尾形上等兵は瀕死の重傷で見つかった。何度も何度も上等兵に会わせてくれと通いつめて数日、漸く許可が下りた。右腕と顎骨の骨折に低体温症という、生きているのが奇跡みたいな状態だったらしい。尾形上等兵の生命力はんぱない。なんて軽口叩けるような雰囲気でもなくて、未だに意識の戻らない尾形上等兵の痛ましい姿に泣きそうになった。このまま、死んじゃったらどうしよう。もしも、この人の体が死人みたいに冷たかったらと思うと、怖くて手も握れない。ベッドから微妙な距離を取ったまま暫く立ち竦んでいたが、いつの間にか部屋に人が増えていて眠ったままの尾形上等兵を数人が囲んでいた。その光景もどこか手の届かない遠くから眺めている様な不思議な感覚だ。
「なんだ、どうしたんだ」
振り返った谷垣が「意識を取り戻したぞ」と、焦ったように手招きをした。谷垣にそっと背中を押されながら恐る恐る歩み寄ると、微かに震える左手がゆっくりと持ちあがるのが見えた。思わずぎゅっと握ったその手は温かかくて、安心したせいかぽろりと涙が零れる。意識は戻ったものの、顎が割れている尾形上等兵はとてもじゃないが喋れる状態ではなかった。薄く開かれたその目に私が映っているのかもわからない。いや、泣き顔は見られたくないから、今はそれでいい。軍服の袖で乱暴に顔を擦り、涙をなかったことにした。尾形上等兵はもごもごと口を動かそうとしているけど、本人の意思に反して開こうとしない口からは、「あ」とか、「う」とか、うめき声のようなものしか出てこなかった。
「尾形上等兵、何か言いたいことがあるのですか?」
できる限りゆっくり問いかけると、注意して見ないとわからないくらい微かに頭が上下した。何か重要なことだろうか。自分を瀕死させた犯人を伝えようとしているのか。もし知り合いだったら私が尾形上等兵の代理でお礼参りしてやろう。しかし、どうすれば意思の疎通が取れるだろうか……。
「話せないなら、筆談ならどうだ」
「その手があった!!!玉井伍長殿、冴えてますね!」
何か書くものを用意しようとしたが、尾形上等兵は私の手首を掴んで引き留めた。こんな状況で言うのもあれだが、というか流石に空気読んで口には出さないが、ちょっとときめいた。できれば全快してからもう一度再現して頂きたい。私の邪な思いも知らず、尾形上等兵は私の手に人差し指で文字を書く仕草をした。
ふ じ み
「……ふじみ?」
「どういう意味だ?」
その場の全員、意味がわからず首を捻る。たまに全然面白くない冗談をぶちかますお茶目な尾形上等兵だが、「俺は不死身だぜ」的な体を張った冗談は流石に言わないだろう。となると、この三文字に重要なメッセージが隠されている筈。おはようからおやすみまで尾形上等兵を見守ってきた私になら、きっとわかる。頑張れ。謎のメッセージを残し、尾形上等兵は再び眠りについた。普段から付きまとい行為を繰り返していたせいか周囲もならわかるんじゃないかみたいな、妙な期待を込めた目で私を見ていたので、顎に手をあててうーんうーんと暫く唸っていたけど私の残念な頭では何も思いつかなかったのは愛が足りないせいではないと信じたい。振り返って両手を挙げると「でも無理か……」と誰かが呟いて自然と解散する流れになった。
「心当たりはないのか?」
「うーん、全く!」
「そうか……」
「不死身と言えばさ、この前月島軍曹に怪我する前の鶴見中尉の写真見せてもらったら超男前で吃驚したよ。あと10年早く生まれてたら惚れてたかも」
「……お前、尾形上等兵はどうしたんだ」
「冗談だよ、私は尾形上等兵一筋だって!さて、愛しの尾形上等兵に千羽鶴でも折るかな」
じゃあね、と病室を後にして一人になるとまた涙が出てきてしまった。本当に生きていてよかった。まだ油断できない状況ではあるけど、ひねくれ者の尾形上等兵のことだからきっと三途の川は渡らずに帰ってくるだろう。帰ってきたときにからかわれないようにもう泣かないようにしなくちゃなあと、私はもう一度軍服で涙を拭いた。