「写真?」
「は撮ったことあるか?」
「ないない。だって魂取られるって……」
「……それ信じてるやつ、本当にいたんだな」
「なんだって急に写真なんか……」
「アシリパさんの写真をフチに送ってあげようと思ってね」
廣瀬写真館には見たことのない機材が所狭しと並べられていて、インカラマッさん、キロランケさんとそれぞれ順番に写真師の田本さんに写真撮影をしてもらっているのを部屋の隅っこで眺める。写真を撮られるのは魂を取られること、と兄さまは私をからかっていた。懐からしわくちゃの写真を取り出して、汚れでもう顔の見えない兄さまを見つめる。きっと兄さまはこの写真を撮ったから魂を取られてしまったのだと、そう思うと「写真」というものがとんでもなく忌まわしいものに思えた。
「ちゃん」
真上から降ってきたのは杉元さんの声だった。尾形上等兵に向けられるのとは違うトゲのない声音に少し戸惑いつつ見上げた私に「ちゃんは撮らないのかい?」と写真機の方を親指でさす。
「いえ、私は遠慮しておきます……」
「なあんだ、てっきり尾形と撮りたがるかと思ったのに」
「写真はどうも苦手で」
あはは、と誤魔化すように笑いながら室内を見渡すと残っているのは私と杉元さんとアシリパさん、それと谷垣だけだった。みんなどこに行ったんだろうという私の心の声が聞こえたのか杉元さんが「他のやつらはもう終わったから出ていったよ」と答えてくれた。それなら、と私も杉元さんとアシリパさんに続いて外に出る。尾形上等兵はどこだろう……とすぐ探してしまうのは最早癖である。だがお目当ての人物を見つけたところで、今までのように気楽に近づける気分ではなかった。……少なくとも、今は。でも急によそよそしくするのも変に思われるだろうか、なんてそわそわしていたら左腕を突然掴まれた。
「ぎゃあああああああああッ!」
「……うるせえ」
「なんだ!?」
「あっ、いや、その、なんでもないです!」
最後尾にいた私と尾形上等兵を他の一行が振り返った。敵襲かと思ったのか杉元さんは銃に手をかけている。私が顔を真っ赤にして手と首をこれでもかというほど振ると一番近くに居た谷垣がやれやれといった顔で「あまり目立つようなことをするな」と言った。ぶわっと一気に噴き出た顔の汗を着物の袖で拭ってから腕を掴んだ主をじろりと見上げてみたが、当の本人には何の効果もないらしくしれっとした表情でこちらを見ている。
「お前、敵に襲われたときもそんな騒ぎまくってたんじゃ命がいくらあっても足りんぞ」
「そ、そのときはもっと……こう、善処します」
「普段から善処しておけ」
「…………なん、ですか?何か私に用事ですか」
「なにか隠しているんだろう?鬱陶しいから言えと言っただろうが」
「か、隠してません、別に……何も」
「俺を誤魔化せると思ってんのか?」
「もう私は尾形上等兵殿の部下じゃないんですから、報告義務はないはずです」
違う、そうじゃない、何を言っているんだ私は……撤回しなければと再び尾形上等兵を見上げると、珍しく少し呆気にとられたような顔がそこにあった。え?と逆にこちらが吃驚していたら尾形上等兵はすぐに表情を元に戻し「部下じゃないなら、その呼び方なんとかしたらどうなんだ?」などとご尤もなつっこみを入れた。
「え……じゃあ、お、尾形……さん?」
「気持ちが悪いな」
「どうしろと」
「部下じゃなきゃお前みたいな面倒くさい女に関わることもなかったんだがな」
「それは……そうでしょうね」
「はどうなんだ?」
「どう……とは?」
「…………いや、なんでもねえ」
「尾形じょ……さんも十分気持ちが悪いじゃないですか。前言撤回なんてらしくないですよ」
「お互い様だろ」
もう用はないとばかりに、尾形上等兵は私を置き去りに歩き始めた。尾形……さん、かあ……呼び慣れない敬称を口の中で噛み締める。もし、私が陸軍なんかとなんの関りもないただの一般市民で、尾形上等兵と出会っていたらどうしていただろう。同じように尾形上等兵を追いかけていただろうか。今となっては絶対にありえない未来を思い描いたが、私は途中でばからしくなって考えるのをやめた。だって私はもうただの一般市民ではないし、尾形上等兵との出会いをやり直すことなんてできないのだから。隠し事をしてるのはそちらの方ではないのですか?そう言いたいのをぐっと堪えて小走りで彼の隣に並んだ。そうしたら尾形上等兵はいつのもように少し呆れたような目で私を見下ろし息を吐いたので私もいつものようににかっと笑う。死ぬまでこうしていられたらいいのに、なんて不毛だとわかっていても考えずにはいられなかった。でも尾形上等兵は私の知らない私の何かを知っている。もしかしたら鶴見中尉も?すべては自分の憶測だが今までの鶴見中尉を見ているとあり得ないことはない気がしていた。自分の記憶を取り戻したいと思っていたはずなのに、尾形上等兵が関わっているかもしれないとわかった途端怖くなってしまった。とんだ臆病者だ。自分は怖いもの知らずだと思っていたのに。