「さんが探している尾形上等兵という方は、どんな方なんですか?」
インカラマッさんの質問はかなり難題だ。一言で言えば猫みたいだと思う。何を考えているのかわからなくて、気まぐれで狩りが得意。すっっごくわかりづらいけれど優しさもあって、そして言い表せないような色気を持っている。鶴見中尉とは違うそれは、何と表現すればいいのか語彙力のない私にはわからなかった。答えに迷い、うーんうーんと唸っていると、インカラマッさんはふっと笑って「そんなに愛されているなんて幸せですね」と言った。けれど、尾形上等兵の幸せってなんだろう?誰かに愛されること?自分を認めてもらうこと?自由気ままに狩りをすること?どれもしっくりこなくて、その未来に自分がいるとは到底思えなくて、私はいつもその答えが出せないままでいた。十勝の人舞村を訪れた私たちは郵便局で電報を受け取った。アイヌの集落で世話になったフチに恩返しがしたいというのが谷垣の目的のようだが、そのフチが死装束を作っているという穏やかではない知らせに谷垣だけでなく自分も表情を曇らせた。
「どうしてあんなことを言ったんだ……ッ」
「私は占いで出たことを伝えたまでです。アシリパさんのまわりに裏切者がいます」
インカラマッさんの占いによるとアシリパという少女の同行者に裏切者がいるという。谷垣はその占いを信じてしまったフチのもとへアシリパちゃんを連れて帰るのだと言った。自分自身は占いを信じてはいないがそれを否定するわけではない。迷いのある人間にとっての道しるべになるのなら、占いは悪いことではないと思っていた。今回はその占いがよろしくない結果……警告になっただけの話だ。
「必ず無事にアシリパを連れて帰って、フチを元気にさせる。俺もフチに食べさせてもらった。俺もフチの子供だ!」
「いやいや……谷垣ニシパはヒモだよ~」
「ヒモですね」
「谷垣お前……」
「お、おい、まで……」
第七師団所属時代からどこか抜けているところがあったあの谷垣がどこでどんな生活をしていたのかと思ったら、年上のお姉さまに養ってもらっていたとは。全員からヒモ認定される谷垣を、私は白い目で見た。谷垣は否定したいようだが結局ごはんも私の着物もインカラマッさんに買ってもらったので説得力は皆無だった。十勝地方を経由し、私たちは目的地である網走へ歩を進める。道中でアシリパちゃんの同行者が杉元さんと白石由竹という脱獄囚、それからキロランケというアイヌの男であるという情報を聞き、私の頭に洋平と、浩平の顔が浮かぶ(どっちがどっちかは自信がないけれど)。杉元さんとはどんな男なのか、私にはわからない。尾形上等兵に重傷を負わせ、洋平を殺した男は、危険度でいえば網走から脱獄した囚人とそう変わらないのではないかと思う程だ。白石という囚人は聞いたところによれば凶悪犯というわけでもないらしいので、裏切り者とは杉元さんなのでは?というのが今の私の考えだ。
「杉元はそんなことをするようなやつではない」
「……どうしてわかるの?」
何故か杉元さんの肩を持つ谷垣は、答えられず黙り込む。私情が入っているせいもあるだろうが、とても杉元さんが信用できる男とは思えなかった。一度小樽で姿を見ただけだから、自分には彼の人となりもわからない。ただ、二階堂と同じく、谷垣も私の知らない谷垣になりつつあるのだと感じていた。
「まあ、私は根に持つ方じゃないし、別に杉元さんに復讐したいとかは考えてないから安心してよ」
私は上手く笑えていただろうか。谷垣が気まずそうな顔をしていたので不安になり自分の両頬を引っ張った。
釧路の湿原を見て私がまず思ったのは、何もないなあ。だった。じゃあ自分の生まれた村には何かあったのか?と言われたらお終いなのだけど、旭川に小樽と、ここ暫く大きな街で暮らしていたから、見渡す限り大自然が広がる釧路の地は私の目に新鮮に映っていた。食料調達のため森に入った私たちは、地元のアイヌの男に出くわした。そのうちの一人が谷垣の持っている村田銃を知っていたようで二瓶鉄造の銃ではないかと話しかけてきた。二瓶鉄造は、網走監獄から脱獄した入れ墨を持つ囚人の一人だ。噂しか聞いたことはないが初老の猟師でかなり変人らしい。鶴見中尉とどちらがより変人だろうか?とどうでもいい疑問が頭に浮かんだけれど本当にどうでもよかったのですぐ考えるのをやめた。その程度の知識しかない二瓶鉄造だが、あえてこの時代に村田単発銃を愛用するとはなかなか渋い趣味してると思う。何があったのかは知らないが、谷垣は山で死んだその二瓶鉄造の村田銃を引き取ったという。翌日も森で獲物を探していたところ、今度は刃物で木を斬りつける男を見つけた。一心不乱に木を斬りつけるその変わった髪型をした男は姉畑支遁と名乗った。北海道の動植物を調査する学者さんらしい。動物が大好きだと言う姉畑さんはチカパシくんとすぐに打ち解けていった。
「お一人でこんなところまで調査にくるなんて、学者さんて結構体力も必要なんですね」
「いえいえ、好きでやっていることですから。大変なことなんてありませんよ」
人の良さそうな優しい笑顔を浮かべる姉畑さんは、進むたびに何かを見つけては目をキラキラさせて観察していた。ループタイにフクロウの形の留め具を付けているところからも動物が好きなのをひしひしと感じさせる。学者は頭が固くて近寄りがたい印象だったが、姉畑さんは親しみやすくてチカパシくん同様に私も姉畑さんの豆知識を興味津々に聞いていた。事件が起こったのは次の朝だ。
「起きてくれ!大変だ!」
「んにゃ……なに、熊でも出た?」
「姉畑支遁がいない!」
「えぇ……?用を足してるとかじゃないの?」
「俺の銃もなくなっている」
「……谷垣さあ……」
「……お前の言いたいことはわかっている……」
呆れた私が谷垣に説教してやろうかと思ったそのとき、遠くで銃声が聞こえた。姉畑さんが持ち去った村田銃だろうか。私たちは急いでその音がした方へ向かった。しかし、いつ如何なる時でも銃から目を離すな、という尾形上等兵の教え通り肌身離さず銃を身に付けていてよかった。姉畑さんが何のために村田銃を持ち去ったのか、目的は定かではないが何か嫌な予感がする。姉畑さんを探す途中、アイヌの男たちがものすごい剣幕でこちらに向かってきた。その怒りはどうやら谷垣に向けられているようだ。
「な、なんだ……?」
「谷垣、何したの」
「何もしていない!」
「どう思います?インカラマッさん」
「……谷垣ニシパによくないことが起こっているようですね」
「谷垣だけ?」
「姉畑支遁と村田銃に関係しているのかもしれん……」
「じゃあ、早く見つけないと」
「俺といるとお前達まで危険だ。二手に分かれて逃げよう」
「谷垣ニシパ……」
「心配するな、姉畑支遁を探し出して誤解を解けばいい」
谷垣は第七師団にいたときとは違う柔和な顔をしていた。世話になったというフチや、インカラマッさんたちがそうさせるのだろうか。良い人に巡り合えた谷垣とは対照的にたくさんのものを失った浩平のことを思うと少し複雑になる。……今は、二階堂の心配をしてもどうしようもない。とにかく谷垣にかけられた嫌疑を晴らさなければ。途中でインカラマッさんとチカパシくんと分かれ、けものみちを只管進む。そのうちに日が暮れて、夜が明けた。この広い森の中、人ひとりを探し出すのは容易ではない。元軍人とはいえ一日中足場の悪い森の中を逃げ回りながら姉畑さんを探す私たちの体力も限界を迎えつつあった。息を切らす私たちの後ろから、段々と追跡の声が近づいてくる。
「谷垣!あの湖を泳いて対岸まで逃げよう!」
「わかった!」
背後から日本語ではない叫び声がして、銃弾が撃ち込まれる。なるべく銃が水に浸からないよう気を付けながら泳ぐのは大変だ。そもそもあまり泳ぐのが得意でない私はスイスイと進む谷垣に少しばかり遅れをとっていた。
「エウレンテケリクナプニ!」
「クアクナ!」
岸に上がると強面のアイヌの男が待ち構えていた。何を言っているのかはわからないけど、カンカンに怒っているというのだけはわかる。谷垣は必死で誤解を解こうとしていたが激高する男たちは話を聞いてくれそうな様子もなく、銃床で谷垣の顔面を殴りつけた。このままでは殺されてしまう、と焦った私は銃を構えたが、谷垣に「撃つな!」と牽制されてしまった。撃つなって……この状況をどう切り抜けるつもりなのか。強行突破以外の考えが思いつかない私は、一体何を考えているのかと戸惑っていた。
「エライケアン!」
どうやって谷垣を助ければいいのか、考えろ、考えろ。焦りながら銃を構えていると見覚えのある濃紺が視界に入り、どきりと心臓がはねた。いやに楽しそうに銃弾を空へ放つのは私が探していた尾形上等兵だった。