「さん、ちょっといいか」
「あ、はい」
二階堂さんがモルヒネを勝手に打ちまくる事件のあと月島さんから呼び出しを受けた。その顔はなんだか複雑な心境といった風で、あまり良いことではないのだろうなと薄っすら察した。それにしても、さっきの二階堂さんはまるで子供のようだった。弟さんや自分の身体を立て続けになくして、精神が不安定になってしまったのだろうか。昔の不良(私の時代からみて昔の、だ)みたいな、切れ味の良いナイフみたいな二階堂さんが懐かしく感じる。人気の無い病院の裏手まで連れてこられ、月島さんが言いづらそうにしながら口を開いた。
「さっき二階堂から聞いたんだが……さんは、二階堂と……その、交際しているのか?」
「……はい?」
「その反応は、違うみたいだな」
「はい、お付き合いは、してない、です」
「さん、覚えているとは思うが……くれぐれも鶴見中尉の言っていたことは守ってほしい」
「もちろん、わかってますよ、月島さん。大丈夫です」
「……ならいいんだが……それにしても二階堂はどうしてあんなことを」
「ま、まあ、嫌いじゃないとは言いましたけどね。もしかしてそれを曲解して……とか?」
「今のあいつは情緒不安定だからな。とりあえず、鶴見中尉には問題ないと報告しておく」
「わかりました」
今日はもう、帰った方がいいかもしれない。少しだけ迷って、私は付き添いの兵隊さんと一緒に兵営に帰ることにした。病室に帰営の報告をしにいくと、二階堂さんの表情がぱっと明るくなり、帰りますと告げると途端にしょんぼりと泣きそうな顔に変わった。なんて表情豊かなのだろう。少し前の彼なら考えられないことだ。
「明日また来ますね」
「ほんと?約束する?」
「はい、約束します」
「じゃあ指切りして!」
差し出された右手の小指に、自分の小指を絡める。指切りげんまんのメロディーは私が知っているものと少し違っていた。時代のせいなのか、地域差なのか。現代でも出身地によって指切りげんまんやじゃんけんの掛け声が違ったりするから、きっと珍しいことではないのだろう。……それはいいんだけど、腕振りすぎじゃないですか?小指を絡めたまま私の腕を激しくシェイクする二階堂さんが楽しそうに「指切った!」と叫んだ。
次の日も二階堂さんの病室を訪れると、先客が居た。
「またモルヒネを盗んだな!?二階堂ッ!モルヒネをよこせ!!」
月島さんの声が響く病室をそーっと覗くと、モルヒネの小瓶を死守する二階堂さんとそれを奪おうとする月島さんの攻防戦が繰り広げられていた。
「鶴見中尉に言いつけるぞッ!よこせッ!」
入りにくい……。どうしようかと入口をうろうろしていたら、前方から将校服の男性が歩いてくるのが見えた。鶴見中尉だ。
「くん、どうしたんだね」
「いやあ、実は二階堂さんがまたモルヒネを勝手に持ち出したみたいで」
「またか……」
同じように病室を覗いてから深くため息を吐いた鶴見中尉は、月島さんに負けない大声で二階堂さんの名前を叫んだ。
「貴様に素敵なお客さまがお見えだッ!」
「え!?お客さん!?誰なの!?」
「どうぞお入りください!」
鶴見中尉が招き入れたのは、怪我をしたおじさんだった。見たことない人だけど、二階堂さんの知り合いかなあと思っていたら、その二階堂さんがぽかんとおじさんを見つめ、「誰?このひと」と言った。いや、知り合いじゃないのかよ!よく見たら月島さんも微妙な顔をしている。
「誰!?ねえ…………!!誰なの!?怖いよおッ!!」
おじさんは何も喋らない。怯える二階堂さんに続いて、鶴見中尉もそのおじさんを見て「誰だお前!!あっちへ行けっ」とおじさんを追い払った。えぇ……?結局誰だったの、あのおじさん。そのあと現れた白髪のおじさんが本当のお客さまだったらしいのだけど、やっぱり二階堂さんは知らない人みたいで嬉しそうにしながらも「誰!?」と叫んだ。なんでさっきからみんなこんな大声で会話しているのだろうか。そろそろ耳が痛い。おじさんが二階堂さんに渡した贈り物は、足裏から散弾をぶちかませるという物騒な義足だった。轟音を放って病室のドアをぶち破る威力に吃驚して「ぎゃッ!!」と可愛げのない声を出してしまった。二階堂さんはもらった義足を嬉しそうに握りしめている。彼には誰か復讐をしたい人がいるというのは聞いている。詳しくは教えてもらえなかったけど、片足では復讐どころではないからきっと今の二階堂さんにとって義足はこれ以上ないプレゼントだろう。リハビリとか、大変そうだなあ……。にこにこと笑顔を浮かべるおじさんたちを横目に私は唇を噛み締めた。
「!」
「なんですか、二階堂さん」
「歩けるようになったら、街に行こう!」
「……そう、ですね。楽しみにしてます」
僕ごと咀嚼しておくれよ::ハイネケンの顛末