「ちゃん……だっけ?君もそれ撃つの?」
「もちろんです」
「何でまた女の子が陸軍なんかに……」
「まあ、色々ありまして。それよりも、おふたりとも小樽から尾形上等兵と一緒なんですか?」
「尾形とは夕張から一緒に行動している」
「……ゆうばり、」
江渡貝邸の中には杉元一味がいるらしいというのは、作戦実行前から聞かされていた。夕張から尾形上等兵が杉元一味に加わったのだとしたら、あの狙撃手は尾形上等兵だった可能性が高い。私が殺そうとしていたのは……尾形上等兵だったのか?こめかみからじわりと、嫌な汗が流れた。
「……どうしたの?」
「いえ、私が谷垣と再会したのも夕張だったから」
「そうなんだ」
「谷垣や尾形とは親しいのか?」
「谷垣はほぼ同期なのでよくつるんでました。尾形上等兵は…………なんだろう?よく、わからないです」
「わからない……って……」
思えば随分長い間一緒に居たけれど、未だにあの人が何を考えていて、私のことをどう思っているのかもわからないままだった。……嘘だ。私が一方的に慕っているだけで親しいわけではない。尾形上等兵はあくまでも、私を出来の悪い一等卒としか思っていない。そうだとしても絶対口になんかだしてやるもんか。
「……尾形上等兵は、どんな感じでしたか?」
「どんな感じって?」
「私は、第七師団の尾形上等兵しか知らないので……」
「……多分だけど、君が知っている尾形と同じなんじゃないかな?」
「それはそれでなんか残念です」
「ええ……?」
「欲を言えば、陸軍という鎖から解き放たれた尾形所等兵殿が開放感でキャラ変わっちゃったとかそういうのがほしかったですね」
「……俺の聞き間違いじゃなければさっき、尾形一筋とか言ってた気がするんだけど」
「言いましたね」
「今のところそうは見えないんだけど……」
「む……私の愛が足りないと仰いますか」
「いや知らないけど……」
「は変わった奴だな」
「方向性は違うけどアシリパさんも十分変わってるよ?」
尾形上等兵に聞かれたらまた怒られそうな会話をしながら探したけれど、一日目は何の収穫も得られなかった。日が暮れたところで本日の捜索は中断してごはんの時間になった。アシリパさんがテキパキと手際よく汁物を作るのを私は穴が開くほどじっと観察する。これが、尾形上等兵の胃袋を掴んだ腕前か……。
「アイヌ料理がそんなに珍しいか?」
「いえ、まあ、そう……でもありますけど。あの、脳みそは入れないのですか?」
尾形上等兵の好物は何の脳みそなのか、私は今後のために知っておく必要がある。今日の夕食には脳みそはなかったがアシリパさん家では定番の食材なのだろうか?しかし彼女の答えを聞く前に、杉元さんが不安そうな顔で私に話しかけてきた。
「まさかとは思うけど……ちゃん、脳みそ好きなの?」
「いや、自分は食べたことないですけど」
「じゃあ何で……」
「尾形上等兵の好物なんですよね?」
「絶対違う」
「えぇっ!?」
なんだか混乱してきて頭を抱えた。好物でないならどうしてあの時杉元さんは交渉材料に脳みそを持ちだしたのだろう。でも餌付けされているのは間違いない気がする。だってアシリパさんの作ったおつゆ美味しいし。アイヌではオハウというらしいその汁物は薄味で、最初は物足りなさを感じるけれど味わううちに素材のうま味がじわじわ染み出てくる。杉元さんがそのオハウを食べて「ヒンナ」と言った。アイヌの言葉でいう美味しいという意味かと思ったら、食事に感謝する言葉だとアシリパさんが解説してくれた。「美味しい」とは少し意味合いが違うらしい。「いただきます」の方が近いのだろうか?アイヌの言葉って奥深いんだな。
「明日はどの辺を探そうか?」
「闇雲に探しても見つからなそうだな……」
「そもそも姉畑さんはなにが目的なんですかね?」
「……」
「ウコチャヌプコロだ」
「う、うこちゃ……?」
杉元さんに助けを求めたけど気まずそうに目を逸らされた。そんなに言いにくいことなんですか?そしてアシリパさんもうこなんとかの解説はしてくれなかった。
「カムイはカムイ、人間は人間とウコチャヌプコロしなきゃいけないんだ」
結局うこちゃ……はなんという意味だったのだろう。話の流れ的に結婚のことなのかなと考えていたら、近くの繁みがガサガサと揺れる音がした。吃驚して思わず銃を握りしめる。
「何かいるのかな?」
「ななな、ななにかって……?ゆ、ゆ、幽霊ですか?」
「幽霊?苦手なの?」
「いえ?全然得意ですけど!」
「……何か、野生の動物だと思うよ。ヒグマじゃなきゃいいが……」
「なんだ、ヒグマか……」
「ヒグマの方がやばくないかい?」
「幽霊には物理攻撃きかないじゃないですか」
「そ、そうだね……」
音はその一度だけだったので、多少の不安はありつつ眠りについた。アシリパさんはうこちゃぬぷころに魘されていた。明日は姉畑さんが見つかるだろうか。いや、早く見つけないと谷垣の命が危ない。尾形上等兵は……まあ、大丈夫だろうけど、果たして谷垣をかばってくれるだろうか?私が知っている尾形上等兵は非情な人ではない。けれどまだ谷垣のことを疑っているようだからそれがどう影響するか想像がつかなかった。次の日は顔に当たる雨で目を覚ました。捜索には不都合な雨は止みそうにない。蕗の葉を傘にして朝から歩き回ったけれど、収穫はなかった。やっぱり、人ひとりを探すのにこの湿原は広すぎる。日が暮れるころ、漸く雨が止みそうになった。
「私……もう少しだけ探してみます」
「だめだ、直ぐに暗くなる。夜に歩き回るのは危険だ」
「……でも、」
「ちゃん、もう一日ある。明日は見つかるよ」
「…………」
助けられなかった命なんて山ほどある。あのときこうしていれば、助けられただろうか?もっと自分が粘っていれば、助かったはずなのに。もしも、今日私がもう少しだけ姉畑さんを探して見つかるとしたら?時間は今日と明日しかないのだ。まだ納得がいかなくて二人を見たけれど、許しは出なかった。
「明日早起きして探そう」
言い聞かせるようにそう言って、杉元さんが私の頭をぽんぽんと優しく叩いた。まるであやされているみたいだ。頑固な私に兄がよくそうしてくれていたのを思い出す。泣きそうなのを悟られたくなくて、素直にこくりと頷いた。