最果ての熱砂30

 インカラマッさんたちが出会ったという姉畑支遁と名乗る学者はどうやら刺青の囚人の一人らしい。谷垣さんの銃を奪って消えたと聞いて、尾形さんが「銃から離れるなとあれほど……」と苦々しく呟いた。そういえば、二人は同じ聯隊なんだっけ。あまり親密そうには見えないがこの様子だと谷垣さんはしょっちゅう同じように注意を受けていたに違いない。とにかく、刺青のためにも谷垣さんの無実を証明するためにもその銃を持っている姉畑支遁を捕まえなければならない。

「とにかく犯人は二瓶の銃を持っている。手分けして探そう」
「さっきの鹿の死骸が一番新しい犯人の跡だ。行くぞ杉元!」

 二人が歩き出すのを見てじゃあこちらは残った面子で別方面を探すか……と思っていたら杉元さんが振り返って私を手招きした。

「なんですか?」
「あんたもこっち来るだろ?」
「えっ……」

 まさかそんなことを言われるとは思っていなくて固まっていると、アシリパさんが私たちを急かした。杉元さんは返事をしつつ私の腕を引っ張るのでなし崩し的にそちらへ向かう。ああ、また流されているような。そう思いつつ嫌な気はしなかったが、後ろから白石さんのストップがかかる。

「なんだよ、ちゃん連れてっちゃうの?」
「人数で行ったら丁度半々だろ」
「そうだけどさあ~」

 まだ不満そうになにか文句を言っている白石さんを置き去りにした私たちがアシリパさんに追い付くと、「よし、行こう」と仕切り直した。さきほど二人が丹頂鶴を捕まえる途中で牡鹿の死骸を見つけたらしいのだが、狩猟のために殺されたにしては様子がおかしい、と手を付けずに帰ってきたという。その現場へ向かうとすでに地元のアイヌの男が神様へのお祈りをしている最中だった。アシリパさんのいた西の方と違い、こちらでは鹿を神様として扱っているらしい。大切にしている神様をこんな風に惨殺なんかされたらそりゃ怒るのもしかたないなと私はひとり納得した。

「犯人を追ってるのはあんたの仲間か?もう捕まえたか?」
「わからない……でも時間の問題だろう。我々は犯人を知っている」

 アイヌの男は2日前にもこの牡鹿と同様に殺された牝鹿を発見し、そこで銃床に7本の線が刻まれた村田銃を見たという。銃を奪われたのは自業自得な面もあるけれど、よりによって刺青の囚人に当たるとはツイていないというか……。しかも動物を穢すような変態になんて、同情を禁じ得ない。今までの囚人も変人ばかりだったけれど今回は頭一つ分どころかふたつもみっつも飛びぬけている気がする。

「無理やりウコチャヌプコロしてカムイを穢すやつは絶対許せない!必ず私たちで捕まえてやる!!」
「ウコチャヌプコロ……」

 アシリパさんがウコチャヌプコロを連呼するのでちょっと麻痺しそうになったが、それって日本語にすると、つまり、アレだよなと考えて何とも言えない気持ちになった。年頃の女の子が口にしていると思うと居たたまれないのだけれど日本語じゃないから辛うじて問題ないような錯覚に陥る。なんだかよくわからなくなってきた。神妙な面持ちで「ウコチャヌプコロ……」とオウム返しする杉元さんももしかしたら今の私と同じ心境なのかもしれない。

「犯人が捕まったらどうなりますか?」
「刑罰を科す」
「それって……」

 殺すってことですか、と聞こうとしたときにアイヌの男のもとへ子供たちが走ってきた。犯人がつかまったらしい。わざわざ聞かなくても犯人というのが谷垣さんであることは明白だ。男についていくと案の定囚われの身となった谷垣さんが村人たちに囲まれていた。うわあ、すっごい怒ってる。まあ最初からわかっていたことだけれど、殺す、殺さないなどと物騒な単語しか聞こえてこなくて今すぐにでも断罪されてしまいそうな危うい雰囲気だ。

、銃を預かってくれ。あと銃剣も」
「え……どうしてですか?」
「アシリパさんとはここにいろ」
「なにをする気だ?」
「説得してくる」

 杉元さんは一人、村人たちの群れの中をかき分けていった。和人の言葉なんて聞いてもらえるだろうか。しかも、谷垣さんの仲間だとわかればそれだけで共犯だと思われる可能性もあるし……。ハラハラしながら杉元さんの後ろ姿を見守っていたが、ふと後方にある高床式の倉庫みたいなところを見ると尾形さんが座っていることに気付いた。

「あれ、尾形さんですよね?」
「本当だ。来ていたのか……」

 どうも、彼の顔を見るに助ける気などなさそうである。私は尾形さんには期待しないことにして杉元さんへ視線を戻す。谷垣さんとアイヌの間へ冷静に割り込んだ杉元さんだが、案の定激高したアイヌの男(しかもかなり屈強な体躯である)が彼の顔面に拳骨をお見舞いした。杉元さんは丸腰だ。殴り合いならまだしも、相手は刃物を持っている……殺し合いになったりしたら、と私は冷や汗をかきながら預かった銃を構えようとした。ところが杉元さんは反撃どころか怒りもしていない。まさかこのままやられてしまうとは思えないけれど、一体どうしたんだろう。考えているうちに銃を預けたのは暗に手を出すなと言っているのではと気付き、私は銃を下ろして殴られ続ける杉元さんを歯痒い気持ちで見守った。アシリパさんが「杉元ッ!」と叫ぶと、杉元さんはにこりと笑いかけたあとでアイヌの男を一撃で気絶させる。やっぱり強い。男が気絶してしまうとその場は一気に静まり返った。ほっと胸を撫で下ろすとどこからともなく拍手が聞こえた。




 杉元さんの説得のおかげで3日間の猶予をもらうことができた。長いようで短い時間だ。その3日のうちに私たちは姉畑支遁を見つけなければならない。谷垣さんの証言によるとどうやら姉畑支遁はヒグマにとても興味を持っていたらしい。

「それやばいやばいッ!!ヒグマに恋しちゃったら……入れ墨ごと喰われちまうだろうがッ!!」

 杉元さんの表現って結構独特だよなあ、と私は苦笑する。いや笑いごとじゃないんだけれど。姉畑支遁のように相手のことをもっと知りたいと思う気持ちを恋と呼ぶのなら、自分も、そうなのだろうか。しかし私には確かめる術がなかった。わからない。それに、わかったところでなんだというのか。たぶんなにもできないまま自分の気持ちに蓋をすることになるだろうことは目に見えている。

「ありがとう、
「いえ」
「……迷惑だったか?」
「どうしてですか?」
「いやなんとなくだけど。違うならいいんだ」
「……やっぱり表情筋が死んでるから怒ってるように見えるんですね」
「たしかにはアシリパさんみたいに感情表現が豊かってわけじゃないけど」
「杉元さんも表情がよく変わりますよね」
「え、そう?」

 二人が協力して狩りをしたり、オソマだ!とか言ってはしゃいでいるのを見るのは結構楽しかったりする。それと同時に、私もあんな風になれたらいいのに、なんていう羨ましさも込み上げるのだけど。
 アシリパさんは尾形さんに、私たちが間に合わなかったら代わりに谷垣さんを助けてくれるように頼んだが、その反応は冷ややかだった。尾形さんは一体なにが目的で谷垣さんのそばにいるのか、私には見当がつかない。造反がどうの、と話すのを聞いてどうやら私がアシリパさんたちに出会うより前にもなにかあったらしいとわかる。尾形さんは最後に「俺の助ける方法は選択肢が少ないぞ」と言い放った。その視線の先にいるのはアイヌの男たちだ。不穏すぎる。二つの意味で急がなければならなくなってしまったことに私はため息を吐く。




 尾形さんに双眼鏡くらい借りればよかったかなあと今更ながら少し後悔しつつ広い湿原を見渡した。見晴らしは良いが如何せん範囲が広すぎる。現在私たちの居る位置からは人影はおろかヒグマ等の動物も見つからなかった。まあ彼がすんなり自分の所持品を他人に貸すのかどうかは別の問題だけれど、頼んでみるくらいはするべきだったかもしれない。犯人は現場に戻るという法則で私たちはもう一度牡鹿が殺されていた場所を隈なく捜したが、1日目はなにも発見できずに終わった。
 アシリパさんは姉畑支遁が何故ウコチャヌプコロをしようとするのかわからないみたいで、アイヌの民話にもカムイと人間が結婚する話はあるけれどそのどれもが結婚するときには人間の姿に変身していることから、動物と人間が結婚するのはいけないことだと本当はみんなわかっていて、カムイはカムイと、人間は人間とウコチャヌプコロしないといけないんだと語る。その手の昔話はアイヌに限らないことは私も知っている。人間の姿になって結婚するか、正体を現して消えていくかの結末が多いのはアシリパさんの言うように後ろ暗さの表れなのだろうか。しかし身も蓋もない言い方だが姉畑支遁はカムイと結婚したいだとかそんな目的なんかなくて、単にウコチャヌプコロしたいだけだと私はみている。こんなこと子供に言えるわけもない、と私はそのもやもやを発散できないまま横になったが、ガサガサと草が揺れる音で目を開ける。杉元さんも気付いたらしく銃を両手に持って「何かいるのかな?」とそちらを向いた。

「風ではなさそうですね」
「ヒグマじゃなきゃいいが……」
「こ、怖いこと言わないでください」
「ウコチャヌプコロ」
「……」
「……」
「寝言か……」
「うなされてますね」
も早く寝ておけよ」
「杉元さんこそ」
「また眠れない?」
「…………まあ、そうですね」
「どうしたらいいんだろうな」

 意味がわからなかったので「えっ?」と聞き返したが杉元さんはなにも言わなかった。ね、寝てる……?目を閉じているだけなのか、秒で寝付いたのかはわからないけれど会話はそこで途切れたので私も諦めて目を閉じる。どうしたらいいか、なんて考えたこともなかった。