尾形上等兵に、二階堂兄弟に谷垣。そこそこ親しかった人達が数日のうちに消えてしまった。一人はこの世から。そして残りの三人は生死もわからない。あの三人のことだから、簡単には死なない……筈だ。腐っても陸軍最強と言われていたらしい第七師団なのだから。呆気なく殺されてしまった洋平のことが頭を過ぎったけど、考えないようにした。尾形上等兵が死ぬなんて考えたくもない。むしろ想像しようとしてもできないくらいだ。きっと尾形上等兵はなんやかんやで100歳くらいまでしぶとく生きると思う。
「、そろそろ出発するぞ」
「はい」
観察対象の要注意人物に動きがあったとの報告で、私たちは山へ向かうこととなった。その観察対象の特徴等、詳細は何故か教えてもらえなかったがとにかくその人物を確保することが任務らしい。軍服の上から外套を羽織り、銃を担ぐ。冬の空気でキンキンに冷やされた鉄の塊は手袋越しでも痛いほど冷たかった。もともと北海道の生まれではあるが二十余年経った今でもこの寒さには慣れない。私でさえこんななのだから、本土から来た人達はもっと大変だろう。秋田出身の谷垣は雪山で猟をしていたから慣れてると言っていたけど、二階堂はよく文句を言って私に当たってきた。北国出身の奴がみんな寒さに強いと思うなよ。私だって寒いのは嫌いだと反論したら今度は雪国出身のくせに寒さに弱いとかだせえとばかにされた。……思い出したら腹が立ってきた。一緒に居た時期が長かったから、思い出すのは谷垣や二階堂のムカつく顔ばかりで、私はその顔をかき消すように頭を振った。あんなやつらじゃなくて、尾形上等兵の顔を思い浮かべよう。目標地点に到着して間もなく、山中に銃声が鳴り響く。三十年式の音だ。更にもう一発、別の銃声が聞こえた。例の標的と、誰かが交戦しているのだろうか。音のなった方へ向かっている最中、三発目の銃声が響いた。射撃の間隔が、やけに長い。音の鳴った方へ向かうと、銃を構える一人の男を見つけた。それは、私のよく知っている人だった。見間違えるはずがない。先頭に立つ兵士がその標的、尾形上等兵に向かって銃を撃つ。
「尾形、上等兵……」
「奴の頭は撃つな」
鶴見中尉の命令が私の脳へと染み渡っていく。つまり、頭以外の死なない部位であれば射撃を許可するということ。あのとき鶴見中尉は、まだ脱走と決まったわけではないと、私に言ったはずだ。それなのにどうして。月島軍曹は双眼鏡で周囲の状況を確認する。少し離れた場所に負傷した兵士を見つけた。
「三島です!」
「やはり、さっきの銃声は追跡に気づかれた三島と尾形が交戦したものだったようですね。二階堂は生きているようです」
「よ~しよ~し、頭をぶち抜いてよし」
どくん、どくんと、心臓が脈打っている。尾形上等兵が、殺されてしまう。いや、尾形上等兵が死ぬなんて、考えたくも―――
「一等卒」
絶え間なく発せられる銃声のなか、私だけが銃を下ろして立ち竦んでいた。放心状態といった方がいいかもしれない。
鶴見中尉の私を呼ぶ声は怖いほど優しい。
「一等卒、貴様なら、狙えるはずだ」
「……私、は……」
「できないのかね?尾形上等兵の弟子なのだろう?」
感情のない双眸に捉えられ、気分は蛇に睨まれた蛙状態だ。滴る汗を拭うことすらできない。できないと答えたら反逆とみなされ、私も処分されるのだろうか。鶴見中尉の奥、木の陰に隠れる尾形上等兵に向かって、小銃を構える。まさか自分の手で尾形上等兵を撃つ日がこようとは、流石に想像できなかった。
ひとつ深呼吸のあと、私は右手の人差し指を静かに引いた。