※たぶん奉天会戦のどこかのお話
「死んだのか?」
「そうかもしれません」
「そうか」
「……」
「……」
「…………いや、ちょっとつっこんでくださいよ。『死んだやつが喋るわけないだろ』とか、『僵尸の真似下手くそだな』とか、ほら……あるじゃないですか」
「いっそ俺が息の根を止めてやろうか?」
「……それもいいかなあ」
「……馬鹿な事言ってねえでさっさと起きろ、一等卒」
戦場で足を怪我したことで戦意喪失した私は堂々とサボタージュを決め込んでいた。このまま死ぬなら死ぬで、まあ別にいいかななんて投げやりな思考で大の字になっていたが誰にも死体のフリをしていたのがばれなかったばかりか、一心不乱に敵兵へ突撃していく仲間たちは私を踏んづけることなく進んでいくものだから目を閉じてじっとしていたらいつの間にか小康状態になっていたらしい。
尾形上等兵が私の右腕を掴んで強引に上体を起こす。銃弾で吹き飛んだつま先がたまらなく痛くて顔を顰めていると、尾形上等兵は靴を脱がせて止血をしてくれた。それでも痛みが引くわけもなく、むしろきつく締め付けられることで痛みが増したような気がするが相手は誰であろう尾形上等兵なので二階堂とかみたいに八つ当たりするわけにもいかず目尻に涙を浮かべてじっと耐える。大きな怪我や病気なんてしたことのなかった私にとってそれは泣いて暴れたくなるほど辛いものだったけれど、どくんどくんと脈打つ足先に意識を集中させ頭の中を空っぽにしているうちに、聞きなれた素っ気ない声色で「終わったぞ」と告げられ顔を上げた。
「立てるか」
「はい」
と言ったものの、激痛で一人では立ち上がれない有様だったのを見て小さくため息を吐いた尾形上等兵が私の腕を自身の肩に担ぎ補助をしてくれたおかげで数時間ぶりに辺りを見渡すことができたのだったが、すぐさま起き上がったことを後悔する羽目になった。目の前にあるのは死体、死体、死体。敵なのか味方なのかもわからないほど損傷の激しいものもある。今更そんなことで吐き気を催したりできないあたり私も大分図太くなってしまったようだが、平気な顔をできるほど慣れたわけでもなく足の痛みを忘れて立ち尽くす。尾形上等兵は急かす風でもなく、黙ってじっと私が自主的に足を進めるのを待ってくれているみたいだったけれど、暫くすると「もういいだろ」と言って私を引きずるようにして歩きだした。
「よく、私が生きてるってわかりましたね」
「たまたまだ」
「でも、こんな死体の山の中から見つけ出すなんて、尾形上等兵殿って結構私のこと好きですよね?」
「自惚れんな」
「……放っておいてくれれば良かったのに」
「本気で言ってんのか」
「割と」
「なら、次は俺の目の届かないところで死ぬことだな」
「……いじわる」
最後の捨て台詞は聞こえなかったのか聞き流したのか、尾形上等兵からの反応はない。支えられているとはいえ、歩く度に私の足先は激痛を訴えるのでいっそ気を失うか本当に死んでしまった方が楽なんじゃないかとすら思ってしまうが、彼はそれを許してはくれないらしい。野戦病院って、ここからどれくらいだろう。現在地も殆ど把握しないままだから行き先は尾形上等兵任せだ。お医者さまから「もう歩けない」なんて言われたらどうしようとか、このまま痛い痛いと苦しみながら死んでいくのかもなんて嫌な想像ばかりが頭を過ぎってどんよりと憂鬱になった。
いつ死んでもいいと確かに思ったはずだったのに、死神に肩を叩かれた途端私は怖気づいてしまった。背後に死神、目の前に尾形上等兵が居るならどっちを取るか?なんて私には愚問中の愚問なのである。すっごくすっごくわかりづらいけれど、この人は優しい。それが純粋な優しさなのか何か意図を持っているのかなんてどうでもよくて、ただ尾形上等兵が私を気にかけてくれていることが全てだ。もし尾形上等兵に「死ぬな」と命令されれば私は「イエッサー」と即答することだろう。それくらい私の人生はブレブレで、彼にこれでもかというほど依存してしまっている。尾形上等兵はそれを知っていて意地悪をしてくるのかもしれない。
「あそこまで行けば橇があるはずだ。それまで我慢できるか」
「……たぶん」
「いつになく弱気だな」
「尾形上等兵殿はいつになく優しいですね」
「はぐらかすんじゃねえよ」
「折角尾形上等兵殿自ら助けてくださったのですから、ちゃんと生きますよ」
「当たり前だ。お前、大黒柱なんだろ?生きて帰れよ」
「……どうせなら、嫁にしてやるくらい言ってくださいよ。それなら何が何でも生き残りますよ、私」
「生憎だが俺は嘘が苦手なんでな」
「ちぇー」
暫く歩くと日本側の陣営が見えてきて、そこでは私みたいに負傷した人間が応急処置をされていたり憔悴しきった様子でその辺に蹲っていたりしていた。私は橇を探しながらも、見知った顔がいないか必死に見回す。戦場では班なんてあってないようなもので、号令と共に走り出した途端隣にいた仲間たちも何処に居るのかわからない状態になっていたし、そもそも周囲を気に掛ける余裕なんてあるはずもなく、絶対とは言い切れないものの一旦は安全といえる場所に退避できたことで漸くその考えに至ったのだった。
「尾形上等兵殿」
さ迷っていた私たち……もとい、尾形上等兵に向かって敬礼の姿勢を取った二人の兵卒が居た。残念ながら痛みと疲労によって顔を上げることができなかったが、その声には聞き覚えがある。視界に映る二人の下半身を見る限り、土やら血やらで酷く汚れてはいるものの致命傷等は負っていないようで私は安堵のため息を零した。
「谷垣、三島。ちょうどいい。こいつを野戦病院まで運べ」
「……ですか。その傷は深いのですか」
「銃弾が直撃したようだが、縫合はできるはずだ」
「わかりました」
「掴まれ、」
「……尾形上等兵殿、助けてくれて有難うございました」
「気が向いたら見舞いに行ってやる」
最早まともな思考力のなくなっている私には冗談みたいな尾形上等兵の励ましにも力なく笑って「楽しみにしてます」と言うのが精いっぱいだったがそれまで右半身に僅かに感じていた温かさがなくなると急に寂しさがこみ上げて無意識のうちに手を伸ばした。もちろん尾形上等兵に向かってであるが、無情にもその右手は空を切り彼もそれに気付くことなく遠ざかっていく。代わりに谷垣が私の背中へ手を回したけど、当たり前だが私と谷垣では体格差がありすぎて尾形上等兵のようにはいかず、二人して私の腕を支えたままどうしたものかと相談していた。未確認生物を運搬するみたいな持ち方やめてよ!なんて冗談をかませる程の気力もないのでなすがまま身を任せていたら結論が出たのか左側に居た三島くんが離れていき、続いて私の体がふわりと持ち上げられたかと思ったら谷垣の大きな背中に乗せられる。おんぶなんて子供の時以来だなあなんてぼんやりと考えていたらなんだか安心してしまって、私は恥ずかしげもなく谷垣にしがみついた。
「大丈夫か?」
「……痛い」
「もう少しの辛抱だ」
「痛いよ、もう、やだよ」
尾形上等兵の時には我慢していた弱音が一気に噴き出すともう止まらなくなって、こんなこと言われても二人とも困るだけなのに、わかっていても口が勝手に動いて「痛い」「もうやだ無理」を繰り返す。完全に駄々っ子に成り下がった私の背中を三島くんが優しくさすり「頑張ったな」なんて甘やかすものだから余計に止まらなくなる。
頑張ってなんていないよ、私なんて、まだ戦えたくせに、私はただ戦場で寝ていただけ。それを言ってしまったら軽蔑されるような気がして、卑怯な私は狂ったように痛い痛いと喚き散らした。
燃え尽きて灰にもなれないのに、どこへ行けるというの::ハイネケンの顛末