アシリパさんの親戚のおうちだという、塘路湖近くのコタンに泊まらせてもらったところで、その親戚のおじさんから入れ墨の囚人の情報を仕入れることができた。このあたりに度々現れる盗賊だというのだが、全員が盲目らしい。光のない世界なんて私には想像もつかない。そんな暗闇で自由に動き回れるというのはたしかに厄介である。しかし失明した原因が硫黄山での強制労働だと聞くと、偽善とわかってはいても同情せずにはいられなかった。
そこから私たちがどこに向かったかというと屈斜路湖であるが、泊まらせてもらったのはまたしてもアシリパさんの親戚のおうちだった。アシリパさん親戚多すぎじゃね……?内心困惑したがこうして寝床を貸してもらえるのは非常に有難いことだ。きっとこれまでの道中でもみんなお世話になってきたんだろうなと想像がついた。
「ところで尾形上等兵殿、実は大変なことがありまして」
「どうせろくでもないことだろ」
「決めつけよくない!ちゃんと聞いてくださいって!もう弾がないんですよ!!これ大変じゃないですか?」
「…………やっぱりろくでもなかったな」
「言い訳をさせて頂きますとですね、私、所持金0なんですよ」
「お前、よくそんな装備でここまで来れたな。そこだけは褒めてやるよ」
「仕方ないじゃないですかぁ……着の身着のまま飛び出してきたんだから」
「で、俺にどうしてほしいって?」
「銃弾を1セット……いや1発でもいいので恵んでください!」
綺麗に土下座した私だが尾形上等兵は無言だった。……居るよね?顔を上げて誰もいなかったらどうしようと不安になり動こうとしたところで「後で返せよ」という小さな声とともに挿弾子で留められた三十年式実包が放り投げられる。なんだかんだで助けてくれる尾形上等兵が私はやっぱり大好きだ。感激のあまり尾形上等兵殿に抱き着こうとしたけど、おでこあたりを押さえつけられてしまい、私の腕は届かなかった。
「だいたい、何の準備もせずに脱走してくるなんて愚の骨頂だろうが」
「チャンスは忘れたころにやってくるって言うじゃないですか」
「言わねえよ」
私が尾形上等兵に論破されていたところにアシリパさんと杉元さんが大きな鳥を引っ提げて帰還した。
「おいアシリパ!このカムイ、目を撃たれてるじゃないかッ!知らねえぞコレ!」
「あの男が撃っちゃった」
その大きな鳥はコタンコロカムイ……シマフクロウだ。フクロウって食べれるんだなあなんて思っているうちにアシリパさんが解体して内蔵を取り出した。心臓はそのまま食べるという。……心臓なんて食べたことない。そのほかの器官やら何やらはチタタプとやらにするらしい。谷垣は暫くの間アシリパさんのおばあちゃんの元に居たというけれど、その谷垣もチタタプをしたことがないようだった。
「チタタプってなんですか?」
「肉を刃物で叩いて細かくするんだ。もやってみろ」
「……チタタプ、チタタプ……これで合ってますか?」
「合ってる合ってる」
「……尾形上等兵殿もやりましたか?」
「やったけど……こいつはチタタプ言ってなかったからなあ」
「でしょうね」
そのあとできあがったチタタプをアシリパさんが尾形上等兵にあーんしているのを見て手巾を噛み締めたのは言うまでもない……が、アシリパさんには敵う気がしないので何も口出しできなかった。
シマフクロウが吃驚するほど大きな声で鳴きだしたのは、アシリパさんの親戚のおじさんが盲目の盗賊たちと戦う覚悟だと語った時である。吃驚しすぎて隣にいた谷垣にしがみついたらチカパシくんが「、怖いの?」とキョトン顔で問いかけてきたので「べ、べつにフクロウなんて怖くないよ!?」と震え声で言い返した。
「奴らは用心深い。昼間は姿を現さない。集団で村ごと襲う時は必ず月の出ない新月に襲ってくる」
「新月までこの村で待ちぶせる必要はないだろう」
「確かに。奴らの寝床を見つけた方が手っ取り早い。昼間に奇襲をかけりゃ、すぐにカタがつく」
「この近くに和人が経営する温泉旅館がある。なにか聞けるかもな」
「温泉!?」
温泉なんて戦争から帰還したあとに一度湯治しに行ったきりでここ暫く行っていないものだから、つい反応してしまう。日本人なら温泉でしょ!なんて当たり前のように思っていたのに反応したのは私だけだった。いや、皆内心喜んでいるのか?顎に手を当てて観察してみたが謎は解けなかった。とりあえず、動くのは明日ということになり、私はほっと胸をなでおろすのだった。
翌日、到着した目的の温泉は結構大きな旅館で私の期待はうなぎのぼりである。部屋も広い。
「楽しみですね、尾形上等兵殿」
「遊びに来たわけじゃねえんだぞ」
「わかってますって!でも温泉なんて滅多に入れないし」
「兵営の風呂も狭い温泉みたいなもんだろ?」
「……流石に、それは……同意しかねます」
「おい尾形、ちゃん困らせんなよ」
「てめえには関係ないだろ」
温泉と聞いてウキウキワクワクだったのに、尾形上等兵と杉元さんの雰囲気が最悪すぎてテンションがた落ちである。アシリパさんに「この二人、ずっとこんな感じだったの?」と耳打ちしたら静かに頷かれてしまった。でも戦闘になると結構相性は良いらしい。なんだそれ。実際に杉元さんと会うまで抱いていた凶悪な印象はもうなくなっていたが、やっぱりなんかちょっと怖いと思ってしまう。まあ、それは尾形上等兵も同じなのだけど。杉元さんも、わざわざ絡まなければいいのに……なんてちょっと呆れながら仲裁に入ると二人同時にぎろりと睨まれて怯んでしまった。私だと気づいてはっとなった杉元さんが「ごめんね」と言ってくれたのでやっぱり悪い人ではないんだなあと実感する。
「まあまあお二人ともその辺にしてくださいよ……折角温泉に来たんですから。ほら、按摩とかどうですか?」
「あんまか……いいかも」
「というわけで私も早速温泉入ってきます!」
「待て。こんな早くから温泉なんか入ってどうするんだ」
「寝るまでに何回か入るつもりなので大丈夫です!」
「……何が大丈夫なのか具体的に言ってみろ」
「そんなに温泉が好きなのかい?」
「それもありますけど……尾形上等兵と同じお部屋に泊まれるなんてもう嬉しすぎて落ち着かな……あ、なんか鼻血でそう」
「おい、部屋割り考えたやつ誰だよ。今すぐ変えろ」
尾形上等兵が文句を言っていたが、まあ、変えられても枕持って乗り込みますけどね!へへん!と心の中で笑って颯爽とお風呂場に向かう。ルンルンと鼻歌まじりの私を尾形上等兵が呼び止めたので、一緒に入りたくなったのかな?と思って振り向くと一言「銃を手放すなよ」とだけくぎを刺された。了解しました!と敬礼した私だがさすがに風呂場に持ち込むのはなあと、悩んだ末に脱衣所に立てかけることにした。
「さん!今すぐ上がってください!」
4度目の入浴中、めちゃくちゃ慌てた様子のインカラマッさんが私を呼びに来た。事態が飲み込めないまま適当に着替えを済ませたが、要するに私たちは今、あの盲目の盗賊に囲まれているかもしれないということだった。時折どこからか微かに聞こえていたカンカンという下駄の鳴るような音は、盲目の囚人が舌を鳴らす音だったらしい。え、何それ怖い。私も入浴中ずっと監視されていたのだろうか……と思わず自身の体をぎゅっと抱きしめたが、すぐにそういえば目が見えないんだったと思い至った。
「尾形上等兵たちは……」
「みなさんで入浴中です。アシリパちゃんが様子を見に行ってます」
「インカラマッ!は無事だったか、よかった」
「みなさんは……」
「誰もいなかった。明かりもすべてやられていたから……襲われたみたいだ」
「え、うそでしょ」
まさかとは思うけれど、まさかそれって素っ裸?とか言える雰囲気ではなかったので黙っていると、手分けしてみんなを探して合流しようということになった。もし一人だけで盗賊に出くわしたら、対処できるだろうかと不安が過ぎり、背中に背負った小銃の肩ひもをきゅっと握る。しかもこんな暗闇で……お、おばけとか出ないよね?なんてドキドキしながら二人と別れ、私は頼りない明かりを発する洋灯を片手に真っ暗な森へ足を踏み入れた。