※文字ばっかで無駄に長いので中盤くらいまで飛ばしても無問題です
さくさく、じゃりじゃりと自分の靴が草や砂利を踏みつける音だけが聞こえる。探せったって……一体どこを探したらいいのやら。恐らく男衆は散り散りになって逃げたはずだ。そんな、どっちへ誰が逃げたのかもわからない真っ暗闇の森の中、着物の裾を持ち上げながら道なき道を突き進むのは想像以上に大変である。しかもこんな季節だし、虫なんかに刺されたら嫌だなあなんてちょっと場違いな心配をしつつ、ふうふうと息を切らしながら先へ進む。虫に刺されるという点でいえば自分より男衆の方が心配だ。だって真っ裸なんでしょ。……必然的に尾形上等兵のことを思い浮かべてごくりと喉を鳴らす。いや待て待て、私はそこまで変態じゃない。自分を戒めるみたいに一度左頬をぺちん、と叩いたとき、どこかで銃声が鳴った。自分の持っている三十年式小銃とは違うもののようだ。……とすると、尾形上等兵の持っているおニューの三八式か、或いは都丹庵士たちのものか。
息を潜めて様子を伺っていると、左方向から何発もの銃弾が撃ち込まれ、微かな発砲炎を捉えることができた。今のは尾形上等兵ではないだろう。彼はあんなに感情的な撃ち方はしないしそもそも鎖閂式という構造上、あの小銃で連射することは不可能である。ということは最初の銃声は尾形上等兵の可能性が高い。浴場にまで銃を持ち込むなんて、きっとあの人くらいなものだ。
さくさく、じゃりじゃり。また無音の森を一人きりで進む。かといって完全に無音ではない。虫や梟の鳴き声に、風でかさかさ揺れる草の音だってする。そして、鳥でも虫でもない、遠くで微かに聞こえるカンカンという音も。暗闇での戦闘というのはあまり経験がなく、これほど恐怖を感じるものとは知らなかった。敵は自由自在に動き回れるというのにこちらは足かせをされているみたいに一歩一歩ゆっくり慎重に進まなければならないのだ。どこから盗賊たちが現れるのか予測できないのも非常に痛い。
前方右の茂みがガサっと音を立て、私は咄嗟に洋灯をかざす。尾形上等兵かな?と一瞬期待したがすぐに打ち砕かれることになり、尾形上等兵とは似ても似つかない目隠しをした男が小声で「死にたくなかったら灯りを消せ」と言いながら変なトゲがたくさんついたぼっこをこちらに向けた。かたん、と洋灯をその辺の岩に乗せ、従順なふりをする。大人しくしていれば本当に殺すつもりはないのか、男は黙って私を監視している。あれ、刺さったら痛そうだなあと一瞬尻込みしてしまったが私だって腐っても元軍人だ。大人しく従うつもりなど更々なかったので振り向き様に肩から降ろした小銃でトゲトゲの棒を薙ぎ払…………いや力強いなこのおっさん!!私の想像では今のでぼっこが吹き飛ぶ算段だったのだが、吹き飛ぶどころか手離しもしないので速攻で作戦を変更することにした。
「この……ガキがッ!!」
「残念でしたガキじゃないですぅ~!もう成人してますぅ~!」
「黙れ!」
振り下ろされたぼっこをぴょんっと回避して小銃を構える。何を隠そう私は身軽さが最大の売りなので回避に関しては射撃の次に自信があった。幸いなことにさきほど岩へと置いた洋灯はまだ光を放っていたので男の位置は丸わかりだ。明かりがあればこちらのもの、と慣れた手つきでボルトを操作した私だが、その感触に違和感を感じて手を止めた。
「……あれ?」
「残念なのはお前だ。その銃に入っていた弾なら先刻頂戴しておいた」
「は……?え?ちょっ……女湯に入ったの!?このヘンタイッ!!」
「だ、脱衣所に入っただけだ!」
「脱衣所だって女湯の一部でしょッ!うわ~ないわ~さすがの私もちょっと引くわ~」
「う、うるさい!騒ぐんじゃねえッ!」
男が狼狽えている隙をついて、私はぼっこを薙ぎ払った。今度は上手くいった。岩にぶつかってカンっと大きな音を立てたそれを男が拾う前に反対方向へ走り出す。もうこの際洋灯は諦めよう。命の方が大事ッ!無我夢中だったので気付かなかったがよく見たらもう朝がそこまで来ている。走ってきた方向を確認したが男は追ってきていないようだったのでほっとして辺りを見回すと、まだ薄暗いもののぼんやりと輪郭が浮き出た森の中で私は今度こそ会いたかった人を見つけることができた。
「尾形上等兵殿」
「……か」
小声でそう言って近づくと、予想通りというかなんというか、一糸まとわぬ姿にも関わらずその手には愛銃を握る尾形上等兵が私の姿を認めて少し目を細めた。こんな暗い森の中で誰でもない、尾形上等兵に出くわすなんてやっぱり運命の赤い糸的なやつを信じてしまうではないか。こんな状況だが嬉しくなり笑顔を隠しきれない私に尾形上等兵が「お前は何発持っている?」と尋ねた。それは今一番聞きたくない台詞である。
「……あの、怒らないで聞いてほしいのですが」
「内容次第だな」
「…………」
「冗談だ。努力はするから言ってみろ」
「………………盗賊たちが女湯に入ってきたみたいで、銃弾、全部取られちゃいました」
「…………そうか」
「え、それだけ?」
「仕方ないだろ。まさか盗賊どもが女湯にまで侵入するとは誰も思わねえよ。それより、お前どっちから来た?」
「えーっと……あっち、かな?いや……こっちかも……アレ?」
「……役に立たねぇな」
「やっぱ怒ってらっしゃるじゃないですかーーーーーッ!!」
「静かにしろ。いいから囚人どもを探すぞ」
こくりと頷いてみせると、尾形上等兵は「はぐれるなよ」と付け足した。そんなしょっちゅう迷子になっているわけじゃないのに……と不服そうな顔をしたら、尾形上等兵が笑ったような気がして目を丸くする。
「なんだよ」
「今……いや、暗いから見間違いです、たぶん」
「相変わらず変なやつだな」
「尾形上等兵殿はまさかご自分が変じゃないと思ってらっしゃるのですか?」
「少なくともてめえよりはまともなつもりだが」
「じゃああとで谷垣に聞いてみましょうよ」と言おうとして口を開いたら、尾形上等兵が何かを見つけたらしく左手で私を制した。隠れろ、と手で指示を出されたので尾形上等兵に並んで茂みの中に隠れる。彼の視線の先を追うと、黎明の空の下、あの変なぼっこを持った男と、耳のあたりに何かを装着した男の姿がはっきりと見えた。その男の一人に尾形上等兵が銃弾を撃ち込む。
「もう一人が逃げたな。追うぞ」
「はい」
いつかと同じように、私は少し先を行く尾形上等兵の背中を追う。まるで陸軍に居た頃に戻ったみたいですね、なんて言ったら尾形上等兵は怒るだろうか?