一筋の白い煙が、青い空を縦に割っていた。天高く昇って行く狼煙を見つけて「昨日私たちが鹿を獲ったあたりだ」とアシリパさんが言った。二瓶鉄造と私たちの、開戦を告げる狼煙だ。狼煙のあがったあたりを探していると、崖の上から何かに狙いを定めている男の後姿が見えた。
「こっち向かねえと顔が確認できねーな」
「アシリパさんはここから弓矢で援護してくれ。俺たちはもう少し近寄ってみる」
自分は杉元さんたちとこのまま背後から男に近づく。大きな音を立てないよう注意しながら、小銃のボルトを引いた。
「……あんた、そんな大きな銃扱えるの?」
「一応、訓練はしてますが」
「そうじゃなくて、そんな細っこい腕じゃ撃てそうに見えないんだけど」
「まあ、ぶっちゃけ得意ではないですね」
「んじゃ、その刀使ったら?」
「こんなに木が多い場所で刀振り回したら、すぐ木に突き刺さりますよ」
「……それもそうだな」
こいつほんとに大丈夫かよ的な視線を杉元さんから感じたが、気にしなことにした。数秒の沈黙のあと、空気がかすかに動いて、崖の下の方から衝撃音がした。アシリパさんの弓矢だ。続いて二瓶鉄造の小銃からぱん、と乾いた音が響き渡る。
「邪魔が入った」
「銃をこっちに投げろ」
「……フン、どうりでなかなか狼が出てこなかったわけだ。そんなに殺気を撒き散らかされては木化けも無意味だな」
杉元さんの全身から立ち上る身が竦むような殺気にも二瓶鉄造が怯む様子はない。冬だというのに私のこめかみからは一筋の汗が流れた。
「こいつで間違いはないか?」
「間違いねえ、そいつが二瓶鉄造だ!!」
二瓶鉄造は白石さんを見て刺青目当てだと瞬時に判断した。何か、隠し玉があるのか。二瓶鉄造は銃口を向けられるのも気にしていない様子だ。銃を握る自分の手のひらが汗ばんで気持ち悪い。
「勝負するかね?どちらがこの山で生き残るか」
「俺は不死身だぜ」
一触即発の状況を動かしたのは一匹の犬だった。杉元さんに向かって猛スピードで走っていく。
「杉元さん!」
「!?」
「でかしたぞ、駄犬」
鉈を振りかざした二瓶鉄造に銃口を向け、引き金を引いた。弾は男の左腕を掠めたが、鉈を離すことはなかった。しかし自分の援護射撃で鉈の勢いが落ちたようで、杉元さんは攻撃を受け止め、その指を切り落とした。だが、心臓に向けたナイフは二瓶鉄造の左腕に阻まれ、あと一歩届かない。その時、二瓶鉄造は右手に持っていた小銃で杉元さんの頭部を殴りつけた。まるで戦場だ。私は、本気の命の取り合いをする、戦場にいるのだ。ぞくりとした懐かしい感覚を背中に感じながら、ボルトを引いて二発目の弾を薬室に送り込む。
「白石ッ!なにやってる、早く銃を拾えッ!」
杉元VS二瓶のそばで、白石VS犬の戦いが繰り広げられていたが、こちらも手こずっていた。私はどちらを援護すべきなのかと一瞬迷ったが、自分の腕であの激しい動きを捕えるのは無理だと判断し、白石さんの応援に入ることにした。犬の足元に照準を合わせ、二発目を撃つ。一瞬怯んだ犬の首輪を掴み、白石さんが犬を崖下にぶん投げた。
「おとなしくしやがれ二瓶鉄造!!」
「お前らこそ武器を捨てろ」
「アシリパさん……!」
「きさま……その子を……!!盾に……!!使うなッッ!!」
先ほどとは比べものにならない殺気を放つ杉元さんはアシリパさんを人質にとる男へ向かってナイフを投げた。
「離れろッ!!」
ナイフは男の左手を貫いたが、二瓶鉄造のタックルにより杉元さんも捕えられてしまう。「この娘を挟んで撃ち合っても構わん」と凄む男に、杉元さんは降参の合図を出した。
「白石、……すまん…………捨ててくれ」
その言葉に、自分も銃を放り投げる。
「その子には見せるな。遠くへ連れて行ってくれ」
「いいだろう」
銃をその場に投げ捨て両手を上げて近づくと、私たち三人は一つの木に縛り付けられた。二瓶鉄造ともう一人の男がアシリパさんをここから離れた場所へ連れて行くよう会話している。
「大丈夫ですか、その傷」
「大した怪我じゃない」
「はあ、年貢の納め時ってやつですかね」
「ちゃん、俺を誰だと思ってんの?」
「……え?」
「白石さん凄いですね!!見直しました!!」
「だろっ?惚れるなら今のうちだぜ?」
「それはないです!!」
「お前ら、馬鹿やってないで走れ!」
「どうすんだ?こっちは丸腰だぞ!?」
「隠れて近づきやつらの隙をついて……アシリパさんを取り戻す!!」
雪道を走るのは中々に難しい。武器は持っていないがそれでも雪に足を取られながらの全力疾走はどんどん私たちの体力を奪っていく。暫くして開けた場所にたどり着くが、既に決着はついたあとだった。アシリパさんも、レタラも無事だった。二匹の仲睦まじい狼が、アシリパさんを守ったようだ。子供たちと森に消えて行くレタラを見送る。首を噛み切られた二瓶鉄造は血だらけの状態で木に寄りかかったまま絶命していた。
「コレヨリノチノ ヨニウマレテ ヨイオトキケ」
アシリパさんを担いでいった軍服の男が現れ、二瓶鉄造に向かってそう唱えた。その言葉には、どんな意味が込められていたのだろうか。
「マジでこいつら連れていくの?」
「死にかけてるのに置いてはいけない」
「疲れた~、杉元が追いつくまで俺はここで休むぜ」
「自分が代わりましょうか」
「……いや、無理だろ」
「無理だよ」
「そんな真顔で言わんでくださいよ」
アシリパさんを連れ去った大男はアイヌの矢毒を足に受けたらしく、とても苦しそうにしていた。アイヌに伝わる応急処置をテキパキ進めるアシリパさんは、この男を自分の村に連れて行くつもりらしい。
「こいつ第七師団だろ?治ったら仲間に俺たちのことを話すかも……」
「置いていけ。俺は猟師だ。死ぬときは俺も山で死ぬ」
「ホラ!本人もこういってることだし、置いていこうぜ」
「谷垣……といったな?お前、二瓶鉄造が入れ墨の囚人と知ってて行動してたのか?」
杉元さんも連れて行くのには賛成ではないらしく鋭い視線で大男、谷垣さんを問い詰めるが、谷垣さんは答えない。
「まあ……俺の相棒がこの男を助けたいというなら邪魔しねーさ。もしそれが裏目に出るようであれば、今度は俺が相手をするまでだ」
大柄な男を運ぶのは容易ではなく、アシリパさんの住む村に着くころには肩で息をするほど体力を消耗していた。といっても自分がこんな筋肉隆々な成人男性を運べるはずもなく、杉元さんや二瓶鉄造の小銃を背負った程度だったが。
「あんた、体力ねえな」
「ちょっと……ブランクが……ありまして……」
「はあ?」
杉元さんに怪訝な顔をされてしまったが、もう限界だった私は気にせずその場で大の字に倒れこんだ。
「つ~か~れ~た~」
「、大丈夫か」
「……少し休ませて……」
「休んでていいぞ。鹿肉がまだ残っているから、鍋を作る」
「わ~い……」
この村は、自分が昔世話になった集落からだとどれくらいのところにあるのだろうか。
ふと思い浮かぶ光景はすぐに消え、雪と一体になるように、意識を沈みこませる。
「……このまま、雪に解けてしまえばいいのにね」
「できるわけないだろ」
「……居たんですか」
「まあな」
独り言のつもりだったのに返事が返ってきたことに驚く。とっくに居なくなったと思った杉元さんはどっこいしょ、とおっさんみたいな掛け声で自分の少し隣に座りこんだ。
「……さっきは、助かった」
「……何かしましたっけ?」
「銃で援護してくれただろ?……え?もしかしてあれ、援護じゃなくて俺を狙ってた?」
「いや、援護しようとはしましたけどあまりお役には立てなかったかと」
「そんなことないさ」
その時ふっと自分に笑いかけた杉元さんの顔が、目に焼き付いて離れない。