屯田兵が死亡した場合は、その家族のなかの「男子」が相続することと決められているそうだ。屯田兵としての「家」にはその相続すべき男子がいない。兄が死んで数日後にやたら苦い顔をした偉い軍人さんがやってきたものだから、ああ、私はここから追い出されるのかと諦めに似た気持ちでその軍人さんたちを招き入れた。私の処遇をどうするか、屯田兵の本部では話し合いがされたという。いつだったか兄と狩りに出かけたことがある。そのとき私は嫌がる兄をなんとか説得して銃を撃たせてもらい、見事鳥を仕留めたのだが、その様子を見ていた軍人さんがいたらしい。要するに射撃の才能があるかもしれないから、実験的に様子をみようということだった。
「前例がないことはない。が、矢張り荷が重すぎるだろう。明後日また来るから、よく考えてほしい」
「……私の気持ちはもう決まっています。兄の代わりになるかはわかりませんが」
軍人さんはまだ苦い顔のままだった。本部としては私を屯田兵として採用するという結論が出たが、この目の前の軍人さんには私くらいの娘さんがいるらしくて、きっとその娘さんと重ねているのだろう、小一時間こんこんと説得され、兵士になることの危険さ、過酷さを並べられた。私はその言葉を半分も聞いていなくてもし兄が生きているうちにこの話が持ちかけられたら、兄もきっとこんなふうに私を全力で止めにかかるのだろうとぼんやり兄の笑顔を思いだしていた。けれど、今の私には帰る場所なんかない。父も母も兄も、もう私の家族は一人もいない。だからこのまま一人どこかで死ぬのも、兵士となって有事が起きたとき知らない異国の地で死ぬことになっても、私にとっては大差ないように思えた。強いていうなら、父と兄の見た光景を、自分の目で見てみたいと思った。
……なんて、ちょっと良い感じの理由をつけてこの道を選んではみたけど、そんな気合だけでやっていけるのなら徴兵令にわざわざ「男子」なんて文言は載らないわけで。開墾を中断し、訓練に重きを置くことになった私だったが持ち前の体力のなさを思う存分見せつけたら上官たちは頭を抱えていた。わざと聞こえるように「なんでこんな貧弱な女を育てなきゃならんのだ」と言われたのは流石にイラっとしたけど、まあ、私を兵士にさせると決めたのはさらに上の偉い人達だからこれは命令だし、実際私みたいな出来損ないを育てろとか言われたら愚痴もいいたくなるよなあと心の中で同情した。私の教育に疲れ果てた上官たちが唯一感心を示したのは射撃術の訓練だ。才能があるようだ、とは兵士になる前に言われていて私自身まんざらでもなかったのだけど、同じ兵卒の中で優劣を付けるなら私が一等賞らしい。これにはほぼ同期の兵士たちも悔しがっていたけれど、でも体術もだめで射撃もだめだったら最早私はただのお荷物なので「ひとつくらい得意分野があったって罰は当たらないと思う」とむくれてみせたらため息交じりに「まあ……そうだよな……」と言われてそれはそれで何か傷ついた。
屯田兵になって2年くらい経った頃、突然命令が下った。鷹栖村というところに異動となった私は長期不在のため家屋内を整え、翌日には兵村を出立した。鷹栖村には何年か前に新設された第七師団の司令部があるらしいのだけど、何故急にそんなところへ行かなければならないのか。今度こそお役御免で放り出されるのか。どきどきしながら司令部を訪問したら、挨拶もそこそこに、合わせたい男がいると言われて応接間のようなところへ通された。上等な家具に、立派な装飾品で飾られた室内は目新しいものばかりで、田舎者丸出しとはわかっていてもついつい忙しなく目を移してしまう。10分くらい経った頃、部屋の扉がコンコンと叩かれた。部屋に入ってきたのは先ほどの上官ともう一人。尾形上等兵、と紹介された男は私にさほど興味がないみたいで終始つまらなそうな顔をしていた。……この人が新しい上司だよとか言われたらどうしよう。正直、仲良くなれそうな気が全然しない。しかし悪い予感ほど的中するもので、明日から私はこの尾形上等兵の下で射撃に重点を置いて訓練することになった。
「いいな、尾形。こいつに射撃を叩きこめ」
「……女じゃないですか」
「そうだ、この女を使えるようにしろ」
心底嫌そうに私を睨んでくる尾形上等兵に一瞬びびってしまったけど、私に文句言われても困る。無情にも上官は退出してしまい残されたのはこの無表情の上等兵殿と私のふたりだけ。じろじろと私を上から下まで観察したあと、はあ、とため息を吐かれてしまった。あ、これ絶対「こいつが陸軍とか冗談だろ?」って思ってるわ。多少被害妄想が入っているのは否めないがこんな態度されてはそう思っても仕方ないと思う。だとしても私はもう約2年も屯田兵を続けているのだ。どうだ参ったか。ふふんと鼻をならしたら、尾形上等兵は一層眉間に皺を寄せた。
「何をにやついている、気持ちが悪いからやめろ」
「申し訳ございません、これが地顔でして」
「……おい、お前」
「です!尾形上等兵殿!」
「……、どうして女のお前が陸軍に入隊した?そもそもどうやって入ったんだ。徴兵検査は受けたのか?」
「尾形上等兵殿、質問が多すぎます」
「答えろ」
「……見てみたいものが、あるのです」
「なんだ?」
「それは、」
――こんな私情まみれの動機なんて言えないよなあ。尾形上等兵は貫くような厳しい視線で私を真っ直ぐ見つめていて、いたたまれず視線を逸らしてしまった。私は今どんな顔をしているだろう。頭を過ぎる兄の顔に、私の思考はどんどん深淵へと向かっていた。どうしてこんなところにいるのか?そんなもの、私が教えてほしいくらいだ。いつからこうなってしまったのだろう。父が死んで、家が燃えて、それから――――
「おい、」
「…………はい」
「しっかりしろ」
「なにが、ですか」
「いきなり泣くんじゃねえ、俺が泣かせたと思われるだろ」
驚いて目を擦るとたしかに、私の瞳からは温かい涙が流れていた。どうして泣いているのか、自分にもわからないけれどとても悲しくて、怖いと思った。泣くな、と言われてすぐ涙を引っ込められるほど私は器用ではない。一生懸命軍服の袖で涙を拭っても拭った分だけ涙は流れ続けた。初対面の人の前でこんなぼろ泣きするとか恥ずかしすぎる……湿っていく軍服を見て焦っていたら私の顔に手拭いが投げつけられた。
「軍服が汚れるからやめろ」
「…………有難うございます、尾形上等兵殿」
「さっさと泣き止めよ。外に出られないだろ」
「……今ので引っ込みました」
「そうか」
思ったより悪い人じゃないのかも?手拭いとはいえ顔面に投げつけるのはどうかと思うけど。尾形上等兵みたいな人でも女の涙には弱いのだろうか。それは分からないけど、気まずそうに私に背を向けて頭をかく尾形上等兵にさきほどまでの苦手意識は無くなっていた。