樺戸の直前でアイヌのコタンを見つけた私たちは一晩宿をお願いしようと立ち寄った。先の一件以降杉元さんと牛山さんに交代で銃を持たせているのにも関わらず傷の痛みと足場の悪い山道のせいで体力が減る一方だった私には有難い話である。でも、この違和感はなんだろう?今まで見てきたコタンは子供たちが外を走り回ったり女たちが立ち話をしたりなにか仕事をしたり、活気に溢れていた印象だったけれどここにはそれがない。私は決してアイヌの文化に詳しいわけじゃないから、地域差というやつなのだろうか?と自分の中で折り合いをつけようとしてみたが、尾形さんは違ったらしい。
彼が「ムシオンカミってどういう意味だ?」とつっこむとエクロクさんは神妙な面持ちになる。アシリパさんがさきほど突然指をさして言い放った言葉だが、私はもちろん他のみんなもわからないらしく一同ぽかんとしてしまった。違和感といえば彼女の言動もどこか落ち着きがないというか、なんというか……うまく言えないがいつもと違っていた。そのアシリパさんが「オソマいってくる!」と宣言して退席したあとで尾形さんの台詞である。
「おや?もしかしてわからんのか?」
「ムシオンカミはちょっと聞いたことがない。さっきの娘はこの辺のコタンの子か?アイヌ語にも方言がある」
「一体何を疑ってるんだ尾形!この人達に失礼なマネはゆるさんぞ!」
「こいつら本当にアイヌか?」
本当にアイヌか……?尾形さんはこの人たちがアイヌになりすましていると疑っているようだ。一体何のために?すぐ思いつくのは……私たちのような旅人をもてなすふりをして金目の物を奪う、だろうか。言われてみれば確かに、子熊のオリだったりアシリパさんのあのふるまいだったりと違和感はいくつかあった。外に居たアイヌの女性とエクロクさんの奥さんが発した「ウンカオピウキヤン」というアイヌの言葉が私の中に湧いたその小さな疑念を大きなものにする。対して杉元さんは全く疑っていないようで三又になった変な形の棒を取り出し「使ってみせてくれ」と言った。本当のアイヌなら使い方がわかる……らしい。なぜか指名された牛山さんが「なんで俺が……」と言いながらも渾身の芝居を披露したものの杉元さんに「全然違うッ!!」とつっこまれていた。私も指されたらどうしよう……とドキドキしながら杉元さんを見守っていたが彼が次に指名したのは村長さんだった。気のせいか震える手で謎の棒を受け取った村長さんに「早くやってくれよじいさん」と尾形さんが追い打ちをかける。立ち上がった村長さんは出先で休憩する椅子の子芝居を披露したので私たちは全員で杉元さんの顔を伺った。
「なるほど……!!そういう使い方もあるのか!!」
「えっ……使い方って一つだけじゃなかったんですか……」
「もういいよこせ。俺が正しい使い方を当ててやる」
はぁ、と呆れ顔で謎の棒を受けとるの尾形さんを杉元さんが「尾形にわかるかなぁ~?」とからかう。尾形さんにしては胡散臭い満面の笑みを浮かべたあと、彼は徐に村長さんの足の小指をその棒で的確に強打した。村長さんはおもわず「痛たあっ!!」と声を上げたのでつい自分も小指をぶつけた時を思い出して顔を歪める。メキっていってたよ、メキって……………………あれ?村長さんて日本語わかるんだっけ?
「この使い方が正しかったようだな」
「ジイさん日本語話せたのか!?」
それでも杉元さんは「日本語を話せるアイヌなんて珍しくもなんともないッ!何てことをするんだ尾形ッ!」と村長さんを庇っている。杉元さんてアイヌの人たちには優しいんだよなあ。まあ、アシリパさんたちに良くしてもらっていたからというが大きいのだろうけど、信用しすぎというのもどうなのだろう。
「そもそもこの人達がアイヌのふりをして何の得があるって言うんだ!?いい加減にしろ尾形ッ!」
「そうだな、俺もぜひそこが知りたいね。ちょうど戻ってきた弟くんにも聞きたいことがあった」
この二人の喧嘩腰の会話はなんとかならないものだろうかと思っていたところでさきほどアシリパさんを厠に案内するために退出していた弟さんが戻ってきたが、そのアシリパさんが戻ってきていない。それに気付いた杉元さんが「あれ?アシリパさんは?」と尋ねるとエクロクさんは「近所の女性に刺繍を教わっている」と言う。その瞬間杉元さんが二人のもとへ驚くべき速さで近寄っていき弟さんの顔面を謎の棒でぶん殴った。
「アシリパさんが「刺繍に夢中」だぁ?てめえ……あの子をどこへやった?」
アシリパさんは自身のコタンでも針仕事や織物なんかはやってこなかったらしいから、きっとあの男は嘘をついている。それにいち早く気付いた杉元さんが先制攻撃を仕掛けると、尻もちをついた弟さんの着物の裾から入れ墨が覗いていた。
「あ?なんだその足」
「そうそう、さっきも出て行く時にちらっと足首に見えた気がしたんだよな。その「くりからもんもん」が……」
「ヤクザがアイヌのふりか」と尾形さんが言ったけど男たちは誰も否定しない。しん、と静まり返ったなかで杉元さんが聞いたこともないような恐ろしい叫び声を上げたあと、村中に響いているのではないかと思うくらい大きな声で「アシリパさんをどこへやった!!」と再び問いただす。尾形さんが銃を握る後ろで私も刀に手を掛けた。痛い。両手を使うのは無理かもしれないと不安が過ぎったがそういえば戦争中は怪我してても走り回ったり軍刀振り回したりできてたなあと思い出す。まあ傷は深くないみたいだから多少なら大丈夫だろう。
本性を現した弟さんの口に杉元さんが三又の棒をぶち込み、首を捻る。尾形さんは立てかけてあった杉元さんの小銃へ飛びつこうとしたエクロクさんの背中へ銃弾を一発撃ちこんだ。「銃から目を離すな一等卒ッ!」と言ってその銃を杉元さんへ放り投げる様は流石上等兵、とでも言うべきか。窓の外で弓矢を構えた男たちが現れると今度は牛山さんが瀕死のエクロクさんを無理やり引っ張って盾にしてしまった。牛山さんは普段とても良い人で囚人というのが信じられないほどだけど戦いになると結構えげつないな。いや、それは当たり前か。生きるか死ぬかなのだから、と私も加勢するべく痛みを無視して刀を抜いた。
「おい、あんたはあんまり動くなよ」
「えっ?」
エクロクさんを窓の外に放り投げた牛山さんが私にくぎを刺す。「あとで杉元がうるさいぞ」と冗談めかして言うので肩を竦めたけど、当の杉元さんは私よりも人質に取られたと思われるアシリパさんを探すのに必死な様子で、尾形さんから受け取った小銃を手にするとすぐさま外へ飛び出していった。「アシリパさーん!」と叫びながら走り回る杉元さんを追いかけていくと斧を持ったアイヌ……になりすました男が待ち構えていたので、それが振り下ろされる前に男の腕を斬り落とした。「ぐうう」と絞り出すようなうめき声を上げた男の足元に、自分が斬った男の両手がぼとりと落ちる。あれほど怖がっていたのに意外とあっけないものだ。虚しさすら感じるその光景を他人事のようにぼんやり見つめていると建物が崩れるような不穏な音が聞こえ、直後に獣の唸り声が響いた。子熊……じゃない、もうあれは立派な大人のヒグマだ。何かの衝撃でオリが崩壊したらしく、自由の身となった獰猛なヒグマが天誅とばかり、アイヌになりすました男たちを次々に襲っていく。その混乱に乗じて武器を持ったアイヌの女たちもアイヌ語で何かを叫びながら男たちを撲殺、刺殺とあらゆる手段で屠っていった。それを見て恐らく彼女たちの夫や親はあのヤクザ者に殺されてしまったのだろうと想像がついた。
杉元さんとアシリパさんは会えただろうかと村の中を探していると足元に死体の道ができているのに気が付いて私はぎょっとして足を止める。あ、よく見たら生きている人もいる……その先にはアシリパさんと杉元さんが立っていたので、彼女が無事だったことにほっと胸を撫でおろした。杉元さんもアシリパさんの無事を確認して落ち着いたようだ。
「アシリパさん、怪我は?」
「私は大丈夫だ……こそ、血が出てる」
「あ」
「傷が開いたな」
「だから動くなって言ったのに!」
「いやこれは不可抗力ってやつで……」
「いいから早く刀しまいなさいって!」
「はい……」
杉元さんからの圧がすごかったので大人しく刀を鞘に納めると彼はぷんすか怒りながら刀を取り上げたので、私は早く怪我治そうとひっそり決意した。