「二階堂さん、何か怒ってますよね?」
「怒ってねえよ」
「……じゃあその嫌がらせみたいな早歩きやめてもらっていいですか?」
「お前の足が短いだけじゃねえのか?」
「ほんっっっっとうに失礼な人ですね!」
そりゃ二階堂さんよりはちょっと……す、少し短いかもしれないですけど!大股で横に並ぶと、更に大股で突き放された。二階堂さんの様子がおかしい。まあ様子がおかしいのは今に始まったことではないのだけど。自分の耳とお話するとか。それは初めて会った時からだし、もう慣れた。そうじゃなくて、なんかよそよそしいというか、ツンツンしてるというか。やっぱりさっきの妾疑惑が原因だろうか。二階堂さんは怖いしいけ好かない人だと思っていたけど最近は少し打ち解けていたはずなのに……そう思っていたのが私だけだったのだとしたら結構ショックである。日頃の運動不足のせいか大股での早歩きは長続きせず、ぜえはあと酷い息切れをおこしてついに足を止めた。き、きつい……。両膝に手を置いて休憩していたら頭上に影が落ちた。
「体力なさすぎだろ」
「……普段から鍛えてる兵隊さんと一緒にしないでください」
恨めしそうに睨みつけたら鼻で笑われた。なんだ、もしかして嫌味言うために戻って来たのかこの人。目の前にしゃがんだ二階堂さんが私をじっと見てくる。その真っ黒な瞳に吸い込まれそうな感覚になった。
「……妾じゃないなら、何なんだよ」
「え……今それ聞きます?」
「いいだろ、別に」
「鶴見中尉は……その、あれですあれ」
「いやわかんねえよ」
「ほ、保護者……かな?それか後見人?」
答えた瞬間、二階堂さんが深い深いため息を吐いた。どうでもいいですけど二階堂さん、ヤンキー座り似合いますね。そう思っていたら突然立ち上がったものだから変な声が出てしまった。危うく顎に頭突き食らうところだった。再び歩き始めた二階堂さんはさきほどまでの小走りしないとついていけないくらいの早歩きではなくて、ほっとしながら横に並ぶ。気まぐれというか気分屋というか……なんか山の天気みたいな人だな。ちらりと盗み見た横顔はどこか機嫌が良さそうに見える。とは言っても二階堂さんはあまりべらべらお喋りするタイプでもないので、兵営に着くまでの道のりで他の会話をすることはなかった。
「!」
「はい?」
「昼飯食ったら医務室に来い、いいな」
「……ああ、包帯ですね、わかりました」
しかし、あの上から目線はなんとかならないものだろうか。首にぶら下げた耳をつまんで何かを話しながら去っていく後姿を見送ったあと、事務室に挨拶に向かった。午前中の私の主な仕事は掃除である。と言っても、陸軍では掃除も任務の一つであり兵舎の中は常に綺麗に保たれていたから、私が受け持つのは専ら雑草を抜いたり、花壇の水やりだったりといった庭仕事がほとんどだ。ちなみにこの兵営内で軍服じゃないのは非常に目立つということもあり、私は誰かが着古してもう廃棄寸前の軍服を借りている。もくもくと庭仕事に勤しんでいれば午前中なんてあっという間だ。煩いほど大きな鐘の音が鳴り響き、営庭で訓練していた兵隊さんたちが続々と兵舎に入っていった。私もごはんを頂いて、医務室に行かなくては。事務室に報告へ行くと私の分もお昼ご飯を用意してくれていた。月島さんは昨日出張から帰ってきたのだけど、怪我をしたらしく今日はお休みだ。いつもならこの事務室で月島さんと一緒にお昼ご飯を食べるのが習慣になっていたから少し寂しい気もするけど、仕方がない。あとでお見舞いに行こうかな。昼食後に医務室を訪れると、軍医の先生がいた。いつもならもう一人、助手の下士官がいるのだけど……そう思って室内を見渡したら、「今お使いで出ているよ」と先生が言った。
「二階堂一等卒はまだ来てないよ」
「それじゃあ、少し待たせてもらいます。何か手伝うことありませんか?」
「いや、大丈夫だよ。そこでお茶でも飲んで待っていなさい」
それなら遠慮なく、と出されたお茶に口を付けたところで二階堂さんが現れた。なんと良いタイミングだろうか。勿体ないので一気飲みしてから、替えの包帯やら色々道具を持って二階堂さんの元へ急ぐ。特に何を言うでもなく、丸椅子に腰かけた二階堂さんの包帯をゆっくり解いていく。傷はもう塞がっているから、あと少しで完治しそうだ。といっても、失った耳が生えてくるわけではないので痛々しい見た目は変わらない。この先も包帯無しで出歩くことは恐らくできないだろう。鶴見中尉みたいに、こう、怪我したところを良い感じにガードできるものがあればいいのだけど……。私の居た時代だったら、ちょうどいい医療具があるだろうか。
「明日はまた夕張に行かれるそうですね」
「お前は行ったことあるのか?」
「あ〜……いえ、ない、です」
「なんだよその微妙な返事」
元の世界のなら、行ったことありますよ。二階堂さんは私が時空を飛び越えてこの明治時代にやってきたなんて想像もしていないだろう。夕張は炭鉱の名所で、今ではその跡地に古びた遊園地と博物館が建っている。それも子供の頃の記憶だから今はどうなっているかわからないけど。この時代はまだ……メロンは生産していないはずだ。新しい包帯を巻き終わると、二階堂さんがこちらを振り向いた。
「今度の日曜……街に行かないか」
一体どういう心境の変化だろうか。本当にこの人はあの二階堂さんなのか疑いたくなるほどだ。吃驚して固まっていたら眉間に皺を寄せて「おい、聞いてるのか?」と返事を促された。
「街……ですか、はい、いいですけど」
「何か、欲しいものないのか?」
「欲しいもの……うーん……」
「まあ、日曜までに考えておけよ」
「はは、なんですか、買ってくださるんですか?」
「別に……買ってやってもいいけど」
……なんだか今日の二階堂さんはテンプレ通りのツンデレキャラに見える。でもどうして急に、何か買ってくれる気になったのだろう?…………あれ?ちょっと待って。
「…………それって、で、デー……」
「何か言ったか?」
「あ……いや、なんでもないです!お仕事頑張ってきてください!」
返事も聞かず飛び出したけど、もしかして私の思い違い?二階堂さん無表情すぎてぜんっぜんわからない。デートならデートでもっと解り易い顔しろよと、だいぶ理不尽な怒りが湧いてきたけどそもそもあの人そんなに表情豊かじゃなかった。二階堂さんのことだから案外男友達誘うみたいなノリだったのかもしれない。それはそれで残念な気もするが。ちょっと楽しみかもなんて思ってしまうのはここ最近浮いた話がなかったせいだと思いたい。変な期待と気恥ずかしさで二階堂さんのいない数日間を過ごしていたけれど、その日曜日が訪れる事はなく、代わりに飛び込んできた報せは私を放心状態にさせるものだった。
長い長い時間をかけて、ゆっくりと死んでいこう::ハイネケンの顛末