最果ての熱砂20

「アシリパさん、が撃たれた」
「……とにかく今は逃げないと。少し我慢できるか?」
「はい、大丈夫です」

 ずきんずきんと肩の傷が脈打っている。我慢できるというのは嘘ではないがそれと痛みは別問題だ。額に脂汗の滲む私を見てアシリパさんが複雑な表情を浮かべたけどここで立ち止まっていたら全員危険なのは彼女自身もよくわかっていることだからかそれ以上何も言わなかった。それより私は自分の肩に巻きつけられた杉元さんの襟巻が血で染まっていくのが気が気でならない。これ、落ちるかなあ……なんて心配していたら杉元さんが「俺が持つ」と言って私の肩に担いでいた小銃を持ちあげた。

「いえ……自分の荷物ですから、自分で持ちます」
「いいから貸せって。怪我してんだから」
「大した怪我じゃないです」
「オイオイ……こんなときに喧嘩するなって」

 一歩も譲らない私たちの仲裁に入った牛山さんが「怪我している時くらい誰かに頼ってもいいんじゃないのか?」とやんわり言うので渋々ながらも杉元さんに銃を託す。そうか、こういうときは頼ってもいいのかと頭の中の私がぽんと手を叩く。人に頼るって難しいなあ。追跡を逃れるために私たちは険しい山道に入り、暫く歩いたところでアシリパさんが傷の手当てをしてくれることになった。

「ちょ、ちょっと待って!ここで脱ぐの?」
「脱がないと手当できない」
「おいお前ら後ろ向いてろよッ!特に牛山!」
「……お気遣いは非常に有難いんですけど、晒し巻いてますから別に見られても問題ありませんよ」
「いや問題大ありだって!」

 どうして私より杉元さんの方が照れているのかよくわからないけどとりあえず彼は無視することにして、襟元を肌蹴て傷口をアシリパさんに見てもらう。そこになにか薬草をどろどろにしたものを塗られるとビリッとした痛みを感じて顔を顰めた。「痛むか?」とアシリパさんが尋ねたけどこんな痛そうな顔しといて痛くないですなんて言ってもやせ我慢以外のなにものでもないので正直に「痛いですけど大丈夫ですよ」と笑ってみせる。傷に障るからというので少し進んだところで休むことになり、ヤマシギを見つけたアシリパさんたちは罠の用意を始めた。私はこの血だらけの襟巻をなんとか綺麗にしなければ……と川へ向かう。冷たい流水にさらすと自分の血がだんだん溶けていってほっとため息と吐く。よかった、綺麗に落ちそうだ。

「大尉殿、単独行動は控えた方がよろしいのではないですか?」
「……大尉殿はやめてくださいってば」
「冗談だ。あんたはあっちに混ざらないのか」
「いや、その……杉元さんの襟巻を血まみれにしてしまったので洗濯を」
「よかったな、綺麗に落ちたみたいじゃないか」
「はい……一時はどうなることかと思いましたけどね。ところで尾形さんは私に何か用ですか?」
「別に」

 ……やりづらいなあ。昔から人と接するのは苦手だったが尾形さんみたいに何考えてるのかわからない人はもっと苦手だ。本当に何しに来たんだろこの人と思うくらい尾形さんは何も話さないし、なんならあの家永さんの時みたいに監視されているような居心地の悪さを感じていた。「別に」とか言われたら「あ、ハイ……そうですか」としか言えないじゃないか。血の落ちた襟巻をぎゅっと絞って広げている間も尾形さんは何も喋らず背後に立ったまま私のことをじっと見下ろしていた。やっぱりこれもしかしなくても私監視されてる?杉元さんたち……は考えられないから可能性があるとしたら土方さんの命令かな?土方さんも私の経歴を知っていて要注意人物扱いでもされているのだろうか。
 考え事をしていたら手に持っていた襟巻からはもう水なんて一滴もでないくらいになっていて、はっとしてそれを広げる。あとは乾かすだけだ。尾形さんとは結局大した会話もせずみんなのところに戻ると杉元さんが「どこに行ってた?」と険しい顔で尋ねた。

「借りてた襟巻、綺麗になりましたよ」
「……うん、ありがとう」
「いえ、それはこちらの台詞で……有難うございました、いろいろと」
「ごめん俺、間に合わなくて」
「……何に?」
「だから、助けに行くの間に合わなくて怪我させちゃって」
「杉元さんが責任感じる必要ないと思いますけど……」
「あ……そう、だな。うん……そうだよな」

 杉元さん、一体どうしたんだろう?自分に言い聞かせるみたいにぶつぶつ呟いて勝手に納得しているのを見て首を傾げる。杉元さんが責任を感じる必要なんてこれっぽっちもないはずだ。私にまで気を遣っていたらそのうち本当に心労で倒れてしまうんじゃないかと心配になってしまうのでもう私のことは放っておいてほしいのだけど……と思いながらたき火のそばに洗いたての襟巻を広げて干す。
 一仕事終えてふう、と一息吐いていたら「、あまり動くなよ」と言ってアシリパさんが私を座らせた。本当に申し訳ない。私が不甲斐ないばかりに足を引っ張ってしまった。しゅんとしていたらアシリパさんは「ヤマシギの罠を仕掛けたんだ。明日の朝はみんなでヤマシギを食べよう」と私を励ますみたいに明るく言った。ヤマシギって美味しいのかなあ。アシリパさんのことだから脳ミソが美味しいとか言い出しそうだけど。正直まだ脳ミソを食べる事に抵抗はあるが、まあアシリパさんが楽しそうだからいいかと思いつつ一日を終えた。

「おい、起きろ」
「……は……」
「俺に付き合え」
「……へ……?」

 朝早く、尾形さんが容赦なく私を叩き起こした。
 寝ぼけ眼を擦りながらまだぼんやり薄暗い周囲を見回したら杉元さんもアシリパさんもまだ夢の中だ。牛山さんは……また鍛錬でもしているのだろう。「鳥を狩りに行く」とだけ独り言みたいに吐き捨てられたのでうとうとしながら銃を手に取ったが「あんたは持ってこなくていい」と言われてしまった。え?じゃあなんで起こしたの?もうやだこの人。今のところ理不尽に叩き起こされただけなのでわけがわからないまま手ぶらで尾形さんについて行くとヤマシギが餌を探して土の中を掘っているのを見つけた。

「アシリパさんが罠を仕掛けたんじゃないんですか?」
「銃でもヤマシギは狩れる」
「……答えになってないんですけど」
「黙ってろ」

 理不尽すぎる……!一人で厠行けない人ですか?と煽ってもよかったのだけど銃を構えたまま動かなくなった尾形さんを見て私も自然と息をひそめる。ヤマシギが2羽、3羽と集まってきた瞬間に引き金を引くと逃げる間もなく銃弾に斃れた。おお……と感心していたらたった今仕留めたヤマシギの足を掴んで私の方へ差し出し「持て」というので釈然としないまま受け取ったがそこで漸く「あ、荷物持ちか」と合点がいった。……いや手負いの人間に荷物持ちって。

「私、尾形さんがよくわかりません」
「別にわかってもらおうなんざ思ってねえよ」
「じゃあどうして自分に構うのですか?」
「理由はないな」
「……」
「……」

 だから、この人とは会話が続かないんだって!右手に1羽鳥を下げた状態で尾形さんの後を追う。昨日の川でのときみたいに会話らしい会話もせず寝ていたところに戻ると、杉元さんもアシリパさんも起きていて罠で捕まえたヤマシギの羽を毟っていた。その二人に見せつけるみたいに仕留めた3羽のヤマシギを落とすと牛山さんが「散弾じゃないのによく撃ち落としてこれたもんだ」と感心していたが直後に尾形さんが自分の腕をひけらかすようにふんっと鼻を鳴らしたせいで「腹立つなコイツ」と言われていた。

「アシリパさんに無理だって言われたからムキになっちゃってさ……ハンッ!」
「杉元は銃が下手くそだから妬ましいな!」
「別に!!それより尾形、を連れまわすなよ!怪我してるんだぞ」
「……」
「あんたもホイホイついて行くなって言ったろ?」
「えーっと……」
「過保護な奴だな」

 尾形さんの台詞が気に入らなかったのか舌打ちした杉元さんは一心不乱に羽を毟る。成り行きとはいえ、この二人を一緒にしておいて大丈夫なのかなあ。私には正直不安しかない。
 そんな不穏な空気も気にせず着々と食事の準備を進めるアシリパさんに手伝いを申し出たけど案の定大人しくしてろとほぼ全員から言われてしまい何を作るのかなあなんてぼんやり考えていたが何の躊躇もなく脳ミソを取り出したアシリパさんを見てやっぱりそうだよね~~と誰に言うでもなく頷いた。わかりきっていた結末だった。アシリパさんは脳ミソ初心者の牛山さんに「チンポ先生、ヤマシギの脳ミソです」と匙を差し出す。キラキラした目で脳ミソを啜る杉元さんに対して牛山さんは「食っていいものなのかい?それ……」と拒絶反応が出ていたが意を決してそれを人差し指で少し掬うと震える手で恐る恐る口に入れた。自分が初めて脳ミソを食べたときもこんな感じだったなあなんて当時を思い出して懐かしい気持ちになったけど尾形さんははっきりと「いや俺はいらん」と拒否していたので私は心の中で尾形さんの意思の強さに感服してしまった。脳ミソを堪能したあとはおなじみのチタタプである。「チタタプっていいながら叩いてください、チンポ先生」とアシリパさんが指示すると牛山さんは素直にチタタプと言いながら内臓を刻んでいったが案の定尾形さんは無言で作業するのみで「尾形がチタタプって言ってません!」と杉元さんに告げ口されていた。いや、この人は言わないでしょ……。頑なにチタタプと言わない尾形さんはともかく、できあがったオハウはとても美味しかった。

「アイヌの神謡にはヤマシギのカムイが出てくるお話がある。クマゲラとカムイとの恋のお話。題して『ヤマシギの恋占い』だ」
「恋のお話?聞かせて……」

 杉元さんてこういうメルヘンチックなお話好きだよなあ。アシリパさんが話してくれたお話で胸をときめかせる杉元さんはこの中の誰よりも乙女だった。さすが愛読書が少女世界の男……と思ってよく見たら牛山さんも同調していた。