びくりと体が震え、目を開けた。膝を抱えた姿勢のまま寝てしまったらしく、全身が凝り固まっていて動かそうとするとびきびき音を立てる。杉元さんに呼ばれた気がしたけど気のせいだろうかと寝起きのぽやーっとした頭で考えていたら近づいてきた足音が急に止まり私は顔を上げた。
「……なにしてんだ、こんなところで」
「すみません、みなさんが起きる前には戻ろうと思ってたんですけど」
「また眠れなかったの?」
「まあ……そんなところです」
「朝起きたらいなくなってたから、アシリパさんが心配してた」
「……杉元さんの中心はアシリパさんなんですね」
「え?なに?」
「いえ、なんでもありません」
私、今、なんて言った?幸い本人には聞こえてなかったみたいだけど、一体どんな答えを期待していたのか自分でもよくわからないうちに声に出ていて慌てて口を噤む。それを誤魔化すように素早く立ち上がって村の方へ戻ると、アシリパさんたちが生け捕りにした入れ墨の囚人を囲んでいた。私の姿を見つけたアシリパさんがほっとしたみたいに「」と呟くのを見て心配していたというのは本当だったらしいことを知る。それなのに私の胸には得体の知れないもやもやが消えることなく漂っていて自分はなんと嫌な人間なのだろうと自己嫌悪に陥りながらアシリパさんに向けてぎこちない笑顔を向けた。
「すみません、寝坊してしまいました」
「どこに行ってたんだ?」
「ちょっと寝られなくて……」
「杉元と会わなかったのか?あんたを探しに行ったはずだが」
牛山さんの言葉を聞いて元来た道を振り返ると、軍帽を直しながら大股で歩いてくる杉元さんが見えた。杉元さんは何事もなかったみたいに「ごめんごめん」と言いながら輪に加わる。樺戸監獄へ向かうつもりだった私たちだが、その必要はなくなった。代わりに得た鈴川聖弘という入れ墨の囚人の処遇について話し合っていると、その鈴川聖弘が「網走から脱獄した他の囚人の情報がある」と言い出した。
「どうだかな。お前詐欺師だろう?時間稼ぎの嘘かもよ」
「信用できるという根拠がないですね」
「嘘なら舌を引っこ抜いてやるさ。閻魔様がやるか、俺がやるかのちがいだろ?」
今後の話は土方さんたちと合流してから、ということになり出立しようとしたらアシリパさんが「ここの村は男がいなくなったからずっとコタンに居ろと言ってる」と通訳した。中でも牛山さんが一番人気らしくみんな口々に「チンポセンセイ」と言っている。それを聞いた牛山さんは「子種だけでも置いていけないだろうか」ととても残念そうにしながら杉元さんと鈴川に引きずられていった。往生際の悪い牛山さんが雄たけびを上げているのを他所に私たちはアイヌの女性たちへ手を振って別れる。それにしても、アシリパさんはさきほどのアイヌの人たちにも牛山さんを「チンポ先生」と紹介していたのか……。あんまり外で言わない方がいいのではないか、なんて小さくため息を吐いたら隣を歩いていた尾形さんに「気分でも悪いのか?」と声を掛けられ、本当にこの人は観察力がすごいなあと感心しつつ思っていたことを言ってみる。
「アシリパさんが牛山さんのことをち、チンポ先生って呼ぶの、どうにかなりませんかね……あ、あとオソマも」
「なんだ、士官学校出身のくせに見たことねえのかよ」
「そういう問題じゃなくてですね、年頃の女の子が言う単語ではないというか……」
「そのうち言わなくなるさ」
「そういうものでしょうか……」
「あんたは経験ないのか、ああいうの」
「ないですよ……まあ、友達いなかったというのもありますが」
「ははッ、たしかに人付き合いが苦手そうな顔してるな」
「えぇ……?顔に出てますか?ていうか、それを言うなら尾形さんもそんな感じしますけどね」
類は友を呼ぶ……ということわざが頭に浮かんで私は苦笑いを漏らす。尾形さんは少しむっとした顔になったが反論は飛んでこなかったので図星だったのか或いは全くの的外れだったのかはわからなかった。それでも初めのころと比べて漸くまともな会話ができるようになったなあなんて少し感動していたら牛山さんの背中に乗ったアシリパさんが振り返り「何してる、早く来い」と最後尾の私たちを急かしたので置いていかれないように急いで追いかける。銃も刀も人に持たせた今の私はあり得ないくらい身軽な状態だ。先頭の牛山さんは私の小銃、少し前を歩く杉元さんは私の刀を背負っているが、荷物の少ない牛山さんはともかく重装備の杉元さんに人の荷物を持たせるのはなんとも忍びないし私自身武器を持っていないと心もとないのでどうにか返してもらえないだろうかとその背中に声を掛けた。
「杉元さん、その刀そろそろ返してください」
「だめ」
「でも……重いでしょ?」
「返したらまた使っちゃうじゃん」
「まあ、そりゃ……」
「ほら。治るまで預かっとくから」
「何かあった時困るじゃないですか……」
「そのときは俺がやる」
「…………それは……」
「傷、まだ痛むんじゃないの?」
「……足手まといになるくらいなら、私は抜けます」
「足手まといとかじゃなくてさ……どうしてあんたはそう、悪い方に考えるんだよ」
「戦えない私なんて、ただのお荷物じゃないですか」
「……なんだよ、それ」
「どうした、また喧嘩してるのか?」
「……してませんてば」
やれやれといった風に牛山さんが介入してきたので結局刀の件はうやむやになり、もちろん小銃も返してもらえずそのまま樺戸に到着してしまったが道中で何事も起こらなくてよかったとほっと安心する。土方さんたちとは樺戸監獄から一番近い宿で落ち合う約束だと牛山さんが指をさす。そこで待機していた永倉さんが「悪い知らせがふたつある」と神妙な面持ちで口を開けたが、なぜか隣に並んだ鈴川と妙に顔が似ていたものだからちょっと笑いそうになった。杉元さんが「どっちがどっちだよ」と困惑していたのでそう思っていたのは私だけではなかったらしい。それはともかく、悪い知らせの一つ目というのは「熊岸長庵が死んだ」というもので、どうして永倉さんが知っているのかとその場に居合わせた私たちは別の意味で驚く羽目になった。
そしてもうひとつは……白石さんが第七師団に捕まってしまった、らしい。土方さんとキロランケさんが不在にしているのは白石さんを奪還するためだったようだ。あの二人なら上手くやってくれるのでは、なんて楽観的に考えていたけど、翌日戻ってきたのは白石さんを助けに行った二人だけだった。
「おそらく白石はいまごろは旭川へ着いてしまっているだろう。アイツが勝手に脱出できたとしても、いつになるかわからないものを我々は待っているわけにもいかない」
「そもそも脱出できるかどうか……脱獄王とはいえ、監獄とは違うんだ。どんな扱いを受けているか」
「今この瞬間皮を剥がされてるかも」
「尾形見てこいよ。お前、第七師団だろ?」
「…………俺はいま脱走兵扱いだ」
「キロランケは?元第七師団だろ?」
「俺はカムイコタンで顔を見られた」
緊迫した状況のはずなのにシライシさんの普段の行いのせいか、ふざけた顔しか思い出せない。ただのカンでしかないけど白石さんがそう簡単に殺されるとは思えず、私たちが危険を冒してまで救出しなくてもうまく切り抜けるのではなんて薄情なことを考えてしまう。それは私以外も同じだったのか牛山さんが「アイツの入れ墨は映してるし」と諦めようとした中で杉元さんが「いや……俺は助けたい」と言った。そこで彼が使おうと言い出したのは例の詐欺師である。が、その鈴川は協力を拒み私達の目を盗んで逃げだした。まあこの面子から逃げられるわけもなく、すぐに捕らえられた鈴川だがやっぱり協力する気はないみたいで「俺にどうしろっていうんだ!!」と猛反発する。
「おい鈴川……協力しないなら俺がお前の皮を剥ぐ。この計画でドジを踏めばお前は第七師団に皮を剥がされる。お前が皮を剥がされずに済む道は計画を成功させるしかない」
杉元さんがそうやって脅かすと鈴川は静かになった。不本意ではあるが逃げることもできないこの状況で皮を剥がされずに生き残るには、今は協力するしかないと悟ったらしい。私が言うのも変かもしれないがこの人たちを敵に回すと非常に厄介なのである。問題はどうやって白石さんのいる第七師団本部に潜入するか、だ。関係者になりすますという牛山さんの提案に対して「東京の師団の情報将校とかは?」と言った杉元さんだが、架空の上級将校はバレると尾形さんに却下された。なかなか良い案が浮かばず静かになったチセの中に犬の鳴き声が響く。
「…………イヌ。犬童四郎助はどうだろうか」
「犬童?網走監獄の典獄?」
どうやら顔が似ているわけではないらしいが、それでどうやってなりすますつもりなのだろう……。鈴川は自信があるのか、「誰か実在の人物に成りすますってのはその人物と似ていない部分を減らすってことだ」と名言を放った。わかるようでわからない理論だが、ともかくその犬童典獄に似せるため、髪を切り、眉を剃り、髪形も整える。そうすると牛山さんが驚いたように「なんとなく似てきたかも」と言った。
「第七師団内に網走監獄の典獄と親しい人間がいる可能性は低いが、よほど似てないと多少面識のある人間にならバレちまうぞ?大丈夫か?」
「犬童は……厳格で潔癖、規律の鬼といわれながらも、個人的な恨みで私を幽閉する矛盾を持ち合わせている。心の歪みが顔に現れている」
「たしかに…………性格って顔に出るよな。ヒグマもキツネっぽい顔付きしてて睨んでくるのは気性の荒いヒグマだって、そうなんだよね?アシリパさん?」
杉元さんが同意を求めたアシリパさんはすでにおねむの時間で船をこいでいた。なんだか前にも見た気がする光景だ。鈴川がお構いなしに「ふむふむ、ならばこれでどうかな」と得意げに言ったあと別人のような人相になると、それを見た入れ墨の囚人たち、そして永倉さんが息をのむのがわかった。この反応を見るにかなり良い線いっているみたいだ。鈴川扮する犬童四郎助は「俺に考えがある」と言ってごろんと横になった。顔付きが変わった途端態度まで変わった気がする……。その鈴川の考えとやらを聞かないうちにこっくりこっくりしていたアシリパさんがとうとう土方さんの背中へ頭突きをかまし、抱き上げられた。アシリパさんを自身の膝へ乗せた土方さんが「やれやれ、この子は大物だ……」と呟くのを見て、これまたどこかで見たような……と記憶を辿る。こうしているとただのおじいちゃんと孫なんだよなあ……そう思っていたら、杉元さんが「あッ!」と声を上げた。