高価そうな茶器に、琥珀色の液体が注がれる。西洋のどこかの国から輸入された貴重なお茶だ。緑茶とは違う不思議な香りからは味の想像が全くつかない。手馴れた様子で紅茶を注ぐ月島軍曹は隣でがたがた震える私を見てため息を吐いた。
「そんなに怯えんでもいいだろう、」
「いや無理無理無理無理、私、消される展開ですよねこれ」
「ばかなこと言うな」
「つ、鶴見中尉が私みたいな雑魚の下っ端とお茶したいとかもう命が危ない予感しかしないんですけど!」
「落ち着け」
「無理無理無理無理!」
やっぱり逃げようかな~お腹ゴロゴロなんですすいまっせんとか言って凌げないかな~と冷や汗をかきつつ考えていたら鶴見中尉が現れて私の逃亡計画は失敗に終わった。気のせいかバックに花を背負った鶴見中尉に「待たせてしまったかな」と声をかけられた私は覚悟を決め、弾丸に負けない速さで椅子から立ち上がり敬礼した。鶴見中尉は何というか……大人だ。年齢が二回りくらい離れているというのもあるけど、何かこう、大人の色気が凄いと思う。自分も一応成人しているし、大人のつもりではあるけど鶴見中尉の前だと私ってまだまだ子供だなと感じてしまう。あと10年くらい経てば私も大人の色気とやらを習得できるだろうか。そうすれば尾形上等兵も少しは私のことを見てくれるだろうか。
「そう畏まらんでいい」
「そ、そういうわけには」
「少し話を聞きたいだけだ」
「は、はあ……」
「ほら、月島軍曹が淹れた紅茶でも飲んで、落ち着きなさい」
促されるまま大人しく着席し、淹れたての紅茶を口に含む。やっぱり、何の味かわからない。初めての味に顔を歪めているのを鶴見中尉は面白そうに笑って見ていて、ふと、この前の浩平を思いだした。一緒に出されたお茶請けも西洋のものらしくて、すこーんとかいう焼き菓子に苺を煮詰めた甘いたれという見たことのない食べ物を出されたがどうやって食べたらよいか分からず手を付けられずにいた。なんでも、紅茶にはこのすこーんが欠かせないらしい。鶴見中尉は私の知らないことをたくさん知っていて、驚きの連続だ。しかも頭の弱い私にもわかるよう簡単な言葉で説明してくれるのはとても有難い。
「一等卒は尾形上等兵と親しかったと聞いているが」
「はあ、親しいといいますか、自分が一方的に慕っておりました」
「そうか……ではさぞかし寂しいだろう」
「そう、ですね」
「何か心当たりはないのかね?」
怪我を負った今でも鶴見中尉が端正な顔立ちをしているのがよくわかる。私はこの人の真顔がたまらなく怖かった。今や脱走兵となった尾形上等兵に、二階堂。悲しいけれど、尾形上等兵が多少なりとも親しくしてくれていたのは私が部下だったからだ。きっとそれ以上でもそれ以下でもない。二階堂は、まあほぼ同期で悪友みたいな感じだったけど。鶴見中尉には私と尾形上等兵は仲が良く見えていたようだけど、それは中尉の勘違いだ。
「……そんな私的なことをお話してくれるほど、心を許してはもらえませんでしたので」
心のどこかではわかっていたのだ。どんなに愛を伝えてもあの人の特別にはなれないと。こんなかたちで認める事になるとは思わなかったけど。今はただ、脱走でも脱獄でもなんでもいい、どこかで生きていてくれればと願うばかりだ。
「あの男が何を考えているかわかる人間なんて、この世界のどこにもいないだろうな」
「気まぐれで、猫みたいですからね」
「しかし、君と会話しているときは感情を表に出すことが多かったようだ」
「苦い顔させるのは得意です」
「尾形上等兵と二階堂一等卒はまだ脱走と決まったわけではない。力を貸してくれるか?」
「……もちろんです、鶴見中尉殿」
鶴見中尉は私の答えに満足したのか、品の良い笑みを浮かべて紅茶に口をつけた。
私はそのとき確かに、死神を見た。