「夏太郎のやつを見なかったかい?」
谷垣より更にでっかい牛山さんが私の前に立ちはだかった。遠くから見ても大きいなと思っていたが、こうして目の前に立たれるとでかいなんてもんじゃない。これはもう壁だ。
「見てないですね……実は私も探していたんですが」
「おや、なにか用事でもあったのか?」
「狩りを手伝ってもらおうかと」
次の新月の晩……つまり、網走監獄潜入作戦までの間、私たちは思い思いの時間を過ごしていた。谷垣はチカパシくんとどこかへでかけたり、私はアイヌの狩りに同行したり単独で散歩したり色々である。尾形上等兵は相変わらずふらっといなくなることが多いけど、話を聞く限りどうやらかなり頻繁に周囲の様子を観察して周っているらしい。私も双眼鏡を手に入れたことだし、と志願して時々同行していた……というか無理やりついて行っている。
目いっぱい首を上に向けて会話をしていると必然的に首が痛くなってしまった。果たして私の声は届いているだろうか?と思うほど頭の位置が違うのでいつもより気持ち大きめに声を出す。牛山さんはそんなこと慣れっこなのか、私と話す時は少し屈んでくれた。そういえばアシリパさんも良く懐いているみたいだったし(肩に乗ったりしてた)、牛山さんも彼女を「お嬢」と呼んだりしてたし、強面だけど案外良い人なのかもしれない。白石さんの話では無類の女好きとのことだけど、少なくともこれまで私はそのような場面に出くわしていない。むしろ私の目には白石さんの方がよっぽど女好きに見える。
「もしかしたらまた家永に……」
「えっ!?」
家永さんは綺麗でお淑やかなお姉さん……と思いきや、その正体は刺青の囚人の一人だったのだ!と聞いた時には心臓が止まりそうなほどびっくりしたものだ。しかもあの顔で土方さんと同年代だとか。喋り方も声も完全に女の人なのに……とかはあまり深くは考えないことにした。とにかく、その家永さんは度々夏太郎くんの体を狙っているらしい。……うーん、なんだか誤解を生みそうな言い方だが事実だから仕方がない。「お前さんも気を付けろよ」と牛山さんに忠告され、返事の代わりに苦笑する。正直回避できる自信はない。
そして私たちが探していた夏太郎くんはやっぱり家永さんに捕らえられていた。包丁を向ける家永さんの前には服を脱がされて手足を拘束された夏太郎くんが転がっている。
「だ、大丈夫!?」
「……大丈夫に見えるか?」
夏太郎くんは半泣きだった。流石の私でもそれを見てもプークスクスなどと笑う気にはなれなかった。身動きが取れない状態で包丁をちらつかされたら普通に怖い。家永さんって確か、見せつけて楽しむタイプとか言ってたし。想像しただけで背筋が寒くなる。拘束を解く私の後方では、家永さんが牛山さんに怒られていた。が、その内容は「食うなって言われてるだろ」「だって~」などという殺人現場には似つかわしくないのんきな会話である。囚人ってこんなのばっかりなのか?
「じ、じろじろ見るんじゃねえ!」
「冬じゃなくて良かったね」
「頼むから服持ってきてくれよ……」
ようやく解放された夏太郎くんに元通り服を着せて、気分転換にとうまいこと狩りへ誘い出した。狙うは鳥である。……というのも、私は鳥しか捕まえたことがなかった。以前狩りをしたい、と父に相談したら鹿や熊なんかは危険だからと禁止されたのだった。まあそもそも、そんな大型の動物をその場で捌ける技術も、一人で持って帰れるような腕力もないのだけど。だから私は昔から鳥一筋なのである。
「昔はよく鳥を撃って換金してたんだけど」
アイヌの村で借りた村田銃に装弾しながらぽつりと零した。夏太郎くんが聞いているのか聞いていないのかなどどちらでも良かった。使い慣れた三十年式小銃でなくわざわざ村田銃を借りてきたのは、三十年式がこのあたりでは使われていない小銃だからである。看守たちはモシンナガンを装備し、狩りに出るアイヌの男たちは払い下げられた村田銃を常用していた。万が一、尾形上等兵のように銃声を聞き分けられる人間がいることを想定しての対策だ。遊底の操作が少し硬いのが難点だが、改造銃なので随分軽く感じる。
「それって尾形さんに会う前の話?」
「……うん」
たぶん、とは言わないでおいた。夏太郎くんの方もなんのことだかわからないだろうし。当時愛用していた銃も父のお下がりの単発銃だったが、三十年式のような連発銃に慣れてしまった今ではなんとも煩わしく感じる。ふうん、と興味なさそうに呟いた夏太郎くんは腕を枕に空を仰いだ。私もつられて顔を上げると、くすんだ青空の中に灰色がかった薄い雲が点々と繋がっていた。もうすぐ冬がやってくる。
「夏太郎くんはどうして土方さんたちについてきたの?」
「俺も土方さんみたいな男になりたいと思ってさ。茨戸の時の土方さんと永倉さん、すげーかっこよかったんだぜ」
また始まったよ、夏太郎くんの土方話が……と苦笑いしつつ、話を遮る気にはならなかった。自分自身にも覚えがあったからだ。私も27聯隊では四六時中尾形上等兵の話をしていた。主に聞き役は谷垣か三島くんである。谷垣は真面目な顔して右から左へ聞き流している様子だったが三島くんはうんうん、とにこやかに相槌を打ちながらやっぱり聞き流している感じだった。だが私はそれでも良かった。ただ自分が話したいだけだった。夏太郎くんが私と同じかはわからないけど、彼を見ているとその頃を思い出すのだ。
「尾形さんの銃もすごかったなー。あの時は敵だったけど」
「そりゃあもう!射撃の腕前で私の尾形上等兵の右に出るやつはなかなかいないよ?」
「……どうしてあんたが得意げなんだよ」
「弟子だからね」
「非公認みたいだったけど」
「う……そのうち、認めてくれる……予定」
「いや認めてはいるだろ?」
「え……」
「おい、なんか来たぞ!」
詳しく聞けないうちに獲物が近づいてきて、私はそれを撃ち落とした。お見事、と心の中で自分を褒めてやる。別に誰も褒めてくれなくたっていいもんね。
「なんだ、口だけじゃなかったんだな」
「当たり前でしょ。この程度できなくて尾形上等兵の弟子なんか名乗れないよ」
感心しながら失礼なことを口走る夏太郎くんに自分史上最高のどや顔を見せつけたら「ま、散弾だけどな」と言われた。余計なことは言わなくていいのに。