「おい、仕事だぞ」
「10秒で支度してこいよ」
「何処の空中海賊!?10秒じゃ部屋にも行けないよ!?」
食堂を出てすぐ私の前に現れたのは、同じ顔の二階堂ズだった。例の入れ墨についてタレコミがあったらしく、これから街へ行くらしい。入れ墨とかあんまり興味ないけど、鶴見中尉の命令なら仕方がない。でも10秒は普通に無理だろ。ふざけんな。見分けのつかない双子への文句を呟きながら自分史上最高速度で装備を整え、表門へと戻る。タレコミのあった蕎麦屋に着くと、好戦的な二階堂兄弟が率先して店に入っていった。
おばちゃんが「軍帽の兄ちゃんだよ」と言い終わらないうちに不意打ちを受けた二階堂ズが吹き飛んだ。店から飛び出したのは軍帽を被った若いお兄さんで、見事な飛び蹴りについ拍手しそうになる。第七師団といえば陸軍最強と謳われた集団だ。……というのは誰に聞いたのか忘れたが、なんかそういうことになっているらしい。その猛者共相手に一人で暴れまわる姿は圧巻だった。
「動くな!」
しかし、いくら格闘術が強くても銃に囲まれてしまってはお終いだ。構えた銃の先、軍帽のお兄さんは何もできずに立ち尽くす。よく見たら二階堂兄弟は二人して鼻血を垂らしていて結局どっちがどっちかわからない。こんな時までお揃いかよと思っていたら二階堂ズがお兄さんを銃で容赦なく殴る殴る。戦闘の時の二人は、いつもと別人みたいにみえて怖かった。戦争帰りだし、もしかしたら私や他の仲間たちもそうなのかもしれないけれど、この二人は特別そう見える。
お兄さんへの私刑は鶴見中尉の制止で漸く中断された。
手錠をかけられ、兵舎へ連行された軍帽のお兄さんは不死身の杉元というらしい。誰?と同僚に聞いたら、日露戦争行ったのに知らないのかよと呆れられたのでかなり有名な人らしい。まじか。あとで握手してもらおう。そういえば、尾形上等兵もこの前ふじみって……。もしかして、あの人のことだったりして……?警備をする扉の向こうでは尋問が行われている。ぼそぼそとした話声は聞こえるけど内容まではわからない。暫くして二階堂ズに連行されるのは、顔面に串が2本も刺さった杉元さんだった。見ているだけで痛くて、私は顔を歪める。
「……ねえ、あれ、手当しないの?」
「ほっとけほっとけ」
「それより縄持ってこい、縄」
渋い顔で別の部屋へ連行されるのを見送っていたら、鶴見中尉が「やっぱり花園公園の串団子は美味いな」とうっとりしながら出てきた。串刺しの犯人この人か。
その夜、兵舎で騒ぎがあった。
二階堂ズが杉元さんに独断でちょっかいをかけに行ったら返り討ちにあったようで、二人とも顔面血だらけになっていた。
「……なにやってんの」
「あいつが悪い」
「そうだ、入れ墨の在処を吐かないあいつが悪い」
「負けたからって逆恨みはよくないんじゃない?」
「あぁ?」
「で、前歯折れた方はどっちの二階堂なの?」
「……どっちでもいいだろ」
「教えてよ、折角わかりやすくなったのに」
手拭いで乱暴に洋平か浩平の顔面の血を拭いて鼻の両穴にちり紙でつっぺをしたら、ちっ、と小さな舌打ちの後、「洋平だ」と答えた。
「両方入れたら息できないだろ」
「お前ばかなのか」
「うるさいばか兄弟。お前らが暴れなきゃ両穴にちり紙つっこまれて息苦しくなることもなかっただろうがばか共が。もう今日は大人しくしてなさいよ」
じゃあなばか兄弟、と捨て台詞を吐いて持ち場へ戻った。
更に大きな騒ぎが起きたのはそれからすぐあとだ。
「……二階堂が?」
ころされた?
死と隣り合わせの私たちが死ぬのは戦場だけだと思っていた。さっきまで流血しながらも悪態をついていた人間が、もうこの世にいないなんて。こんな悪趣味な冗談言うはずもないとよく考えればわかる話なのに、どうしても信じられずに現場に向かった。血の飛び散った室内には、首が変な方向に曲がった二階堂が大の字で倒れている。杉元さんも瀕死の重傷で、既に病院に運ばれていた。これは、どっちの二階堂だろう。暗い室内のなか、薄く開いた二階堂の口に目を凝らす。
「この死体……妙だな」
「右手に深い傷がある」
「防御創か。これでは銃剣を持つことも難しいはずだ」
「左手は無傷なのにどうして持ち替えない」
「貴様ほんとにこんな手で杉元と刺し違えられたのか?」
「どうなんだ?」
鶴見中尉は念入りに洋平の死体を調べていく。ぶつぶつと独り言を呟いたり息をしていない洋平に向かって語りかける様は異様としか言えないけれど、一目みて違和感に気付くなんて恐ろしいほど頭の切れる男だ。違和感の正体をつきとめた中尉は猛スピードで部屋を飛び出した。部屋に残されたのは私と洋平。腹を割かれた洋平はどこか遠くを見たまま、ぴくりとも動かない。
「……自業自得だよ、ばか野郎」
私は涙が零れてしまわないよう、悪態をつくことしかできなかった。