「尾形上等兵がいない」
用を足すときと鶴見中尉の元に居る以外はだいたいつきまとっていた尾形上等兵が今日は見つからず私は立ちつくしていた。誰に言うでもなくぽつりと呟いた独り言が空虚に吸い込まれたことでどうしようもなく一人であることに気付き辺りを見回すが兵舎の2階、昼下がりの廊下には私が一人で仁王立ちしているだけで誰の気配もない。これでは聞き込み調査もできないではないかと
私は急いで人の居そうなところへ移動する。日頃から煙たがられていた自覚はあったがついに愛想を尽かされたのだろうか?兵舎中を隈なく探し二周も三周もしたのに見つからないなんて異常事態だ。まさか私を撒くために一日中厠に立てこもるとは考えにくいし今日は外出しているのだろうかとも思ったが自分がその予定を把握してないとは一生の不覚である。
自分の不甲斐なさを嘆きながらも名誉挽回のため絶対に探し出してみせると拳を握りしめていたところに二階堂ズが現れ私は身構える。
「どうした、腹でも痛いのか?」
「拾い食いでもしたんじゃないのか?」
「……聞いても無駄だとは思うけど、尾形上等兵がどこにいるか知らない?」
「さあ?」
「今日は見てないよなあ?」
相変わらずどっちがどっちかわからない双子たちは台本でも読んでるみたいに息がぴったりでキツネにでも化かされている気分になってくる。にやにや顔で私を見下ろす浩平か洋平が放った「お前は本当に尾形が好きだな」という台詞に少なからず馬鹿にしたみたいな意味合いが含まれているように思えてならないのはきっとこの双子の普段の素行の悪さが原因だろう。毎日のように私に対して悪戯を仕掛けてくるのには辟易するが、その悪戯が上官に怒られないぎりぎりのところを低空飛行してくるものだから激怒するほどでもないというのがこれまた厄介なことで私は自身の中にある不満の目盛が日々上昇していくのを実感していた。いつ爆発するか自分でもわからないその不発弾がもし急に暴発したとしても私は絶対悪くない。普段怒らない奴が怒ると超怖いんだぞと目で訴えてみても浩平も洋平も顔色一つ変えなかったので改めて自分の迫力のなさに一人でがっかりしてしまった。ちんちくりんの童顔女ではそんなもの捻り出そうにも捻り出すものがないらしい。一体何と戦っているのか自分でもわからなくなっていた私を双子が不思議そうに眺めている。ちなみに私はこの双子の名前当てゲームには一度も勝ったことがない。時たま唐突に「どっちが俺だと思う?」という双子にしかできない二階堂ジョークをぶちかましてくるのでまずお前はどっちなんだよとつっこみながらもいつか当ててやるという密かな野望のもとそのゲームに挑戦するのだが多分当たってても外れと言われてると思う。しかしそれが本当に外れなのかも私にはわからないから結局このゲームに勝てる日は来ないのだ。
「たまには俺たちと遊べよ、なあ浩平」
「そうだぞ、訓練でもするか?」
「……訓練は遊びじゃないし、君たちの訓練は本気で命が危ないからやだ」
訓練でも手を抜かないと言えば聞こえはいいかもしれないけどそれにかこつけて悪ふざけを仕掛けられる身にもなってみろ。「戦場ではなんでもありだぞ」なんて言いながら双子であることを最大限生かした挟み撃ちするのはやめてほしい。以前それで脳震盪を起こした記憶が蘇り私は頭を抱えながらひらひらと手を振ってその場を離れる。私の背に向かって双子たちはまだ何か言っていたがこっちはそれどころじゃないんだ。尾形上等兵尾形上等兵尾形上等兵尾形上等兵尾形上等兵尾形上等兵尾形上等兵尾形上等兵尾形上等兵尾形上等兵と心の中で呪文を唱えながら捜索を再開した。無くし物って、唱えながら探すといいっていうよね。
兵営の入口まで戻った私が四周目の尾形上等兵捜索をしようとしたところで月島軍曹が歩いてきた。書類を片手にぶつぶつと独り言を呟いている。相変わらず真面目な方だ。二階堂兄弟にはこの人の爪の垢を煎じて飲ませたいと常日頃から思っているけど流石の私でも「貴方の爪の垢ください」なんておねだりを堂々とする勇気はなかった。忙しそうな月島軍曹の邪魔をするつもりなど微塵もない私は廊下の端に避けて敬礼の姿勢で彼が通り過ぎるのを待つ。私でもその辺の空気は読むのだ。
「……か」
月島軍曹は私の姿を確認すると立ち止り、辺りを見回した。一体何が見えていたのだろうかと少しだけ背筋が寒くなったが、すぐさま「今日は一人なのか?」と尋ねられたことで杞憂に終わる。
「朝から尾形上等兵を探しているのですが、見つからなくて……」
「相変わらずだな……尾形なら俺も見ていないぞ」
「……そうですか……」
目に見えてしょぼんと肩を落とす私に「力になれなくてすまない」と声をかけた軍曹はまた書類に目を通しながら立ち去った。まったく、尾形上等兵は一体どこに隠れているんだ。割と理不尽な怒りを尾形上等兵に向けつつ今度は洗面所方面を目指す。丁度厠から人が出てきたと思ったら、谷垣だった。女の私から見るとヒグマのように大きな男だが、生真面目で誠実な人柄はこの第七師団の癒し枠といってもいいと思う。あと意外と天然だ。
「谷垣、尾形上等兵見なかった?」
「いや、見てないな……」
「そっか……」
「前から気になっていたんだが、何でそんなに尾形上等兵に拘っているんだ?」
「恋だよ、谷垣くん」
したり顔で恥ずかしい台詞を言う私を元マタギの青年はぽかんと見つめた。いや、これは呆れているのかもしれない。どっちだろう。まあこれは冗談ではなく私は尾形上等兵に叶わぬ恋をしているのだけど多分尾形上等兵は私のような鬱陶しい女は嫌いだろうなという気はしている。勿論それがわかっていて付きまとい行為を繰り返すのにもちゃんと私なりの理由があるのだが。
「と、いうわけでマタギの谷垣一等卒、尾形上等兵見かけたらすぐ報告してくれ給え!」
谷垣の肩を叩いてかっこよく去ろうとしたけど全然届かなかったのでおしりをぽんぽんと触っておいた。悔しい。
そのあとも兵舎を練り歩き、色々な人とすれ違ったけど尾形上等兵は一向に見つからず、目撃者もいない。気が付けばもう日が暮れる時間だ。
「はあ、こんなに見つからないの初めてかも」
「おい、!」
「ど、どうしたの谷垣怖い顔して……もしかして、金平糖のこと?」
「金平糖……?あれはお前の仕業か!?……いや、今はそんなことどうでもいい、来い!」
すごい剣幕でこちらに走ってくるものだから、谷垣の金平糖を一日一粒ずつ拝借してたのばれたかと早とちりして墓穴を掘ってしまった。私の重大告白がどうでもいいの一言ですまされてしまったが、どうやらもっと重大な事が起こったらしい。余程焦っているのか、私の腕を痛いほどの強さで掴んでくる。
「尾形上等兵が見つかった」
「……『見つかった』?」