「酒飲んで仲直りしようぜシサムの旦那たち!!」
カムイホプニレという儀式で、昼間のヒグマが神の世界へと送られる。谷垣を疑ったお詫びもかねているらしく、ご馳走とお酒で盛大なおもてなしを受けた。トノトと呼ばれる白濁したお酒は普段お酒を飲まない私でも飲みやすいものだった。
「疑って悪かった。もっと飲んでくれ、子熊ちゃん」
「谷垣は子熊ちゃんてサイズじゃないよね。あっ、自分にもおかわりください!」
「お前……そんなに飲んで大丈夫なのか?」
「うん!このお酒飲みやすいから平気平気」
「あんたいける口なのか、よしもっと飲め!」
「いただきます!!」
キラウシさんというアイヌのお兄さんが私の持っていた器になみなみとトノトを注いだ。この人も相当酔っているのか、入れすぎて表面張力が働いていた。零さないように、そーっと、そーっと口を付ける。……流石に多すぎないかこれ。
「え?ヘビ触ったの?怖かった?」
「うん。臭くないか?いっぱい洗ったけど」
念入りに洗っていたのは蛇を触ったせいだったのか。まだ不安なのか杉元さんに臭いを確認しているアシリパさんを横目で見ていたら私にも手を差し出してきた。
「臭くないですよ」
「本当に?」
それでも信じられないらしく、尾形上等兵にも臭いを確認させる。尾形上等兵は大人しく掌の臭いをかいでいた。
「尾形おまえ、誰も傷つけずに谷垣を逃がしたそうだな。杉元はすごく疑ってたし私もちょっと不安だったけど、見直したぞ」
「谷垣源次郎は、戦友だからな」
「尾形上等兵殿!!私は?私も戦友ですよね?」
「……」
「なんとか言えよ尾形」
「あ~、その嫌そうな顔、尾形上等兵殿って感じですね」
「嬉しそうだな、」
「はい!私もう、尾形上等兵がいなくなって寂しくて寂しくて」
「……気持ちの悪いこと言ってんじゃねえ」
だって私は第七師団に来てからずっと尾形上等兵と一緒だったんですから、当然じゃないですか?とばかりに眉間に皺を寄せる尾形上等兵をにこにこと見つめた。本当に会えたんだなあと、しみじみ実感する。
「アシリパ。お前に大事な話が……いや……、手のニオイはいいんだ……。もっと大事な話だ。俺はフチのことを伝えに小樽から追ってきた」
それは私も道中で聞いた、アシリパさんのおばあちゃん、フチが占いを信じてしまって、アシリパさんと二度と会えなくなる夢を見てしまったという話だ。「たかが夢だろ?手紙でも送っておけよ」と言う尾形上等兵は淡泊なようだけど、抜かりなくフチへのフォローを入れているあたり流石おばあちゃん子を公言するだけはある。アイヌでは「夢」がとても強い意味を持つのだと、アシリパさんが言った。彼女は夢占いを信じていないらしいけど、おばあちゃんにとってはたかが夢と軽視できるものではないのだ。
「アシリパさん……一度帰ろうか?一度顔を見せりゃ「孫娘とは二度と会えない」ってフチが見た予言は無効だろ?元気になるさ。我慢しなくっていいんだよ?」
「子供扱いするな杉元!!私にはどうしても知りたいことがある。知るべきことを知って、自分の未来の為に前に進むんだ!!」
目から鱗が落ちるような、目の前がぱっと明るくなったような、そんな気がした。私には私の知らない記憶がある。兄が屯田兵になる直前、父が死んだ。その前後の記憶があやふやで思い出せないのだ。兄は「思い出さなくていい」と言った。だから私もそれでいいと思っていた。……このときまでは。目の前にいる綺麗な瞳をした少女は辛い現実から目を背けず立ち向かおうとしている。私も変われるだろうか。尾形上等兵のように、谷垣のように。みんなが寝静まるなか、ふわふわとした心地よい感覚と高揚感で眠れずにただ天井の一点を見つめていた。自分のことが知りたいと言っても家はもうないし、なにより、あの時その場にいたのは私と兄と父だけだ。家が燃えて、兄に支えられ呆然としていたところに漸く消防や警察が駆けつけて――――
「眠れないのか」
その一言で、私の意識が急激に現実へと引き戻される。すぐ隣には銃を抱えて目を閉じる尾形上等兵が横たわっていた。
「……目を閉じてるのに、よくわかりましたね」
「唸り声が漏れていたぞ」
「まじですか」
「考え事ならもっと静かにしろ」
「あー……、ハイ、努力はします」
「……」
「尾形上等兵殿」
「……なんだ」
「私、兄がいたんですけど」
「なんの話だ」
「その兄がすっごい過保護でですね、あ、ちなみに自分が第七師団に異動する前に死んだんですけど、女の子が銃なんか持つなって、もう煩くて煩くて」
「そりゃ、天国で頭抱えてるだろうな」
「でも私、陸軍に入ったことは後悔してないですよ。尾形上等兵殿にも会えたし。私、射撃うまくなりましたよね?」
「…………最初に比べれば、な」
「尾形上等兵殿、私に射撃を教えてくれてありがとうございました」
「…………今更何だよ」
「うーん、なんでしょう。また尾形上等兵が私の隙をついていなくなったら言う機会なくなっちゃうかもと思って」
「……俺が居なくなってもどうせまた、つきまとってくるんだろう?」
つきまとうとは心外なことだが、よくわかってらっしゃる。鶴見中尉のところにはもう戻れないし、兵村にも戻れない。行くところがないというのはつまり、どこにでも行けるということなのだ。こうなったらとことんこの人に着いて行ってやる。その前に自分の記憶に蹴りをつけるべきなのか……尾形上等兵の声を聞いていたら、眠くなってきたのか思考がまとまらない。微睡む私の耳には多分尾形上等兵のものであろう小さな舌打ちが聞こえた。