右足を失った二階堂はまたしても病院に入院となった。お前も怪我してるから手当のついでに二階堂見張っとけというものすごい雑な命令を受け、私もそれに同行することとなった。たしかに死なないでよねとは言ったけど、足を失うなんて。私の顔の傷は大したことなかったので薬をちょいちょいっと塗られて終わりだったけど二階堂は数日の間足を探して病院内を徘徊していたらしい。病院の七不思議になりそうな話だ。そんなところに遭遇したらちびる自信しかない。ある程度回復するまで療養するようにとの命令が出て、私も本来の任務を外れ二階堂の監視という名のお守りを命じられたけど、浩平は時折痛い痛いと呟いたり、洋平(浩平)の耳と会話する以外はベッドの上で大人しくしていて、傍らで読書をする私にはあまり関心がないようだった。それでもふと本から顔を上げると、何か言いたそうな視線を寄越してくる浩平と目が合うことが間々あった。
「まだそれ読んでるのかよ」
「いいでしょ別に、面白いんだから。浩平も読む?」
「男が読んでたら益々おかしいだろ!」
「少女世界って名前だからって少女しか読んじゃだめってきまりないから。私は少年世界も愛読してるし。表面だけで判断しない方がいいよ?浩平はそういうところあるよね」
「うん?そうだよね洋平もそう思うよね」
「人の話聞けよ」
久しぶりに会話したと思ったら一瞬で洋平に取られてしまった私はなんか無性に負けた気分になって悔し紛れにふんっと鼻を鳴らした。窓の外は春の終わり、夏になりかけといった季節の変わり目で、太陽に当たると少し暑いくらいだ。ちょっと前まであんなに寒さに震えていたのに、いざ春を迎えると雪景色が少しだけ恋しくなる。けれど、北海道の夏は短いからまたすぐにあの死ぬほど寒い季節がやってきて私はきっと春を待ち遠しく思うのだろう。尾形上等兵は、元気だろうか。たしか、茨城で育ったと聞いたけれどあの人も寒いのが苦手だったみたいだからきっと生きていれば今頃この温かい季節を喜んでいることだろう。……生きて、いるだろうか?小樽で別れて以来、私のもとに尾形上等兵の情報は入ってきていない。鶴見中尉が意図的に情報を流さないようにしているのでは……なんて邪推してしまうくらい浩平も、ほかの同僚も、上司も、誰一人尾形上等兵の足取りを私に教えてはくれなかった。本当に知らないのか、鶴見中尉に口止めされているのか。誰か、一言でも「尾形上等兵は死んだ」と言ってくれたら楽になれるのに。……いや、やっぱ無理だ。そんなの聞いても情報の出どころを探し出して死体を見るまで絶対信じないぞ私は。ふと室内に目を戻すと、浩平が苦しそうに痛い痛いと呟いていた。
「大丈夫?今、お医者様を……」
「……いい、」
「痛いんでしょ?鎮痛剤打ってもらいなよ、我慢よくないって」
「、尾形に会いたいか?」
「何言ってるの、こんな時に」
「答えろよ」
「…………そりゃ、会いたい、けど……どこにいるかわかんないし」
「……よし、、軍服を脱げ」
「……はい?」
今の流れでどうしてそうなった?失った右足の痛みがどれほどのものか私には想像がつかないけれど、顔を歪め冷や汗をかいて痛みに耐えているはずなのに鎮痛剤がいらないとは一体どういうことなのか。モルヒネ中毒を懸念している……だけならまだ理解できるけど軍服を脱げとは?足の痛みと私の着衣に一体何の関係があるのか。頭の上にたくさんのクエスチョンマークを浮かべながら浩平が言いたいことをくみ取ろうと脳をフル回転させた。
「……え、なに、欲求不満?」
「誰がお前みたいな土臭い女に欲情するか!」
「土臭いのはお前もだろ!ばーかばーか!」
「クソッ……いいからこれに着替えろ」
「クソはこっちの台詞だよ。なんで急に悪口言われなきゃなんないの……で、これ何?病衣?何で?」
「脱走兵になる覚悟はあるか?」
「脱走……?私、が?」
私の居場所はもうここしかない。だから、尾形上等兵が居なくなったあとも、追いかけるなんて選択肢は考えてもみなかった。それに……第七師団を抜けて、尾形上等兵を追いかけて、果たして私の想いが報われる未来はあるのだろうか?捨て身で追いかけた想い人に拒絶なんてされたら私は一体どうすればいいのだろう?そう考えると、覚悟があるなんて言えない自分がいた。
「尾形に会いたいんじゃねえのか」
「……うん、会いたい……けど……」
「お前は、クソ尾形と一緒の方がお前らしいぜ」
「……なにそれ、」
「しおらしいなんて、じゃねえ」
仮にも元上司をクソ呼ばわりしてんじゃねえよと言いたかったけど、ふにゃふにゃと歪んだ二階堂はいつか見たような悲しげな顔をしていて口を開けなかった。まるで浩平じゃないみたいに優しく抱き寄せられて、小声で尾形上等兵の居場所――正確には目的地と、ここからの抜け道を教えてくれる。何でそこまでしてくれるの?と聞く前に「走れ」と呟いた浩平が私を突き放す。
「……浩平」
「帰ってくんなよな、お前がいると煩いから」
「そんなこと言って、明日になったら恋しくなってると思うけど?」
「いいから早く行けって!」
しっしっと追い払われた私は急いで、でも見つからないよう慎重に病院内を走り抜ける。途中で二階堂に渡された病衣に着替え、持っていた軍服と小銃をシーツに包んだ。病院の敷地を抜け、林の中を進み続ける。走れ走れと、浩平の声が聞こえた。瞬きで零れたのは尾形上等兵に会えるという喜びの涙なのか、はたまた残してきた浩平に対する後悔の涙なのかはわからない。唯々、暁の中で光る微かな朱仄に向かって一心不乱に走り続けた。