「これから客が来る。すまないが、私が良いと言うまで下には下りてこないようにしてくれるかな」
「はい、わかりました」
今日は日曜日なので本来は休日である。私もそれに倣って日曜日はお休みを頂いているので一日この鶴見中尉の自宅に居る予定だ。本当は二階堂さんの様子を見にいこうかと思っていたのだけど、鶴見中尉にそう言われてしまったので大人しく読書でもすることにした。鶴見中尉はかなり勉強家のようで、書斎には創作物や何かの資料等えげつない量の書籍が陳列されている。この部屋は図書室ですといっても信じてしまうくらいの蔵書量だ。その中には軍に関する資料もあるみたいなので私が勝手に書斎に入ることはないのだけど、ある日私が「何か面白い読み物ありませんか?」と尋ねたのを切欠におすすめの読み物を貸してくれるようになった。その中には昔現国の授業で出てきた有名な作家の作品も混ざっていて、不思議な気分でそれを読んでいた。最初は読み解くのに苦労したけど、今ではそれほど時間を掛けずに読むことができるようになっている。
「さん、入ってもいいか」
「…………あれっ、月島さん?」
襖の向こうから聞こえたのは鶴見中尉の声ではなかった。数年前に発行されたという少し古い雑誌を読みふけっていたせいで、反応が遅れてしまう。読みかけの雑誌に栞をはさんでから襖を開けると、休日にも関わらずかっちり軍服を着込んだ月島さんが立っていた。
「どうしました?」
「すまないが、茶を淹れてもらえないだろうか」
「それは構いませんけど……」
「鶴見中尉からの言いつけだから、降りてきて構わない」
「わかりました、すぐ淹れますね」
鶴見中尉と、月島さんと……あとはお客さんの分か。熱々の緑茶を三人分お盆に乗せて客間に行くと、月島さんと若い将校さんが座っていた。あれ?鶴見中尉はどこにいるんだろうと、廊下を見渡していると月島さんに「さん、入ってくれ」と声を掛けられたので失礼します、と一言断ってから入室する。
「さんです」
「ど、どうも……、です」
「さん、こちらは鯉登少尉殿だ」
鯉登少尉、と呼ばれたお兄さんは私をじっと睨んでいる。……なにかしたっけ?私の記憶違いでなければ初対面のはずだけど。
「ほら、鯉登少尉殿、貴方が会いたがっていたさんですよ」
「え、私に、ですか?」
「き……ど……」
「えっ?」
鯉登少尉がぼそぼそと何かを呟いているけど、全く聞こえない。耳に手を当てて聞き返すが、やっぱり私に聞こえるような音量ではなかった。
「鯉登少尉殿、さんが困っています」
「貴様が鶴見□&○%$■☆♭*@:!!」
「なんて!?」
「貴様」だけは聞き取れたけど後半何言ってるのか全然わからなかった。方言だろうか?ある意味英語のリスニングより難易度高い気がする。吃驚して少しのけ反ってしまっていたら、月島さんが真顔で「落ち着いてください」と言って何か紙を差し出した。鯉登さんがその紙を見て一瞬にやっとしたあと、こほんと咳ばらいをした。
「貴様が……鶴見中尉と、ど、ど、同居しているというのは……本当か?」
「え、ああ……はい、同居っていうか、間借り?みたいな。あ、同じか」
「キエエエエエエエエッ!!(猿叫)」
……なんか……うん、変わった人だな。一応意思の疎通はできるみたいだけど。黙っていればイケメンてこういう人のことをいうんだろうなあと、目の前の残念なイケメンを憐れむような目で見つめた。ふと彼の手元を見ると、白黒の写真が一枚置いてあった。この時代の写真は、暫くじっとしているタイプのものだろうか。はいチーズでパシャリと手軽に撮影できるようになるのはいつからだったっけ?ここからでは被写体が誰なのか判別できないその写真を見ていたら、鯉登さんが隠すように胸ポケットにしまい込んだ。なんか……感じ悪いな。少しムッとして不満そうに鯉登さんを見ていたら、彼は徐に立ち上がり、私に向かって人差し指を突き出した。
「!!貴様に……鶴見中尉は渡さんぞ!!」
「…………はァ?」
さっきから何言ってるんだろう、この将校さんは。よくわからないけど何故か敵視されていることはわかった。困ったように月島さんを見ると、さっと目を逸らされた。あ、月島さんも苦労してるのか……。これは二階堂さん並に面倒くさ……いや階級が高い分、あの人より扱いが難しい気がする。あれか、鶴見中尉の家に居候しているのが気に入らないのか。やっぱり物置にしておくべきだったのだろうか。いやそれは無理だ。とりあえず今は、その人差し指すごくへし折りたい。
「鶴見中尉とさんは貴方が想像しているような関係ではありませんよ」
イライラした私の空気を感じ取ったのかは定かではないが、月島さんがフォローを入れた。
「あの、私はちょっと事情がありまして……鶴見中尉のご厚意でここに住まわせてもらってるだけなんです」
「……本当だろうな?」
「も、もちろんです」
「私を謀るつもりなら容赦せんぞ」
「鯉登少尉殿、さんはそのような方ではありません」
「月島は随分この女の肩を持つな」
「貴方はもっと全体を見るべきです」
「…………」
「さん」
「は、はいッ!」
「明日は一日この家に居るようにと、鶴見中尉から言付かっている」
「わかりました。明日は外出しません」
鯉登さんはまだ何か言い足りないようだったけど、こちらを睨むだけでそれ以上の追撃はされなかった。うーん、悔しいけどやっぱり黙っていればイケメンだなあ。妙な敗北感を感じつつ二人を見送ったあと、鶴見中尉の行方を聞き忘れたことに気付いた私の背後で床板が軋む音がした。
インテレクチュアル・サプリメント::ハイネケンの顛末