第七師団の司令部が置かれている旭川は「軍都」である。そして軍都旭川と札幌とを繋ぐ上川道路という長い道は囚人たちが造ったもので、別名石狩道路、囚人道路とも呼ばれているらしい。「囚人道路」は全道各地で建設されているがこの上川道路こそが旭川に発展をもたらした……というのが土方さんの弁だ。師団通りと呼ばれるだだっ広い道を進むと、これまた広大な敷地の第七師団司令部が見えてくる。こんな広いところから探し出さないといけないのか……と内心辟易していたら杉元さんが「建物を一軒一軒探して回るなんて出来るわけがねえ。連中のほうから白石を差し出させるんだ」と言ったのでまあそりゃそうだな……とすぐに納得した。
下見を終えて街はずれのコタンに戻り、手に入れた師団内の見取り図を囲んで私たちは作戦会議を開く。第七師団が広すぎて途方に暮れかけたが、キロランケさんが肩章を覚えていたおかげでかなり的を絞ることができた。肩章は「27」、つまり歩兵第27聯隊を意味している。歩兵第27聯隊というのは旭川に4つある歩兵連隊の一つだというのだけど、その名前に尾形さんが反応を示す。なにかと思えば尾形さんも27聯隊だったのだ。ずっと外套羽織ってたから全然気づかなかった私は普通に吃驚してしまったのだが、それを見た尾形さんから呆れた視線を頂いてしまった。
「白石は27聯隊が密かに確保している可能性が高い。なぜなら聯隊長は鶴見中尉の息がかかった淀川中佐だ」
「よし、俺と鈴川でその淀川中佐に直接会いに行く。尾形は敷地内の見張り、アシリパさんたちは馬を連れて待機しててくれ」
「」
「なんですか」
「お前も俺と一緒に来い」
「えっ……………………でも……」
「おい!は怪我してるんだぞ!」
「お前はどうしたいんだよ?」
「……私は……」
「だめだッ」
「はてめえの女なのか?違うんなら口出しすんな。お前が庇護欲を持つのは勝手だがこいつの行動を制限する理由にはなんねえだろ」
「そんなこと……言われなくてもわかってんだよッ!!」
「わかってねえからいつまでもの銃も刀も取り上げたままなんだろ?」
「尾形さん……もういいですから……」
「うるせえ」
「ええ~……」
「だいたい、お前が杉元にだらだらと流されてんのが元凶だろうが。自分がどうしたいのか、はっきり言ってみろよ」
いつになく饒舌な尾形さんに図星をさされ私は閉口した。尾形さんを睨みつける杉元さんは今にも掴みかかりそうな雰囲気だ。私は本音を言っていいのか杉元さんの意見を尊重すべきか迷いながらその光景をどこか遠くから見ていた。自分の気持ちなんて決まっているのに。ふと意識を戻すと、杉元さんを完全無視した尾形さんが私を見据えていてどうしてかすーっと気持ちが軽くなるのを感じた。
「わ、私も一緒に行きます」
「決まりだな」
「……俺は反対だからな」
「杉元……気持ちはわからんでもないが、動けるのはだけだろ?俺や土方のじいさんは顔を見られている」
「心配しなくても成功させればいいだけの話だ。そうだろ、?」
「は、はあ……」
杉元さんは最後まで納得していない様子で盛大な舌打ちをかまして外に出て行ってしまった。それをあわあわと見送っていると「ほっとけよ」と尾形さんがぶっきらぼうに言い放った。杉元さんが心配してくれるのは嬉しいのだけど……何もしないなんてここまで着いてきた意味がない。それに夕張での恩もある。私はきっと杉元さんにこの恩を返さなければいけないのだからこの程度の怪我で戦線離脱していいはずがないのだ。私の心情を察したわけではないだろうが、尾形さんの助け船ともいうべき介入は大変有難いことだった。
怪しさいっぱいの白い覆面を被った杉元さんが複雑そうな眼差しを向けて「いいか、絶対無茶はするなよ!」とくぎを刺してから鈴川とともに第七師団へ消えていき、私はというと予定通り尾形さんの後に続く。あの変装で本当に大丈夫なんだろうかと別の不安を抱えたまま、事前に見取り図で確認していた客間の良く見える場所で尾形さんは木の上から内部を、私は周囲を監視する。
「杉元たちが淀川中佐と接触したぞ」
「ひとまず、潜入は成功ですね」
「あとは鈴川聖弘の腕次第だな」
鈴川の実力の程はわからないが、こうなったらもう祈ることしかできない。私は自棄みたいな気持ちになりつつ体を強張らせて周囲を警戒した。淀川中佐と接触して以降、尾形さんが無言になっているということは今のところ問題は起きていないらしいが待っている方としては気が気じゃない。
「尾形さん」
「なんだ」
「あの、ありがとうございました。私……杉元さんが心配してくれてるのがわかってたから、言い出しづらくて」
「あんな流され気質でよく中隊長が務まったもんだな」
「いやあ、現役時代はそれなりに上手くやってたつもりですよ?」
「別に礼を言われる筋合いはないぜ。お前みたいに何もかも人の言いなりで従ってばかりのやつを見ていると腹が立って仕方ねえだけだ」
「……そこまで言わなくても……」
「待て。鯉登少尉が慌てて入っていった。まずいぞこれは」
「え?誰ですか?」
「やつは鶴見中尉お気に入りの『薩摩隼人』だ」
「さつまはやと……」
帝国海軍少将を父に持つというその鯉登少尉は日露戦争後に任官したのだという。鶴見中尉お気に入りということは実力も申し分ないのだろう。ここからでは室内を見ることはできないので私はその若い将校をぼんやり想像しながら監視を続けた。暫くして、拳銃の音が2発鳴り響く。咄嗟に尾形さんを見上げると双眼鏡を覗いたまま「失敗だ」と言った。どうやらばれてしまったらしい。恐れていた事態にごくりと唾を飲み込むとさらにもう1発拳銃の発砲音が聞こえ、ガシャンと窓が割れて人が飛び出してきた。それに続いて軍服の男が飛び降りようと乗り出したところを尾形さんが狙撃して妨害する。ひらりと木の上から降りた彼は「逃げるぞ」と走り出した。
「杉元さんたちは……!」
「杉元は撃たれたようだが白石は無事だ」
「……鈴川は」
「死んだ」
杉元さんが撃たれた。その一言が私の脳内を駆け巡り、一瞬眩暈のような感覚に陥る。……いや、きっと大丈夫だ。杉元さんはこんなところで死ぬつもりはないはずだから。目的を果たすまで、何が何でも生きようとする……それが私の見てきた杉元佐一なのだ。さきほど窓から飛び降りたのは言うまでもなく杉元さんと白石さんだった。その二人が逃げたのはキロランケさんが馬を待機させておくと言った方角だったが、さきほどの銃声で異常事態を察知した軍人たちが続々と集まってきている。怪我の具合が心配なところだが、捕まってしまってはおしまいなので遠回りするほかない。彼らと合流するべく尾形さんを追いかけるかたちで司令部内を走り回っていると、反対方向から杉元さんと白石さんが同じく走ってくるのが見えた。
「杉元こっちはダメだッ!南へ逃げろ、あっちだッ!さっきの銃声で蜂どもがあちこちの巣から飛び出してきた!」
「杉元が撃たれちまった!」
「不死身なんだろ?死ぬ気で走れッ!」
「無理だッ!こんな傷の杉元が走り続けられるわけねえッ!」
杉元さんの上半身が赤く染まっている。無茶するななんてどの口が言ってるんですかと嫌味の一つでも言ってやろうかとさきほどまで思っていたが、白石さんに支えられながら走る杉元さんの辛そうな様子を見ていたらそんなものはすぐに吹き飛んでしまった。杉元さんは死なない、絶対に。それはまるで自分に言い聞かせているような……もはや呪いみたいなものだということに私は気付けないままでいた。