけど、危害を加えるつもりはなかったのだからきっと話せばわかってくれるはずだ。

「あ、えと……」
「寝込みを襲うなんて案外大胆だね」
「ち、ちがッ……」
「じゃあこの手はなあに?」
「う……それはその、ちょっとした出来心というか…………すみません」
「別に怒ってないよ。ごめんね、怖がらせちゃった?」

 首を小さく横に振ると漸く表情を和らげた杉元さんは掴んでいた手を離して私の髪を毛先に向かって滑らせるように撫でた。もしかして寝ぼけているのだろうか。杉元さんの大きな手が何度も髪を往復する様にどうすればいいのかと困惑していたが彼はそんなもん気にすることもなく手を動かし続けた。少しだけ眠そうな目はさきほどからずっと私を真っ直ぐ見つめている。無言で繰り返されるなでなでをなすがまま受け入れる私は嬉しいやら気恥ずかしいやら色んな感情がミックスされたむず痒い感覚で緩みそうになる口元をきゅっと引き締めた。そうしているうちに杉元さんがうとうとし始め、手の動きも緩やかになる。私も眠ってしまおうかななんて思って目を閉じたときに「ちゃん」と突然名前を呼ばれ慌てて返事をしたが半分寝ているのか口がもごもごしていて何を言ってるのか全く聞き取れない。

「なんですか?」
「…………」
「……寝言?」
「もっと、こっち来て」
「えっ」

 ときどき心臓に悪い発言をする杉元さんは果たして天然なのかそれとも動揺する私を見るため意図的にしているのか、未だに図りかねていた。まったく、杉元さんの一挙手一投足に一々惑わされるこちらの身にもなってほしいものだ。私の心中も知らず杉元さんは急かすみたいに腕を引っ張ってくる。が、やっぱりおねむなのかその力は弱弱しくて私は苦笑いを漏らした。一応私も人並みの羞恥心くらい持ち合わせていたのでいくら杉元さんからのお願いでもこれ以上接近するのは躊躇われる。
 代わりに、と言ってはなんだが私は彼の手をそっと掴んで今度こそ念願だった寝顔を間近で眺める事にした。



……あれ、私、何しに来たんだっけ?

>弾け飛べ流星群 彗星03号は落下した