朱仄へ7

「あたまいたい……」
「飲みすぎたのが悪いんだろ」
「だからやめておけと言ったのに」
「えぇ……?そんなこと言ってた……?」

 昨日飲んだお酒が美味しかったものだからついもう一杯、もう一杯と飲みすぎてしまった私は翌日の朝酷い頭痛と戦う羽目になった。頭を抱えて蹲っていたらキラウシさんがお茶を出してくれた。二日酔いに効くらしいのだけど……うん、ものすごく苦い。これ本当に人間が飲んでいいものなの?強烈な渋みに顔を歪めながら、それでもこの辛い二日酔いが治るならと残りの液体を一気飲みした。早く治すならもう一杯くらい飲んでおいたほうがいいだろうか。消える気配のない口内の苦味渋味を我慢しつつ「おかわりあります?」と湯のみを差し出したらこいつまだ飲むのかよ的な顔をされた。いやいや、これはお酒じゃないから大丈夫ですって!

「お前な……少しは懲りろよ」
「谷垣だっていっぱい飲んでたじゃん!なんで平気なの?」
が酒弱いだけだ」

 なんか悔しい……。あれか、谷垣は図体が大きいからその分お酒も強いのか。それなら納得だ。二杯目のお茶をなるべく舌に触れないようにしながらぐいっと飲み干し、出発の準備に取り掛かる。病は気からとはよくいったものだが、キラウシさんにもらったお茶を飲んだ途端に少しだけ気分が良くなった気がした。

「銃身に水が入った状態で状態で撃つとはな……軍隊で何を教わってきたのか」
「尾形上等兵殿!自分はちゃんと踏みとどまりました!」
「……お前が杉元と同じ馬鹿やらかしてたらその銃は没収だ」
「何で私だけ……」
「その最新式の小銃、俺が気球乗る時に第七師団から奪い取ったやつじゃん。返せよ」
「これは三八式歩兵銃だ」

 三八式歩兵銃は、今私が使っている三十年式のあとに開発された最新式だ。一部で実験的に採用されているというのは聞いていたけど実物を観たのは初めてだった。見たところ、三十年式とあまり違いはなさそうだが。尾形上等兵の解説によると三八式実包は尖頭弾が採用されていて、2,400メートル先まで弾が届くようになったらしい。

「だから何だよ!」
「お前が使っても豚に真珠ってことだ」

 尾形上等兵って、どうしてそう積極的に人を煽っていくのだろう。猫に小判ではなく、豚に真珠を選ぶところが彼らしい。図星なのかどうかわからないが、杉元さんは特に言い返すこともなくただただ尾形上等兵を睨みつけていた。

「尾形上等兵殿、それ、私にもちょっと貸してください」
「……壊すなよ」

 手に取ってみても、やはり自分の使っている三十年式と大きな違いは見受けられない。ボルトの形が若干変わっているくらいだろうかと上から見たり横から見たりしていたら、尾形上等兵がその違いを教えてくれた。

「見た目はほとんど変わらん。遊底被いが付いたことくらいだ。あとは機関部の構造が簡素化されたようだな」

 どうして最新式の銃に詳しいのだろう。流石は好事家……いや職業病なのか、これは。うん、でも、銃のことになると饒舌になるあたり、本当に好きなのだろう。なんだか無性に嬉しくなってにこにこしながら三八式を観察していたら冷たく「ちゃんと返せよ」とくぎを刺された。いやそれ、そもそも杉元さんのだったんじゃ……。結局三八式歩兵銃は杉元さんに返却されないまま、出発することになった。

「谷垣はこれからどうするんだ?」
「秋田に帰るの?」
「いや……アシリパを無事にフチの許へ帰す。それが俺の役目だ」
「出発前に食べていけ。昨日お前らに食べさせるのを忘れてた。ヒグマの肉で作ったカムイオハウだ」

 美味しそうなおつゆを出され、手を伸ばしかけた私を杉元さんが遮った。

「悪いが急いでる!!世話になったぜキラウシ!!達者でな!!」
「えっ……食べないんですか……?」

 信じられないと目で訴えたら、谷垣が「少し空気を読め」と呟いた。そんな大急ぎしなくても……と思いながら、不満そうにきゅるきゅると鳴くお腹を抑える。二日酔いが治ったと思ったら今度はお腹がすいてきた。釧路の街で白石さんたちと合流したら何か食べられるだろうかと期待していたのも虚しく、私たちはそのまま海岸へと直行した。アシリパさんの親戚のいるコタンがあるらしい。アシリパさんたちは海亀漁を手伝うために船へと乗り込んでいった。


「はい」
「お前もそっちを見張っていろ」
「尾形上等兵殿」
「なんだ」
「自分が双眼鏡を持っているように見えますか?」
「チッ……」

 手当を受けた病院からそのまま飛び出してきたのだ。双眼鏡どころか、小銃や弾丸以外の装備など殆ど持っていない。それを示すように両手を振ったら、わざとらしく舌打ちされた。

「そのひらひらした着物、なんとかならんのか」
「お気に召しませんでしたか?谷垣はちゃんと可愛いって言ってくれましたけど」
「そういう問題じゃねえよ。そんな服装で戦えるのか?」
「……尾形上等兵殿は、何と戦っているのですか?」
「本当に何も知らないらしいな」
「まあ、尾形上等兵殿が何と戦っているのかは正直あんまり興味ないんですけど」
「……」
「私は、尾形上等兵が生きていればそれでいいです。……ので、」
「尾形!!クンネ・エチンケが獲れたぞ!こっちにきて手伝えっ!!」
「……クンネ・エチンケってなんですか?」

 話が途中になってしまったけど、アシリパさんがちぎれそうなほど手を振っていたので小走りで向かう。アシリパさんと大叔母さんの手際が良すぎて結局私は周りをうろうろするだけだったのだけど、そうしていたら白石さんが「飴ちゃんいる?」と言って小さな飴を差し出してきた。

「ありがとうございます」
「軍人ってむさ苦しい野郎ばっかりだと思ってたのに、こんな可愛い子がいるなんて驚きだね」
「か、かわ……」
「お世辞だぞ、
「お世辞でも言われないよりマシですけどね」
「尾形ちゃん、もしかして妬いてる?」
「それはないと思いますけど」

 誰よりも早く真顔で否定したら杉元さんが「自分で言うなよ……」と言って憐れむような視線を向けてきたけど、私は知っているのだ。本人に否定されるほうが何倍も何百倍も辛いことを。