朱仄へ12

「これだけ明るけりゃ盗賊どもは丸見えだ。、死ぬ気で追え」
「双眼鏡があれば無敵だったんですけどねぇ」
「あいつらが馬鹿な盗賊じゃなくて残念だったな」
「いやぁ、でも良いものは見れましたので」

 なにがとは言わないですけどね。なにが、とは。そんな含みのある言い方をすると察しの良い尾形上等兵が軽蔑するような眼差しを向けてきたのでてへっと言わんばかりに肩を竦めてみせる。さきほど尾形上等兵が撃った盗賊の一人を置いて、他の盗賊は私たちに背中を向ける形で森の奥へと進んでいった。夜明け近いとはいえ、まだまだ森の中は仄暗く歩くのは一苦労である。にも関わらず尾形上等兵は普段と変わらない調子でどんどん進んでいったので、私は自分のことでもないのに怪我しそうで怖いなあなんて少しハラハラしながら後に続いた。それにしても酷い悪道だ。「死ぬ気で追え」という尾形上等兵の有難いお言葉をじわじわと実感しつつ、私は文字通り必死で草をかき分ける。

「そういえば他のみなさんは……」
「知らん」
「合流した方が良いと思うのですが」
「この広い森を探すのか?そんな悠長なことしていたら逃げられて終いだろうが」
「……そ、それもそうですね……いやでも、残弾数は」
「3発だ」
「敵の数は?」
「少なくとも5人……2人は仕留めたがあとはわからん」

 こちら側で銃を持っているのはおそらく尾形上等兵だけ。インカラマッさんとチカパシくんを数に入れないとして、こちらの戦力は7人か。……そういや、白石さんは頭数に入れていいものなのか?どんな監獄でも脱獄できるというから身体能力は高いのだろうけど。見失った盗賊たちを探しながらそんなことを考える。


「はいっ!?」
「盗賊どもを片付けたらお前は故郷に帰れ」
「……な、んですか急に」
「このままずっと俺に付いてくるつもりなのか?」
「それは……」
「…………お前、親父が死んだときのこと覚えてないんだったな」
「えっ?」

 その真意を測りかねているところで彼の肩越しにあの変な耳当てを付けた盲目の盗賊を見つけ、小声で合図をする。尾形上等兵はすぐに狙撃体制に入るが相手側はまだこちらに気づいている様子はなく、私たちに背を向けているその盗賊の一人を狙って引き金を引いた。

「……耳当てに当たりましたね」
「もうちょっと明るければ外さなかったのに。あと2発か……」
「尾形上等兵のそうやって容赦なく頭狙って殺しにくるところ、好きですよ」
「お前に好かれても嬉しくない」
「またまたぁ~~!!」
「少しくらい黙ってられねえのか」

 平然と私をあしらった尾形上等兵はさっさと坂を下って行こうとするので慌てて後を追う。盗賊たちの逃げた先にあったのは「待合旅館」と書かれた建物だ。

「あれがアジトでしょうか」
「そのようだな」
「乗り込みますか?」
「……俺たち二人だけで乗り込んでも勝算がない」
「ですよね~……」

 やはり私たちだけじゃ分が悪いかぁ。私は大げさなため息とともにがっくりと肩を落としてみてから、木の幹に体を預けてアジトを監視する尾形上等兵を横目で見つめた。さっき、なんて続けるつもりだったのだろう?私の父親の話…………は、したようなしていないような、記憶が曖昧だけど記憶がないのを知ってるということはもしかしてあの時の兵隊さんて――

「尾形だ」

 女の子の声が聞こえて私は視線を前に戻す。草をかき分ける音とともに姿を現したのは当然のように素っ裸の杉元さんとアシリパさんだった。咄嗟に「無事でしたか」と言おうとした私だが上半身血まみれの杉元さんは誰がどう見ても全然無事じゃなかったのでその言葉をごくんと飲み込む。

「ち、血が出てますよ、杉元さん……大丈夫ですか」
「ああ、うん。大したことないよ…………ちょ、あんまり見ないで!?」
「安心してください。私、男性の裸は見慣れてますから」
「何に安心したらいいのかわからないんだけど」
「まあまあ。それより、あの旅館見てください」
「都丹庵士と手下2名が建物に入っていった。あの廃旅館が奴らのアジトだ」
「銃を取りに戻っていたら逃げられる。このまま突入して一気にカタをつける。アシリパさんは外で待機しててくれ」
も大人しく待機していろ」
「わ、私も行きます!」
ちゃんも銃持ってるんなら連れて行った方が有利じゃないのか?」
「弾がない」
「え、そうなの?」
「大丈夫ですよ!鈍器としてなら使えますから」
「…………死んでも知らんぞ」
「そんなの今更ですよ」

 わざとらしいため息を吐いた尾形上等兵を見て私は拳を握りしめた。今回は私の勝ちである。こうやって言い争いを途中で放棄するのは「勝手にしろ」の合図なのだ。たぶん。まあ私の都合の良い解釈と言ってしまえばそうかもしれないけれど、恐らく当たらずと雖も遠からずといったところだと思う。要は自己責任なのでここからは尾形上等兵にご助力を仰ぐことは許されないということだ。それを覚悟で私は尾形上等兵と戦うことに決めたのだからどうなっても後悔はない。
 私と尾形上等兵のやり取りを微妙な表情で見守っていた杉元さんだが、「本当に大丈夫?」と心配そうな眼差しを私に向けたのでにこりと笑って頷いた。

「私これでも兵役満期努めたし、日露戦争にも出征してるんですよ?」
「そういえば、そうだったね」
「杉元。そいつの体力は陸軍の中でも下の上だから当てにすんなよ」
「尾形上等兵殿~~!人聞き悪いこと言わないでくださいよ~~」
「うるせえ。いいから早くいくぞ」

 「三人とも気を付けろよ」と強張った顔で見送るアシリパさんにこくりと頷いて、杉元さん、尾形上等兵の後ろに続く。建物の中は真夜中みたいに真っ暗だ。私たちは窓を開けようとしたが、内側から板が打ち付けられて開けることができなかった。銃床で力いっぱい殴ってみるとばきん、と板の折れる音がしたのでそれほど分厚いものではないようだけどひとつひとつ破っていく暇などない。というか、たぶん私の手の方が先に壊れる気がする。早々に諦めて尾形上等兵のところへ戻ろうとすると、入口が突然閉められ旅館の中が晦冥に包まれてしまった。どうやら盗賊が潜んでいたらしいが、すでに視界は奪われ敵の姿など見えない。それどころか味方の位置を確認することすら困難な状況だ。
 何処に誰がいるのか、わからない状態で息を潜めている私の身体に何かが触れた。吃驚して一瞬身を引いたものの、確かめるような、何か探すような感じのそれは尾形上等兵か杉元さんのどちらかだろうと直感した。たしか右手側に杉元さん、左手側は尾形上等兵…………が居たような気がするけど自信がない。どちらかの手は私の首から肩にかけてを確かめるように撫でたかと思うとすぐに離れていく。位置がばれてしまうだろうとわかっているからか、手の主は終始無言だった。その直後にカン、と例の下駄の音が入口の方から鳴った。音の方へ向けて尾形上等兵が撃った銃の発砲炎で一瞬だけ室内が照らされる。それが敵に当たったかどうかも確認しようがない中、尾形上等兵の「走れ!」という声で弾かれたように反対方向へ走り出すと、今度は私たちへ向けて拳銃が発砲された。拳銃を持っていたのは確か、耳当てを付けていた男だ。さらに尾形上等兵が奥へ進むよう私たちに指示したけど、どこへ行っても暗闇ばかりでどこが奥なのかさっぱりわからない。敵は少なくとも3人、一人は入口に潜んでいた耳当ての男で……あとの二人がどこにいるのか今の私たちに知る術はない。

「杉元?」
「アシリパさん?どこから入ってきた?」
「たぶんこっちだ!!いや……あっちか!?」

 なんだか聞いたことのあるやり取りだなあなんて思いながら暗闇に目を凝らしているとまたどこかから下駄の音が鳴る。

「これを使おう」
「え?なに?」
「触るなよ。怪我するぞ」
「え~やだ怖い」
「シッ!」

 アシリパさんがなにか秘密兵器を取り出して床に撒きだした。小さな、からからと乾いた音が微かに聞こえる。「塘路湖のペカンペだ」とアシリパさんが言うと前方から男のうめき声がして、その頭部を尾形上等兵が正確に撃ち抜いた。反対側から駆け付けたもう一人の盗賊は杉元さんが仕留める。杉元さんが敵を壁へ叩きつけると、窓に打ち付けた板が割れて光が漏れた。その光に照らされて拳銃を持った男が見える。「杉元さん!」と咄嗟に叫ぶと、お見通しだったかのようにくるりと振り返った杉元さんが拳銃を薙ぎ払った。杉元さんたちはもみ合いながら光の届かないところへ離れて行ってしまい、アシリパさんが心配そうに杉元さんの名前を口にする。敵は恐らくあの男で最後のはずだけどこの暗闇では確証が持てないので用心した方がいいだろうと、杉元さんを探しに行こうとするアシリパさんを引き留めた。姿は見えないが、近くでどすんどすんと床の抜けそうな音が何度もしている。

「杉元どこだ?大丈夫か?」
「アシリパさんはそこを動くなッ!」
「尾形上等兵殿、加勢に行きますか?」
「……加勢できるならな。それよりも、こいつを縛り付けておけ」

 尾形上等兵が指した先には、杉元さんが斃した盗賊が転がっていた。頭を撃たれた方は絶望的だが、こちらは気を失っているだけのようだ。はい、と短く返事をし、素直に従う。男の手足を縛って床に転がしてからもう一人の盗賊の方を検分しようと立ち上がると、どこかから木の折れるような音が聞こえた。盗賊の仲間かと警戒しながら近づくと外からすごく大きなおじさんが素手で戸板を破って侵入しようとしていたので私は思わず動きを止めた。盗賊……?にしては、立派な身なりをしている。いやそれよりも素手って。とんでもない怪力じゃないか。こりゃ勝てねえと即座に白旗を振る勢いだった私だが、その大男は存外優しい声音で話しかけてきた。

「……ん?なんだい、お嬢ちゃん。こんなところにいたら危ないよ」
「え?えーと、盗賊の仲間……ではない?」
「違う違う」

 顔の前で大きな手を左右に振って否定するおじさんを見て一体どうしたものかと困っていると、おじさんは私の少し後ろに目を遣って「お嬢……また会ったな」と呟いた。

「チンポ先生ッ」
「し、知り合いですか!?」

 チンポ先生こと牛山辰馬という大男もまた入れ墨の囚人だったが、アシリパさんがキラキラと目を輝かせているところからすると悪い人ではない、らしい。いや囚人だからいい人でもないのかな……あれ?わからなくなってきた。
 「どうしてチンポ先生なの?」と素朴な疑問を投げてみたら「チンポが大事だからだ!」とこれまた良い笑顔で返されてしまったのでチンポは全員大事なんじゃないかなあなんて言えず「そ、そうなんだ……」と引き攣った笑顔を浮かべておいた。