「谷垣くんは秋田の出身なんだよね?」
「そうだ。……くんはいらないんじゃないか」
「あ、そう?一応まだ会ったばっかりだからそういうの大事かなと思ったんだけど」
いつだったか兵村に「女みたいな屯田兵がいる」という噂が伝わったことがある。
賢吉を探すことに躍起になっていた当時の俺はさして興味を持つこともなく日露戦争出征前の召集で本人に会うまで忘れていたことだが実際に会った噂の人物は女みたいという形容的なものではなく紛れもなく女の元屯田兵だった。は何食わぬ顔でそこに存在していた。まるで陸軍に女がいるのは当たり前ですが何か?とでもいうように一切の違和感も感じさせず第七師団に溶け込んでいる。本当に徴兵検査を受けたのだろうかと思う程小柄な女だがあの無反応の権化のような尾形上等兵の周りを四六時中うろついてはなにかをぺちゃくちゃと一方的に話しかけている様子を見るに胆は据わっているようである。胆が据わっているというか、あれは一体何というのが正解なのかわからないがともかく強い精神力を持っているといえるだろう。
「私、北海道から出たことないんだ。どんなところなの?秋田も冬は超寒いんでしょ?そんなところでマタギやってたらやっぱり北海道なんてへっちゃら?ていうかマタギってどんなことするの?」
「そんなにいっぺんに答えられん」
「じゃあ秋田の良いところを一言でどうぞ!」
「…………く、食い物がうまい」
びしっと人差し指を突きだされて答えないといけないような空気を感じたがそう咄嗟に良い答えなど思いつかずどこにでも当てはまるような薄い感想を述べてしまった。の押しの強さには辟易する。尾形上等兵もこんな気持ちなのだろうか。俺の回答に満足したのかは定かではないがにこにこしながら「そっかー、食い物がうまいのはいいことだよね」と頷いた彼女がちょこんと隣に腰を下ろした。
「北海道の良いところは何なんだ?」
「え……えーと、山が多い」
「……良いところなのか、それは」
「開拓のし甲斐がある」
「……そうだな」
「ちょっと!絶対思ってないやつじゃん!」
こいつも俺と同じで咄嗟には思いつかなかったようで長所といえるのかよくわからない長所ばかりを挙げられ反応に困ってしまいとりあえず肯定したがあまりにも感情が籠っていなかったのか適当に返事したのがばれてしまったようだ。開拓のし甲斐があるというのはたしかにそうなのかもしれないが。ふと、元屯田兵ということはもあの厳しい開墾作業をしていたのかと辛かった頃を思い出す。男でも弱音を吐くほどの激務に耐えてきたというならそれこそ強靭な精神力の持ち主だろう。が両手に持ったままだった湯のみを思い出したように「どうぞ」と差し出したので気のせいか少し冷めているそれに口を付ける。
「うまい」
「そうでしょ?月島軍曹殿直伝だよ」
茶の淹れ方にそんなに違いがあるものだろうかと首を捻りたい気持ちだったが俺自身正しい茶の淹れ方など知らないので素直に「そうか」と頷いた。生ぬるい茶が喉の奥へ消え、こくりと喉仏が上下する様をはこれまた満足そうににこにこと見つめている。不思議な女だ。ここ数年賢吉への憎悪で頭がいっぱいだった筈なのにこの暢気な笑顔を見ていると呆れ……いや気が抜けるとでもいうのだろうか、こちらまで口元が緩んでいく。それが呆れを含んだ微笑みだとしても一瞬だけあの頃に戻ったような気分になるのは悪いものじゃない。
「これからよろしくね。短い間かもしれないけど」
「あんた、楽天的な奴かと思ったがそうでもないんだな」
「私は根っからの厭世的なリアリストだよ。だから好きな事やって死ぬのが夢なの」
わかるようでわからない主張だがらしいと思う。死を語るには爽やかすぎる笑顔に少し戸惑いながら差し出された小さな手を握り固い握手を交わした。
ほどほどしくも瞬刻の安穏を噛み締める