最果ての熱砂29

「この辺だと何が獲れんのかね」
「さあ……シカとか熊とか……あと丹頂鶴とか?」
「鶴かぁ~、鶴って美味いのかあ?」
「アシリパさんなら美味しく料理してくれますよ、きっと」
「そういえばちゃん、銃はどうしたの?失くした?」
「いや、今は牛山さんが……持ってるはずです」
「え、そうなの?どうして?」
「こいつが怪我してるからだ」
「うそ、どこを!?大丈夫?」
「大丈夫です、もうほとんど治ってて……」

 釧路湿原に到着すると白石さんがすかさず「ネズミ以外のものが食べたい!」と主張しだして、アシリパさんと杉元さんがなにか獲ってくることになった。銃も持ってないし、私が行っても足手纏いだろうなと思って留守番することにしたけど、はっきり言って暇である。居残り組の私と白石さん、それに尾形さんは湿原を見渡せる丘に3人揃って三角座りをして2人の帰りを待つ。こうしていると、金塊を巡って殺し合いをしているなんて嘘みたいに平和に思えた。
 暫くじっと座っていた白石さんが「おしっこ!」と宣言してどこかへ行ってしまったので取り残された私と尾形さんの間に嫌な沈黙が漂う。私も彼もおしゃべりがあまり得意ではない。その点ではある意味気が合うと言えなくもないのだろうけれど尾形さんは口を開けば嫌味ばかりだし、何を考えているのかさっぱりわからないので仲良くできる気はしなかった。そういえば、と私はずっと気になっていたことを思い出す。バタバタしていたし、杉元さんたちの前では聞きづらかったことなので忘れていた。

「尾形さんに聞こうと思ってたことがあるんですけど」
「……」
「どうして私のことを知ってたんですか?」
「……鶴見中尉があんたを欲しがってた」
「……なるほど」
「なんだ、予想通りだったか?」
「まあ、鶴見中尉だけじゃないですからね」

 外国では運用実績のある女性兵士もこの日本では陸軍全体で数名しかいないと、陸士に居た頃から聞かされていた。更に言えば尉官階級は自分だけで任官前から上層部で取り合いが起こっていたらしい。もちろんかつての私の上官も争奪戦に参加したうちの一人で、決まった時は各所へ吹聴して歩いたせいでいろいろと大変だったようである。彼らがどうしてそこまで必死になって女性兵士を獲得しようとしたのか。これも伝聞でしかないが、ひとつは希少性だった。陸軍で数えるほどしかいない女性兵士は絶滅危惧種の動物のような存在で、手元に置いておけばそれだけで陸軍内では羨望の的だったらしい。
 もうひとつが黎明期である女性兵士育成を自らの手で行い実績を上げたいという、簡単に言えば権力闘争である。私が早いうちに大尉になったのもそのためだ。女性兵士の有用性を示そうと、よくわからない理由をこじつけられて階級がどんどん高くなっていった。大した功績も上げていないのに日露戦争が終わったら佐官になるのも決定していた。
 上はそれで満足だったかもしれないが、私たち下の人間はそうもいかない。適当な理由で差を付けられた同期たちは私をあからさまに敵視したし、実績も経験も乏しい小娘が上官になることを屈辱に感じる者も多く、中には「体を使った」などと下品な噂を流す者もいた。でも私はそんなことどうだってよくて、ただ頑張れば父と母が私を認めてくれるだろう、認められなきゃという強迫観念にも似た承認欲求のためだけにどんなことだって耐えてきたのだ。頑張って、頑張って、死ぬほど頑張ったら両親はきっと私を息子として見てくれるだろうと。お前の家族は壊れていると言われたってそれが私の人生だった。父が戦死して母も狂ってしまったとき、それまで危ういながらも均衡を保っていた私の日常は跡形もなく崩れたのである。私はその日、理性の切れる音を聞いた。
 かいつまんで説明すると尾形さんは静かに耳を傾けてくれた。いや実際は聞き流されているだけかもしれない。しかし黙って聞いてくれるだけで、なんだか背負っていた重い岩のようなものが落ちていく気がした。

「鶴見中尉が言っていたのとほとんど変わらないな」
「さすが鶴見中尉……ですね」
「……で、それを俺に話したってことは俺に心を開いたってことか?」
「…………それは、どうでしょう」
「杉元にも話してないんだろ?」
「どうして杉元さんが……ていうか、こんなこと話せるわけないじゃないですか」
「ならどうして俺に話したんだ?」

 尾形さんがにやにやしながらこちらを見てきたのでなんだか居たたまれなくて目を泳がせる。どうして尾形さんに話してしまったのかと言われたらたしかに明確な答えは出せなかった。しかし冷静になって考えると尾形さんには言うべきでなかったかもしれないと少し後悔もしている。尾形さんは味方じゃない。今は敵でもない……と思うけれど、決して味方にはなりえない男だ。脱走兵を自称する彼の言い分をどれほど信用していいのか、未だにわからないけど、杉元さんの忠告は私の頭の中にずっと残っている。

「尾形さんって私と同じで友達いなさそうだから、ですかね」
「……」
「そ、そんな怖い顔しないでくださいよ、冗談です冗談」
「……俺も、お前と同じようなもんだ」
「やっぱり友達いないんじゃないですか」
「そうじゃねえ」
「ただいま~……ってあの二人まだ帰ってこないの?」

 白石さんが再び隣に座って「おなかすいたね」と呟いたとき、漸く杉元さんとアシリパさんが戻ってきた。すごく大きな鶴を抱えている。久し振りにネズミ以外の肉にありつけると思い最初は喜んだが、実際に食べてみると妙な臭みがあって素直に美味しいとは言えなかった。

「なんで丹頂鶴なんか獲ったんだ!」
「まあまあ、折角獲ってきてくれたんですから……」
「普段は獲らないけど杉元が『北海道の珍味を食べ尽くしたいんだ』といつも言ってたから……」

 そんなこと言ってたっけ?と私は首を捻りながら口の中の丹頂鶴を咀嚼する。話の流れで金塊を探す目的を尋ねられた杉元さんが答えたのは私が以前聞いたのとほぼ同じものだった。杉元さんの目的は一貫している。一体どういう経緯で金塊の存在を知ったのかは聞いていないけど、最初からずっとその親友と、親友の奥さんのために命を懸けている。

「『惚れた女のため』ってのは、その未亡人のことか?」
「え?そうなの?」

 まるで点と点が繋がったようだった。ああ、そういうことか。親友のためというのも本当なのだろう。けど、命を落としかねないほどの危険を冒してまで金塊にこだわる最大の理由はきっと親友の奥さんであり、杉元さんが惚れた女性のため。私はなんだか杉元さんが急に遠い存在になってしまったように寂しくなった。恋とは、愛とはどんな気持ちなのだろう。私はなにも知らずにここまで来てしまったから、杉元さんが他人のために命を削るというある種の自傷行為を理解することができない。両親を失ったときも部下が次々と死んでいったときも同じ気持ちだった。苦しくて遣る瀬無くて心を失くしたような、そんな不思議な感覚だ。これが恋とか愛だとかいう病気なのだとしたら、自分が思っていたよりも綺麗なものではなかったのかもしれない。
 置いてけぼりになったみたいな感覚に襲われて一瞬食事の手を止めたが、すぐになんでもない風を装ってお箸を口に運んだ。両親からの愛を得ようと、全てをかなぐり捨てて頑張ってきたけれど結局無駄足になって全て失ってしまった自分には、杉元さんの気持ちなんて一生わからないのだろう。けどそれもまた私の人生なのだと、無理やり自分を納得させることにした。杉元さんがなにも答えないうちに、アシリパさんが釧路に伝わるという鶴の舞を踊りだしたので全員がそちらへ注目する。どうして急に踊ったのかと聞かれて「鶴食べたから」と答えた彼女の気持ちが私には少しだけわかるような気がした。
 直後にこちらへ誰かが向かってきて、その話題は有耶無耶のうちに終わる。やってきたのはインカラマッさんと、チカパシくんというアシリパさんと同じコタンにいた男の子だった。偶然にも鶴の舞が遠くから見えて、私たちを発見したのだという。谷垣さんも一緒にアシリパさんを探しに来た、というのを聞いて私は驚いた。その谷垣さんが今、アイヌの男たちに追われているらしい。小樽から来た事情も追われてる事情もよくわからないけど、谷垣さんはたぶん巻き込まれ体質なのだということだけはわかった。